第6話 薔薇の花束
心斎橋筋と道頓堀川が交差するところに、戎橋がある。昼であろうが夜であろうが、人の流れが途絶えたことがない。足元を流れる、ドブ川と一緒だ。いったい何処から湧いてくるんだ。
顔を上げる。グリコの看板が見えた。
両手を上げて、走っている。いつ見ても、走っている。ご苦労なことだ。お前に同情するよ。
「待たせたな」
肩を掴まれた。体を向ける。達也が、笑っていた。俺も、唇を曲げて不器用に笑う。
「すまん。呼び出して」
相原達也。
俺の、高校からの親友。
いや、ライバル。
いや違うな。嫌な奴だ。
俺は、いつも達也の引き立て役にされていた。コイツと一緒にいると、碌なことがない。それでも、今日は達也の力を借りなければならなかった。
ところが、達也は俺から手を離す。通り過ぎる女の子に、視線が釘付けになった。その後を付いて行く。
「ねえねえ、君たち。俺たちと一緒に遊びに行こうよ」
達也の奴、来て早々に、もう、女の尻を追いかけていやがる。困ったもんだ。
俺から見ても、達也は男前だ。身長は百八十、運動神経抜群、勉学優秀、人当たりが良い。俺程ではないにしても、喧嘩をして負けた話を聞いたことがなかった。
欠点は、女にだらしがないこと。これに尽きる。
俺は小さな頃から、ずっと一匹狼で生きてきた。なのに、こいつときたら、俺が高校に入学するなり絡んでくるようになる。煩わしくて仕方がない。達也のことを、友達だなんて思ったこともない。
しかし、俺が心を許せる奴は、コイツしかいなかった。
「きゃー、声掛けられた」
「ねぇねぇ、ちょっと格好良くない」
女達が、達也を見てヒソヒソ話をしている。浮つくな。お前達に用はない。
「達也」
俺は達也の、肩を掴む。女達が俺を見て、顔を歪めていた。
その反応、慣れているよ。
サービスで、女達を睨んでやった。
すると、女達は脱兎のごとく逃げていく。そんな俺に、達也が情けない顔を見せた。
「隆~。可愛い子ちゃんが、逃げていっただろう~」
俺は達也を睨む。
「今日は、俺の用事に付き合う約束だろう」
「分かっているよ。何なんだよ、用事って?」
「それは、その……」
俺は言い淀んでしまった。顔を赤らめてしまう。口を開こうとするが、ますます口を歪めてしまう。
達也が、そんな俺を不思議そうに見た。
「女でも買いに行くんか?」
俺は首を横に振る。
「じゃー、ストリップを見に行く」
俺は、また首を横に振る。
「何なんだよ。クイズじゃないんだから、早く言えよ」
「ば、」
達也が、不思議な表情を浮かべた。
「ば?」
俺は、大きく息を吸う。
「薔薇の」
達也が、興味深そうに俺を見る。
「薔薇の?」
大きく息を吐いた。
「花束を」
達也が、じれったそうに返してきた。
「花束を? だから何なんだよ」
唇を歪める。
「買ってくれ」
達也が、目を開く。好奇心一杯の笑顔で、俺を見た。
我慢できなくて、俺は達也から顔を背ける。
そんな俺に向かって、達也が抱きついてきた。
「どういうことだ? お前が、薔薇の花束なんて」
達也の顔を見ないように、空を見上げた。
「必要なんだ。俺の代わりに買ってくれ」
達也が、俺の顔をニヤニヤと見つめる。
「女か?」
首を横に振りたかったが、出来ない。
「図星か! 相手は誰や! これは事件や」
全てにおいてパーフェクトに見える達也だが、もう一つ欠点があった。いつも、退屈しているのだ。
何でも卒なくこなしてしまえるが故に、色んなものに飽きてしまっている。だから、いつも、刺激を求めていた。
俺と絡みたがるのも、多分、その刺激が欲しいのだろう。
「花屋に行くぞ」
俺は、歩き出す。説明するのが煩わしい。
達也は、嬉しそうに話しかけてきた。
「おいおい、教えろよ。どういうことなんだよ」
俺は、無視して、更に歩く。
「おーい、隆君。言わないと、薔薇の花束を買ってあげないよ」
俺の足が止まった。それは困る。
「頼まれたんだ。持ってこいって」
「ふーん。どこの誰?」
俺は、達也を見る。
「スナックのママや」
「スナック。お前、花束持って、今からスナックに行くんか?」
俺は、頷く。
「行く行く、俺も行く。行ってみたい」
俺は考えた。
――これは、もしかすると好都合かも知れない。
達也を人身御供にして、由紀恵に差し出そう。きっと達也のことを、由紀恵は気にいるはずだ。そうすれば、俺は無罪放免。頭がおかしい由紀恵と、オサラバすることが出来る。
俺は、思わず笑いがこみ上げてきた。
「達也、お前にママを紹介してやる。薔薇の花束を、俺の代わりに。買ってくれ」
財布を取り出す。俺は達也に千円札を渡した。
達也は、千円札を受け取る。そして、また手を差し出した。
「なんや?」
「千円札一枚で、花束は買えんで。もっとくれ。それと、俺の手間賃」
俺は仕方なく増額した。由紀恵との手切れ金だ。ここは達也に従おう。
花屋に向かい、赤い薔薇の花束を買ってもらった。ちょっと、花束にボリュームがあるような気がしたが、まあ良い。
流石に恥ずかしいので、薔薇の花束は、達也に持ってもらうことにした。悔しいが、薔薇の花束を持っても様になる奴だ。
カサブランカに到着する。時間はまだ夕方五時過ぎだ。
――早すぎただろうか?
この店は、外からでは、営業しているのかが分からない。
しかし、本当におかしな店だ。商売をする気があるのだろうか。
俺は重い扉を開ける。中に入った。暗い店内だが、カウンターの所だけが明るく輝いている。そこに、浮かび上がるようにして由紀恵が立っていた。
「キャー、隆君。来てくれたの! 嬉しい」
俺を見ると、由紀恵が叫んだ。
――キャーってなんだ。キャーって。
思わず、俺は心の内でツッコんでしまう。俺は、達也が持っていた薔薇の花束を掴む。無造作に由紀恵に突き出した。
「約束の薔薇の花束だ」
由紀恵の顔が、パッと明るくなった。
――嬉しいのか?
こんな花束ごときで。由紀恵が、駆け寄ってきた。薔薇の花束を、嬉しそうに俺から受け取る。顔を近づけて、胸一杯に薔薇の香りを楽しんでいる。
――美しい女と薔薇の花。
絵柄としては悪くない。俺は、大きな仕事をやり遂げた達成感を感じていた。
由紀恵に問いかける。
「これでいいか?」
由紀恵は、嬉しそうに頷いた。そのまま、俺に抱きついて来る。俺の胸に顔をこすり付けた。
「隆君の良い匂いがする」
俺は困ってしまった。横を見る。驚いた顔で、達也が口を開けていた。
俺は、慌てて由紀恵を引きはがす。作戦を実行しなければいけない。
「今日は、客を連れてきた」
由紀恵は、また俺に抱きつく。抱きつきながら、達也に会釈した。
「いらっしゃい」
俺は、また由紀恵を引きはがす。由紀恵に、達也を紹介した。
「達也、俺の友人だ。俺よりも、良い男だろう」
やっと、由紀恵が俺から離れる。達也に丁寧にお辞儀した。
「隆君の彼女の由紀恵です。宜しくお願いします」
「おい、おい」
俺は、思わず由紀恵の肩を掴んだ。
「痛い!」
吃驚して手を離した。そんなに強く握ったつもりはないのだが……。
由紀恵が意地悪そうな顔で俺を見上げる。腰に手を当てて、俺を睨んだ。
「責任取ってよね。明日も店に来ること」
俺は、右手を額に当てた。天井を見上げる。
――この雌ギツネめ。
そんな、俺と由紀恵のやり取りを見て、達也が笑った。
「素晴らしい彼女じゃないか。まさか、お前が浮気をするとは思わなかったぞ」
由紀恵が、驚いた顔で達也を見る。
達也の奴、余計なことを言いやがる。俺を見て、ニヤニヤと笑っていた。
――コイツ、ワザと拗らせようとしているな。
これは、大きな計算違いだ。こんな奴、連れてくるんじゃなかった。
由紀恵が、達也に問いかける。
「飲みに来たんでしょう。カウンターに座りなさいよ」
達也が、嬉しそうにカウンターに座った。
俺が、立ちっ放しでいると、由紀恵が俺に顔を寄せる。
「隆君も飲むでしょう。ゆっくりと話を聞かせてよ」
由紀恵が俺を睨んでいた。
――俺が悪いのか?
釈然としない。この女に出会ってから、どうもペースが掴めなかった。
俺はカウンターの椅子に座りながら、桜のことを思い出していた。
そういえば、女にペースを乱されたのは、これが初めてではない。アイツもそうだった。
目の前に、ターキーのロックが用意される。達也が、面白そうにそのグラスを持ち上げた。
「由紀恵さん、これはなんていうお酒なんですか?」
由紀恵が、達也に微笑む。
「アメリカのバーボンウイスキー。ワイルドターキーっていうのよ。お子ちゃまには飲めないお酒よ」
由紀恵が俺を見る。意地悪そうに笑った。
俺は、顔を横に向ける。
――いちいち俺を弄るな。
そう言えば、俺には用事があった。深い溜息をつく。
カウンターに手を付いた。渋々立ち上がる。カウンターの中にいる由紀恵に向かって、丁寧にお辞儀した。
「由紀恵、ありがとう。修兄貴は、無事とは言えなかったが助けることが出来た。恩にきる」
由紀恵が、微笑んだ。
「隆君の為なら、頑張っちゃうんだから、何でも頼ってきてよ。私が欲しかったら、いつでもオッケーだからね」
俺は、唇を噛む。由紀恵から視線を逸らした。
――そんな恥ずかしいことを、良く口に出せるな。
視線の先に達也がいた。ニヤニヤと笑っている。
俺は達也からも顔を背けて、明後日の方向を向いた。
――やるべきことはやった。もう帰りたい。
俺の横で、達也が感嘆の声を漏らした。
「美味い! しかし、キツイなー。このターキーってやつは」
達也が美味そうに、ターキーを飲んでいる。
なんだかイライラした。
俺もグラスを持ち上げる。苦手な酒だが、俺もターキーを舐めた。美味いかどうかは分からないが、酔うことは出来そうだ。
「一年前だったな」
達也が、ポツリと呟く。
俺は、達也を見た。言いたいことは分かっている。
「ああ、一年前だった」
そう言うと、俺は大きく息を吐く。ターキーが混じった甘い息が吐き出された。
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