第11話 代償

 行為が終わった後、桜は俺の腕を枕にして寝転んだ。目を瞑って、幸せそうにしている。俺の中にも、満ち足りたものがあった。こんな日が、いつまでも続けばいいのに……そんな風に思ってしまう。その時、桜の言葉を思い出した。


「私も、結婚したかった」


 桜がテレビ番組の話を、面白そうに語っていた時の言葉だ。


 ああ、そうなんだ。


 素直にそう思った。そうする事が、とても自然な事に思えた。


「四月二日が誕生日って言っていたな」


 桜が目を開けた。


「うん」


 俺は、首を曲げて、桜を見た。


「その日に、俺たち、結婚しよう」


「えっ!」


 桜の目が、大きく開かれた。


「その時、お前の為に、指輪をプレゼントする。安い物しか用意できない。我慢してくれ」


 桜が、俺を見た。俺も、桜を見た。桜の顔が、クシャクシャに崩れた。そのまま、声をあげて泣き始めてしまった。そんな桜を、俺は抱きしめる。桜が、泣き止むまでずっと抱きしめていた。制度的に、婚姻届けを出すことは出来ないが、そんなことは関係ない。これは、俺と桜の問題だ。一頻り泣いた後、桜が体を起こした。寝ている俺の首元に手をついて、俺を見下ろした。俺に向かって、微笑む。


「隆、ありがとう」


 そう言って、桜が顔を近づける。俺にキスをしてくれた。俺は目を瞑る。桜の涙が、俺の頬に落ちた。俺は桜を優しく抱きしめると、長い間、キスをしていた。暫くして、桜が顔を上げた。


「汗を流してくる」


 そう言って、桜はベッドから抜け出した。


「俺も、流そうかな?」


 そう言って、俺も体を起こした。すると、驚いたように桜が振り返る。


「来ちゃ、駄目! 恥ずかしいから……」


 そう言って、桜は逃げていった。少し釈然としない。でも、そういうものなのかもしれない。部屋を見回すと小さな冷蔵庫があった。ベッドから出て、冷蔵庫に近づく。ドアを開けると、缶ビールがあった。一缶取り出して、プルトップを開けた。グビグビと喉を潤す。飲みなれない味だったが、乾いた喉に丁度良かった。暫くして、汗を流した桜がバスタオルを巻いてやって来た。俺を見て、目を背ける。


「やだー、隠してよ」


 俺は、自分の股間を見つめた。確かに、だらしない。桜が俺に向かって、もう一枚バスタオルを投げて寄こした。立ち上がり、俺も腰に巻いた。桜は、近づいて来ると、俺の缶ビールを見つけた。


「あっ、未成年がいけないんだ」


 そう言って、俺の横に座ると、俺の缶ビールを奪った。そのまま、桜も缶ビールを口にする。途端に、顔をしかめてしまった。


「ウッ……」


「大丈夫か?」


 桜が、難しい顔で俺を見上げる。


「何か、大人になった気分……」


 そう言って笑った。俺は、そんな桜を見て微笑んだ。俺は、桜に問いかける。


「結婚式は、病室でええか?」


「いいよ、それで」


「達也に、神父をさせようか?」


「面白い、それ」


 桜が、声を出して笑った。


「参列者はどうする?」


 桜が、目を瞑って、考える。


「うーん……達也君だけでいい」


「分かった。その時、また、写真を撮りに行こうか?」


「うん。撮りたい」


「桜が満開で、きっと綺麗だと思うぜ」


「うん、楽しみ」


 そう言って桜が、俺に寄り掛かってきた。俺は桜の肩を抱く。桜が喜んでいる。それだけで、満足だった。ホテルを出る前に、部屋から達也に電話をした。俺と桜が結婚することを報告する。達也は、俺が吃驚するほどに喜んでくれた。神父役も、喜んで引き受けてくれた。俺と桜は、ホテルを出ると自転車に乗って、病院に帰った。


「隆君、どういうつもり。桜を連れ回して!」


 病院に帰ると、桜のお母さんが凄い剣幕で、俺の事を怒った。それこそ、俺に殴りかかる様な勢いだった。


「警察に、捜索願を出そうかと思っていたのよ」


 ヒステリックに叫ぶお母さんに、桜が、言い訳をしようとした。しかし、桜のお母さんは、聴く耳を持たない。俺は、お母さんの前で、頭を下げた。


「申し訳ありませんでした」


 大声でそう言った。


 パン。


 桜のお母さんが、俺の頬を打った。


「隆さん、あなたは何をやったのか分かっているの? 桜はただの病気じゃないのよ」


 桜のお母さんは、涙を滲ませて、俺を責めた。桜が飛び出してきて、間に入った。お母さんを睨む。


「私達、結婚するの。もう、子供じゃないの」


 桜のお母さんが、目を広げて俺達を見た。


「あなた達は、何を言っているの。結婚って……」


 両手を口に当てて、ワナワナと震えている。


「おままごとじゃないのよ。そんな事、絶対に許しません」


 桜が、お母さんに言い寄る。


「でも……」


 お母さんは、そんな桜を、強く見つめた。


「でもじゃ、ありません。桜、あなたは自分の体を大切にすることだけを考えなさい」


 桜のお母さんが、俺を睨む。


「隆さん。桜のことが大切なのなら、もう少し、良識ある行動をとって頂かないと困ります。当分、桜には会わないでください」


 桜が、お母さんの腕を掴む。


「お母さん」


 お母さんは、叫ぶように言った。


「駄目です」


 お母さんが、尚も俺を睨む。


「いいですか。隆さん」


 俺は、歯を食いしばりながら頭を下げた。俺にも言いたいことはある。しかし、桜のお母さんが言うことも、痛いほど分かる。


「分かりました。ただ……」


 俺は、桜のお母さんを見つめた。


「今度の、桜の誕生日には、訪問することを許してください」


 桜のお母さんが頷く。


「ええ、分かりました。少しは頭を冷やしてください」


 俺は、桜を見つめる。


「桜、療養に専念してくれ。お前の誕生日にまた会おう」


 桜が、寂しそうに頷いた。俺は、桜に微笑んだ後、踵を返して病室を去った。桜のお母さんに心配を掛けてしまったが、今日のことに後悔はない。子供と言われようと、俺は桜と結婚をする。そのことに変わりはない。病院を出ると、夕日が赤く燃えていた。自転車に乗り、ペダルを漕いだ。足が重い。ユラユラと揺れながら、自宅に向かって自転車を走らせた。後ろの方からバイクが走ってくる。俺は、特に気に留めてもいなかった。


「きーさーきー」


 薄気味悪い声で、名前を呼ばれたような気がした。振り返ろうとした時、頭に強い衝撃を受けた。俺は、自転車から転げ落ちる。地面に肩を打ち付けた。


 ガチャガチャガチャ……。


 自転車が、音を立てて転がっていく。俺は、アスファルトに両手をついて、体を起こした。


「ウッ!」


 側頭部に激痛が走った。朦朧としている。目の焦点が合わない。側頭部に手を当てた。ヌルッとした感触が指先に伝わる。目の前に、手をかざしてみた。赤く濡れていた。膝立ちのまま、辺りを見回す。バイクに乗った男たちが、俺を取り囲んでいた。


「きーさーきー、さっきは世話になったな」


 鼻に絆創膏を貼り付けた男が、バットを持って、俺を見下ろしていた。俺は、そいつを睨みながら、ゆっくりと立ち上がる。


「嬉しいな、会いに来てくれて。俺も暴れたかったところや」


 ふら付く足で踏ん張った。両手を握り、そいつらに笑ってやった。

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