第5話 ラビアンローズ
カサブランカを飛び出す。表にある黒いベンツに駆け寄った。後部座席のドアを開ける。若頭が乗り込み、俺も乗り込んだ。
俺は運転手に向かって叫ぶ。
「早く出してくれ!」
アクセルが踏み込まれる。アスファルトを焼きながら、ベンツが走り出した。
向かう先は、ミナミからそう遠くない南港の倉庫地帯。貿易関係の倉庫の一つに、黒川に関係している事務所があった。
俺は、座席に座りながら、今か今かと到着を待ちわびる。気が急いて仕方がない。
隣に座る若頭が、俺の肩を掴んだ。
「慌てても、何も変わらん。少し落ち着け」
俺は、大きなた溜息をつく。
「フ――、修兄貴に、もし何かあったら……」
若頭は、腕を組んで深く座り直す。
「こういう時ほど、頭に血が上った方が負けや。クールにいこうや」
俺も、座席に深く座り直した。気持ちを落ち着けようとする。
ラジオが流れている事に気が付いた。スピーカーから、女の明るい声が聞こえる。
「昨年発売された、アルバム『愛の賛歌 越路吹雪ピアフを歌う』 皆さん、お聞きになられましたか。もー、素晴らしすぎて、私なんかレコードが擦り切れるくらいに聴きました。今日は、越路吹雪さんではなく、エディット・ピアフについて、皆さんにご紹介したいと思います。エディット・ピアフはフランスのシャンソン歌手で……」
緊迫した俺たちの状況とは、えらい違いだ。俺は、ラジオを聞きながら鼻で笑う。その時、運転手が口を開いた。
「若頭、もう直ぐで、目的の場所に到着します」
若頭が、身を乗り出す。運転席の背もたれを掴んだ。
「車を止めたら、俺たち三人で乗り込むからな。お前ら、得物は持っているか」
運転手が頷く。
「ドスがあります」
俺は、眉間に皺を寄せた。
「俺はありませんが、拳があります」
若頭が、そんな俺を見て笑う。
「お前の拳は、凶器みたいなもんや」
若頭は、襲撃に向けて状況を整理する。
ガキ相手とはいえ、相手は強盗も殺しも経験していた。更には、拳銃を持っている。それに、相手の人数も分からなかった。乱戦になる可能性がある。
若頭は、懐から拳銃を取り出した。
「俺は、これを使う」
俺は、その拳銃を見て。唾をのみ込んだ。
「使うんですか?」
「いや、簡単には使えない。ただ、威嚇で一発だけは発砲する。先手必勝や。乗り込んだら、一気に制圧しろよ」
俺たちは頷く。
埠頭にやって来た。ベンツが停車する。ドアを開けて、車から降りた。
潮風が、俺の頬を撫でる。塩臭い。
真っ暗な海が広がっていた。さざ波が埠頭を叩き、リズムよく音を刻んでいる。
人気は無く、ひっそりと静まり返っていた。
近くの街灯が、明滅している。今にも消えそうだった。
目的の事務所は、直ぐに見つかる。一階は倉庫で、事務所は二階にあった。窓から明かりが漏れている。
「行くぞ」
若頭が、歩き出す。その後を付いて行った。
二階建ての倉庫を見上げる。鉄筋の骨組みに、トタンを貼り付けただけの安普請な倉庫だ。
事務所へは、外にある階段から入ることが出来る。
足音を忍ばせて、ゆっくりと階段を上った。気付かれてはいけない。
二階にたどり着く。俺はドアに耳をそばだてた。中から、男たちの声が聞こえる。拳銃の取引に来た黒川らしき男の声が聞こえる。ここで間違いない。
同時に、雑音だらけのラジオの音も聞こえた。先程の明るい女が喋っている。
「では、お聞きください。エディット・ピアフで『ラビアンローズ』です」
俺は、ドアのノブに手を掛ける。
カチャ。
動かない。鍵が掛かっていた。若頭を見る。
若頭が、顎をしゃくった。
俺は頷く。
俺は、ドアから少し距離を取った。足腰に力をためる。猛然とダッシュした。全体重をドアにぶつける。
ドッガーン!
ドアは、玩具のように引きはがされ吹っ飛んだ。
俺は、部屋の中に転がっていく。顔を上げた。
部屋の中で、五人の男たちが、椅子に縛り付けられた修兄貴を囲んでいる。驚いて俺達を見た。
椅子に座っている修兄貴が、うな垂れていた。変化に気が付き、頭を上げる。殴られて、顔が黒く腫れあがっていた。
♪あなたと目が合えば 伏せてしまう
笑いかけようとしたけれど 恥ずかしくて
これが私 心の中はあなたでいっぱい
「なんや、お前達!」
一人の男が、素っ頓狂な声で叫んだ。
もう一人の男が、手に持っていた角材を振り上げる。猛然と走ってきた。
俺は、その男が振り下ろしてきた角材を片手でキャッチする。驚いているそいつの顔面に、拳を打ち込んだ。
男は吹っ飛んでいき、修兄貴の足元に転がる。
角材を右手で掴み、俺は残りの男たち睨んだ。
♪私を、きつく抱きしめて
あなたの声で 囁いて
薔薇の花に包まれているみたい
怯んでいる男たちの一人に黒川が居た。黒川が、俺たちに叫んだ。
「な、何しに来たんや」
若頭が、黒川を睨む。
「修に、何をしたんや!」
黒川が、慌ただしく修を睨んだ。
「や、やっぱり、う、裏切り者やないか、お前」
若頭が、一歩足を前に進める。
「修を、返してもらうぞ」
♪愛してる 愛してる 愛してる
魔法のような あなたの言葉
私は あなたに染まっていく
その時、黒川が懐から拳銃を取り出した。その拳銃を、修兄貴の頭に突き付ける。
「動くな! う、動くと、こいつを撃つぞ」
若頭の足が止まった。俺達も動きが止まる。
「そ、そのまま手を上げろ。う、動くなよ」
俺たちは、仕方なく手を上げた。
黒川が、仲間の男たちに命令する。
「お、おい、お前達。ア、アイツ等の体を調べろ。け、拳銃を持っているはずや」
仲間が俺たちの体を調べる。若頭は、拳銃を取り上げられてしまった。
黒川が、勝ち誇ったように笑う。ゲスな笑いだ。
「お、お前ら全員、て、手を挙げて、そこに跪け」
俺は、黒川を睨みつけた。黒川が俺に拳銃を向ける。背筋が凍った。
「お、おい、そこのデカ物。い、言うとおりにしろよ。は、早く座れ」
尚も、黒川を睨みつける。黒川が、唾を吐きながら叫んだ。
「俺は、ほ、本気やぞ。早く座れ!」
パン!
乾いた音が鳴り響いた。俺に当たりはしない。しかし、体が強張った。
若頭が俺に命令する。
「隆、言われた通りにしろ」
俺は、若頭を見た。眉間に皺を寄せる。膝を折った。
唇を噛みしめる。悔しさが込み上げた。
若頭たちも、手を挙げたまま膝まづく。
♪あなたが 私に入ってくる
力強く とても強引に
でも、私はそれが嬉しいの
「な、情けない奴らやの~。け、拳銃の前では、こ、これか」
黒川が、拳銃の照準を、俺達に次々と合わせた。薄気味悪く笑う。若頭が、黒川を睨んだ。
「拳銃持ったら、威勢がええの~」
黒川が、目を剥く。若頭を睨みつけた。手にしていた拳銃を、若頭に向ける。
顔を歪めて、唾を飛ばした。
「な、なんや、お前、い、粋がりやがって。し、死んでもええんか?」
若頭は、そんな黒川を更に焚きつける。
「お前に、言ったはずやぞ。目ざわりや!」
黒川が、だらしなく口を開けた。若頭を睨みつける。
「俺は、ほ、本気やぞ。ええんか、ほ、本気やぞ」
震えながらも銃口が、若頭に向けられる。
その時、若頭が、大声で叫んだ。
「修、今や!」
♪あなたがいるから 私がいる
私がいるから あなたがいる
生涯かけると 誓いあった
椅子に縛り付けられていた修兄貴が、椅子ごと立ち上がった。そのまま黒川に体当たりをする。
不意を食らった黒川が横転した。
俺は立ち上がる。猛然と駆け寄った。拳銃を持つ黒川の手を握る。そのまま捻った。黒川の指が折れる。
「ウガッ!」
黒川が叫び声を上げた。
黒川から拳銃を取り上げる。若頭に向かって、その拳銃を滑らせた。
若頭が、笑いながらその拳銃を受け取る。
俺は、転がっている黒川の腰ベルトを掴んだ。全身の力を込めて、黒川を持ち上げる。そのまま、立ちすくんでいた仲間の男たちに向かって投げつけた。
将棋倒しのように、男たちが倒れていく。若頭の拳銃を奪ったやつも転がった。駆けつけて、そいつの腕を踏みつける。
「ウゲッ!」
拳銃を取り上げた。
制圧完了だ。
椅子に縛り付けられていた修兄貴が、倒れたまま若頭を見上げる。
♪目を上げて あなたを見つめる
ほら、胸の高鳴りが止まらない
若頭は、転がっている修兄貴に近づく。傍に腰を下ろした。
ロープに手を掛けると、その結び目を解いていく。縛られている修兄貴を解放した。
修兄貴が、体を起こそうとする。しかし、殴られた後遺症からか、力が入らない。
そんな修兄貴のことを、若頭は強く抱きしめた。
「よく頑張ったな」
修兄貴が顔を上げる。若頭を見つめた。目から涙が溢れ出す。それを隠すようにして若頭の胸に顔を埋めた。そのまま、嗚咽を漏らして泣き出してしまう。
そんな、修兄貴の頭を、若頭は優しく撫でた。
「お前が欲しい」
修兄貴が、抱きしめられながら、何度も頷いた。
若頭は、修兄貴を更に強く抱きしめる。
「さあ、帰ろうか」
♪私達の愛は終わらない
胸の中から 幸せが溢れ出す
辛かった日々は、もう終わり
幸せ過ぎて 死んでしまいそう
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