第8話 俺のものだ

 桜という女は、図々しい女だった。男であろうが女であろうが、大抵の奴は俺のことを避けていく。俺はそれで良かった。煩わしいことは嫌いだ。ところが、出会ってから間もなく、桜が俺の前に現れた。


「あのー、お願いがあるの」


 小さな小動物のような目で、俺を見上げた。


「なんだ、お願いって」


 両手を後ろに回して、桜が恥ずかしがっている。


「隆君は、クラブに入っているの?」


 俺は、目を開く。


「ちょっと待て、クラブの話の前に、何で俺の名前を知っているんだ」


「そんなの調べればすぐに分かるよ」


「まあ、そうだが、隆君ていうのは」


「あなた、隆君じゃないの?」


「いや、それはそうなんだが」


「ならいいじゃない」


 何だかペースが乱される。普通は、俺の前に立ったら、オドオドとするもんだ。何なんだコイツは。親しくもないのに、いきなり君付けで、俺の名前を呼んでくる。


「お前は誰なんだ?」


「私は、大野瀬 桜。隆君と同じ、一年生だよ」


「桜って言うんだな」


「そうよ、宜しく。お願いっていうのはね、写真部に入って欲しいの」


 俺は眉間に皺を寄せる。


「なんで、俺が入る必要がある?」


「写真部を作ろうと思ったら、最低でも三人の部員が必要なの」


「だから、何で俺が入るんだ」


「何でって、だからお願いをしているんじゃない」


 俺は大きく息を吐き出した。こんな奴は、初めてだ。あまりにも初めてのことで、どの様に対応をしたら良いのかが分からない。と言って、俺には断る理由も無かった。


「俺は、何もしないぞ」


「いいの、それでも。ただね、もう一つお願いがあるの」


「なんだ、もう一つのお願いって?」


「もう一人、勧誘を手伝って欲しいの。そうすればね、クラブが設立できるから……」


 丁度その時、入学早々から、俺に絡んでくるようになった達也を見つけた。


「おーい、達也」


 俺は、手を上げて達也を呼んだ。


「何だよ隆」


 俺は、達也の腕を引っ張って、桜の前に突き出した。


「これで、三人だ」


 桜の顔が、パッと明るくなった。桜を部長として、写真部が結成された。桜は、先生に頼み込み部室を貰うと、写真を現像するための簡単な暗室を、俺達に作らせた。何もしないはずだったのに、俺は良い様に使われている。本当に、桜という女は、図々しい女だった。まー、悪い気はしなかったが。


 俺たちは上手くやって来たと思う。退屈になるはずだった高校生活が、桜のお陰で少しは意味のあるものになった。桜は、せっせと写真を撮っては、部室に持ち帰り、現像をした。不器用な俺でも、写真を撮ってみるというのは、中々に面白いものだった。秋になれば、文化祭がある。写真を大きく引き伸ばして、部室に飾った。俺の下手くそな写真でも、飾ってみると、なかなか様になっているような気がした。


 高校二年生になり、新入部員が増えた。写真部は賑やかになる。部長の桜の存在は大きくて、彼女が笑うだけで、写真部はいつでも明るかった。そんな、桜が入院することになったのは、二年生の秋の文化祭が大成功で終えてからだった。折角盛り上がった写真部だった。しかし、桜の居ない写真部を、俺が引っ張っていくというのは、土台無理な話だった。達也も居たが、同じことだ。写真部は、桜あっての写真部だったのだから。


「桜に会いに行こうぜ」


 三学期の学年末試験が終わった頃、達也が俺を誘った。赤点を取るための試験にウンザリとしていた俺は、達也の提案に乗った。久しぶりに桜に会いたい。桜の事を考えるだけで、心が躍った。そんな自分に、俺は驚いた。桜は、病院の最上階の病室にいた。俺たちの見舞いをとても喜んでくれた。ただ、顔を赤らめると、恥ずかしそうにして被っていたニットの帽子で、顔を隠した。


「来るなら、事前に連絡をしてよ。乙女には準備があるんだから……」


 そう言って、桜は唇を尖がらせた。俺は、見舞いに用意した、バナナを桜に突き出す。


「バナナでも、食えよ」


「ありがとう」


 桜がニットの帽子から手を離して、バナナを受け取った。達也が気を利かせて、話をリードしてくれた。写真部が出来た頃の思い出話や、文化祭の事。達也との話で、桜は良く笑った。俺と違って、達也は話が上手い。顔が良くて勉強も出来るくせに、そんな自分を落として、相手を笑わせることも出来る。俺には出来ない芸当だ。桜がとても楽しそうに笑っている。でも、何故だか、桜が笑えば笑うほど、不機嫌になってくいく俺がいた。図体はデカいくせに、俺は小さい野郎だ。達也に嫉妬をしている。


「ずっと、病室に居て暇だろう?」


 俺が問いかけると、桜は嬉しそうに反応した。


「そうなの。暇だから、テレビばっかり見ているの」


「どんな番組が、面白いんや?」


 桜が、考える素振りを見せる。目を輝かせて、俺を見た。


「新婚さんいらっしゃい。この冬から始まったの。日曜日のお昼にね、ご飯を食べながら見ているの」


「新婚さんが出てくるんか」


「そうなの。司会がね、月亭可朝と桂三枝なの。結婚したばかりの二人の秘密をどんどんと引き出していくの。それが面白くて」


「へー、例えば、どんな秘密があるんや」


「この間のカップルはね、新郎は隆君みたいに大きい人なの。その新郎がね……」


 そこまで言って、桜が顔を赤らめる。


「何やねん、その新郎がどうしたんや?」


 桜が、上目遣いに俺を見上げた。その桜の視線に、俺はドキリとした。


「あの時にね、由美ちゃーん、バブバブしたいでチューって、赤ちゃん言葉を使うんだって」


 俺は眉を顰める。


「何やねん、あの時って?」


 桜が、顔を赤らめた。そして、俺の肩を叩く。


「やだー、私にそんな事言わせないでよ」


 流石に、何のことか理解した。


「エッチの事か」


 桜が、目を丸くする。


「隆君のバカー」


 そう言って、桜が俺の肩を両手で何度も叩いた。そんな桜の反応がちょっと嬉しかった。桜が、遠い目をして呟いた。


「私も結婚したかった……」


 俺と達也は、沈黙した。言葉が出なかった。桜が場の空気を感じて、俯く。


「ごめん」


 暗くなった空気を盛り上げようとして、達也が頑張ってくれた。俺も、何とかして、桜を励まそうと頭を捻ったが、碌な言葉が浮かばなかった。その後もおしゃべりは続いたが、沈んだ空気は浮き上がらない。帰らなければいけない時間になってしまった。達也が、桜に切り出す。


「じゃ、桜、俺達、帰るわ」


 桜が、寂しそうに笑った。


「うん。ありがとう。楽しかった」


 少し口を噤んだ後、また桜が口を開いた。


「また来てね」


 俺は、桜を見つめる。


「ああ。また、見舞いに来るよ。また、バナナがいいか?」


 俺は、ゴリラがバナナを食べる真似をする。桜が笑った。


「ウフフフ、今度は、違うものが良い」


「分かった」


 寂しそうな眼をしている桜に手を振って、俺たちは病室を出た。暗い夜道を、俺たちはトボトボと歩き出す。桜との時間は楽しかった。楽しかっただけに、無性に寂しくなった。そんな俺に達也が話しかけてきた。


「なあ、隆」


「なんや」


「お前、桜の事、どう思っているんや?」


「どうって?」


「どうって、決まっているやろう。好きかどうかってことや」


 俺は、達也を見た。


「なんで、そんなことを聞いてくるんや?」


「一応、お前の気持ちを確認しとかんとな」


「どういうことやねん」


 達也が、俺を真っすぐに見た。


「俺、桜に、告白してもええか?」


 思わず、俺は、達也を睨んだ。


「お前は、誰にでも好き好き言うてるやないか。桜で、遊ぶんか?」


「違う。本気や」


 俺は、達也の胸倉を掴んだ。


「いつもヘラヘラしているお前が、何言うてるねん」


 達也が、俺を睨みつけた。


「離せよ、その手」


 その一言がトリガーとなった。俺は、達也の胸倉を掴んだまま、その頬を殴りつけようとした。しかし、それよりも早く、達也の膝が、俺の股間を蹴りつけた。俺は掴んでいた手を離してしまい、両手で股間を押さえる。空かさず、達也の拳が俺の頬を殴りつけた。俺は地面に転がった。


「あーあ、やっちゃったよ。大丈夫、隆」


 俺は、股間を押さえつつも、何事も無かったかのように立ち上がった。達也が、拳を握り、ファイティングポーズをとる。しかし、俺は両手を下げたまま、達也に語りかける。


「今ので、目が覚めた」


「なんやねん」


 達也が、攻撃態勢を解いた。


「お前の質問やけどな。告白したらアカン」


 達也が怪訝な顔をする。


「俺、桜に告白するわ」


 言葉に出してみて、やっと分かった。俺は、桜に出会うために、この高校にやって来たんや。複雑な方程式が、綺麗に解けてしまうように、ストンと腑に落ちた。達也は、そんな俺のことを見て、笑った。

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