第3話 お前が欲しい

 ボックス席に、修兄貴と黒川が並んで座った。向かい合う形で若頭が座り、その隣に俺も座ろうとする。そんな俺のことを、若頭が睨んだ。


「お前はホンマにデカいな。ボックス席が狭なるわ」


 俺は、頭を下げる。


「すんまへん」


 その時、雅がやって来た。俺の為に、クッションが付いたスツールを用意してくれる。


「隆君、これに座りなよ」


 俺は、雅に頭を下げた。

 離れ小島のように、ボックス席からはみ出して座る。

 若頭が、ハイライトと印刷された煙草を取り出した。

 直ぐさま俺は、ジッポライターを取り出して、火を若頭の口元に近づける。

 若頭は、煙草に火をつけると、深く燻らした。

 フーと、青い煙を吐き出す。


「お前達、なにか飲めよ」


 若頭が、向かいの二人に問い掛けた。黒川という男は、ビビっているのか、右手を顔の前で左右に振った。


「いえ、僕は飲めないので」


 若頭が、眉をひそめる。黒川を睨んだ。黒川は目を背ける。

 今度は視線をずらして、若頭が修兄貴を見つめた。


「お前は?」


 修兄貴は、右手の人差し指で眼鏡の真ん中を押し上げた。若頭を真っすぐに見つめる。


「僕は、ウイスキーのロックが飲みたいです」


 若頭が、口元を緩めて嬉しそうな顔をする。


「お前、ウイスキーが飲めるんか?」


「ええ」


「好きな銘柄はあるんか?」


「いえ、そこまでは詳しくないです」


 若頭が、カウンターにいる由紀恵ママに視線を送る。


「ターキーのロックを三つと、水を一つ用意してくれ」


 暫くして、雅が注文の品をテーブルに並べる。そのまま、若頭の横に座った。


「私も、取引の席に、お邪魔しまーす」


 黒川が、雅を見て怪訝な顔をする。

 若頭が、鼻で笑った。


「心配するな。この店のモンは、俺の仲間や。この取引が外に洩れるようなことはない。まー、気にせずに、飲めよ」


 若頭がグラスを持ち上げた。釣られるようにして、俺や修兄貴もグラスを掴む。

 若頭が、美味そうにターキーを舐めた。舐めながら、修兄貴を見ている。

 修兄貴は、琥珀色のターキーを見つめた後、ゆっくりと飲んだ。修兄貴の顔が、パッと明るくなる。確かめるようにして、もう一度、ターキーを舐める。深く頷いた。


「美味いですね」


 修兄貴の呟きに、若頭が嬉しそうに笑った。


「だろう」


 若頭が、今度は俺に視線を向ける。


「お前も飲めよ」


 俺は、ターキーと呼ばれたウイスキーを見つめた。俺は、ビールしか飲んだことがない。


 ――美味いのだろうか?


 琥珀色に輝いたグラスを掴む。口元に近づけた。燻されたような甘い刺激臭が、俺の鼻孔を貫く。思わず、グラスを離してしまった。

 そんな俺の様子を、ボックス席に座る皆が見ていた。仕方がないので、俺は、何事も無かったかように、ターキーと呼ばれた得体のしれない飲み物を口にする。


「不味……」


 そんな俺の様子を見て、若頭が噴き出した。


「ブハッ……隆、お前、面白いな」


 雅も、俺を見て笑う。


「アッハッハッ! 隆君て、図体の割には、なんか子供ね~」


 俺は、顔を赤くする。

 腹が立つので、そのターキーを、一気に飲んだ。喉が焼けるように熱くなる。胃も踊り出した。なんだか口から火を噴きそうだ。目を白黒とさせてしまう。

 そんな俺の様子に、またしても笑われた。

 俺は、小さく深呼吸をする。唇をかんで、平静を装った。

 若頭は、笑いながら前を向く。二人に向かって要件を切り出した。


「さあ、仕事を終わらせようか。隆、ブツをこいつ等に見せろ」


 強いアルコールで頭がクラクラとしながら、俺は床に置いていたボストンバッグを持ち上げる。テーブルに置いて、ジッパーを引いた。開かれたバッグの中から、黒い拳銃が姿を現す。

 若頭が、身を乗り出した。


「拳銃は、三丁ある。弾も用意してある。確認してくれ」


 修兄貴は、恐る恐る手を伸ばした。拳銃を持ち上げて細部を見つめる。重さを確認するようにして拳銃を上下させた。


「重いですね」


 若頭は、そんな修兄貴に微笑む。そして、眉をひそめて睨みつけた。


「玩具やないぞ。お前、これで、人を殺すんか?」


 修兄貴が、大きく目を広げた。目が泳いでいる。手にしている拳銃を握りしめたまま、黙ってしまった。

 そんな様子を見ていた黒川が、自分のボストンバッグを持ち上げる。


「金です。指定通り用意しています」


 若頭が、俺を見た。


「隆、中を確認しろ」


 俺は、そのボストンバッグを受け取る。ジッパーを引いた。中に入っている札束を、時間を掛けて確認する。


「確かに、あります」


 若頭が、黒川を見つめる。手を差し出した。

 黒川は、恐る恐る手を伸ばす。若頭はその手を強引に握った。ニヤッと笑う。


「これで、商談は成立や」


 黒川が、小刻みに首を振る。


「そ、そうですね」


 若頭が、修兄貴に視線を送った。


「修やったか。もっと、飲めよ」


 修兄貴が、笑顔になる。


「ええ、頂きます。お代わりをお願いできますか?」


 そんな修兄貴を、黒川が肘で突いた。眉をひそめる。


「木崎。取引は終わったし、もう帰らないか?」


 若頭が、黒川を睨みつけた。


「おい、お前。そのブツを持って、さっさと帰れや。目ざわりや」


 黒川が、青ざめる。ブルブルと震えているのが分かった。

 修兄貴が口を開く。


「じゃ、僕も、帰ります」


 若頭は、今度は修兄貴を睨みつける。


「お前は、ここに居て、俺の相手をしろ」


 黒川は、慌てる様にして立ち上がった。両手でボストンバッグを抱えている。


「き、木崎。俺、さ、先に、帰るからな……」


 黒川は店の扉に駆け寄る。重い扉を開けると、逃げるようにして帰っていった。

 そんな黒川を見送った後、修兄貴は、緊張した面持ちで若頭を見つめる。

 若頭は、そんな修兄貴を見つめる。


「そう怯えるな。おい、雅」


 雅が、若頭を見つめる。


「何かしら?」


 若頭が、修兄貴に向かって顎をしゃくる。


「修の隣に座って、相手をしたれ」


「はーい」


 雅は立ち上がると、嬉しそうに修兄貴の隣に座る。

 そんな雅の勢いに圧されたのか、修兄貴は、腰をずらして奥に逃げた。

 そんな修兄貴の初心さを楽しむようにして、雅は修兄貴に寄り掛かる。修兄貴の膝の上に手を乗せた。

 修兄貴は、真っ赤になる。激しく動揺していた。


「私もお邪魔するわよ」


 由紀恵ママが、やって来た。ターキーのボトルと氷を持ってくる。若頭の隣に座った。

 ママが、俺に笑いかける。


「ターキー、美味しかった?」


「まあまあやな」


 若頭と雅が、俺の返答に笑った。由紀恵ママも、楽しそうに俺を見る。


 ――見るんじゃない。


 俺は、目を逸らした。

 雅が、俺たちの為に、新たにターキーのロックを用意し始める。自分と由紀恵ママには、ターキーで水割りを作っていた。みんなの分が用意される。

 雅が、グラスを持ち上げた。


「かんぱーい」


 俺もグラスを持ち上げた。ターキーを舐める。不味い……。

 その時、雅が悪戯っぽく笑った。


「ねーねー、あの黒川って子。わたし知ってるよ」


 皆が、雅に集中した。

 若頭が、雅に問いかける。


「なんで、知っているんや?」


 雅は、嬉しそうに答える。


「だって、同じ大学だもん」


 俺は、驚いて雅を見た。


「お前、大学生なのか?」


「そうよ。黒川君は、私のこと知らないと思うけれど、あの子、大学では有名人だもん。学生運動のリーダーだからね」


 若頭が、修兄貴に視線を送る。


「お前も、学生運動のリーダーなんか?」


 修兄貴は、少し口籠った。


「僕は、リーダーとかではないです。ただ、隆を通じて拳銃を入手する必要があり、協力することになりました」


「ふーん」


 若頭が、修兄貴を睨んだ。


「取引の金は、あの銀行強盗からか?」


 修兄貴が頷く。


「そうです」


「お前は、その実行犯か?」


 修兄貴は、首を横に振った。その様子を見て、若頭は口元に笑みを浮かべる。


「修。お前は、何のために学生運動をしているんや」


 修兄貴が、眉間に皺を寄せた。


「この、歪んだ日本を正すためです」


「出来るんか?」


「分かりません。ですが、出来る出来ないではなくて、その事に身を投じることが大切なのではないでしょうか」


「その為に、死んでしまったらどうする?」


 修兄貴は、グラスを持って、ターキーを少し舐めた。そして、勇気を奮い起こすようにして言った。


「理想の為に死ねるのなら、それは素晴らしい事だと思います」


 大きく息を吐く。若頭を、真っすぐに見つめた。

 若頭は、そんな修兄貴の顔を、穴が開くほどに見つめる。暫く、沈黙が続いた。


「お前の言う、理想とは、なんや?」


「ベトナム戦争といった争い事が無くなり、世界が平等で平和になる事です」


「その理想の為に、拳銃が必要なのか?」


 修兄貴が、目を伏せる。


「それは……」


「必要悪、そう言いたいのかもしれんが、俺にはただの詭弁にしか聞こえない」


 修兄貴は、黙ってしまう。若頭は、更に続ける。


「アカの奴らは、この社会システムの資本主義を壊して、社会主義を構築することが必要やと叫びよる。俺には、社会主義の為に、人間を利用しているように見える。これでは、主従が、逆やないか?」


「……」


「幸せを感じるのは、人間が持っている心や。この心を押さえつけて、果たして人間は幸せなんか?」


 修兄貴は、唇を噛む。若頭を、キッと睨んだ。


「じゃ、貴方は、資本主義で良いということですか?」


 若頭は、修を馬鹿にしたように見下ろす。


「頭がええ割には、お前、案外、アホやな。隆よりもアホや」


 修兄貴の声のトーンが上がる。


「どういうことですか?」


 若頭は、子供を諭すようにゆっくりと語り出す。


「俺は、社会主義よりも資本主義がええとは、一言も言ってない。俺たちの心を無視して戦い続けても、誰も幸せにはなれんと言っているんや」


「じゃ、貴方の正義とは、いったい何ですか?」


「このミナミを護ることや。それ以外は、知らん。しかしな、俺は護っているという自負がある」


 そう言って、若頭は胸を張った。


「それは、僕にだって」


「いや、お前が護っているのは、人間じゃない。頭の中で作った社会主義や」


 修兄貴は、感情的に叫んだ。


「そんな偉そうなことを言いますが、貴方だって、暴力を振るうじゃないですか! 人間を押さえつけているじゃないですか!」


 若頭が笑った。


「俺は、綺麗ごとは言わん。立ちはだかるものを、排除しているだけや」


 修兄貴は、悔しそうに唇を噛む。


「貴方は、いったい何が言いたいんですか?」


 若頭が、修兄貴を真っすぐに見る。


「修」


 修兄貴も、勲兄貴を見た。


「何ですか」


 若頭が、身を乗り出す。修兄貴を見つめた。


「俺の物になれ。同じ死ぬんやったら、俺の為に死ね」


「……」


若頭が、熱く修兄貴を見つめる。


「俺は、お前が欲しくなった」


 修兄貴の顔が赤くなる。


「そんなことを言っても」


 修兄貴が、目を逸らした。


「お前は、真っすぐな奴や。そんなお前に、俺は惚れた。もう一度言う。俺の物になれ」


 修兄貴が、目を伏せたまま立ち上がる。


「仲間を裏切ることは出来ません。今日は、帰らせて頂きます」


 若頭が、修兄貴を見上げる。


「俺の言ったことを、よく憶えておけ。お前は、俺の物や」


 修兄貴が、ぎこちなくお辞儀をした。


「今日は、ありがとうございました」


 修兄貴が力なく歩き出した。重いドアに手を掛ける。俺は、そんな修兄貴に声を掛けた。


「兄貴、俺も待ってる」


 修兄貴が振り向いた。俺に向かって、弱く微笑む。

 ドアを開けて、出て行った。

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