第2話 カサブランカ
黒いベンツが、ミナミの街を走っていく。
夜の街は、いつも賑やかだ。赤色や青色のネオン管で装飾された看板が、街を鮮やかな原色で浮かび上がらせる。消えることのない花火のように、ピカピカと光り輝いた。その光は、人を誘惑する。まるで、蜂や蝶を誘う花のようだ。
目を輝かせた若造たちが、快楽の街ミナミに集まる。
人、人、人。
何処からやって来たのか、街が人で溢れかえっている。毎日が、お祭りのようだ。
この街を支配しているのが、安達組だ。
後部座席に勲兄貴が座っている。安達組の若頭だ。親分の息子になる。
俺は、そんな若頭を尊敬の眼差しで見つめた。
若頭が、俺に視線を向ける。
「もう、そろそろ、お前も、車の免許を取らんとあかんな」
「へい」
「いずれは、運転手兼ボディーガードとして、親父を護ってもらわなあかん」
「へい」
若頭が、難しそうな顔をする。
「しかし、お前の頭で免許……取れるか?」
俺は、言葉に詰まる。しかし、そんな俺を見て若頭が笑った。
「明日、教習所に申込みに行ってこい」
「へい、分かりました」
俺は、頭を下げる。
「ところでな」
「へい」
「これから会うお前の兄貴について、教えてくれ」
俺は、五歳年上の修兄貴のことを思い浮かべる。
優しくて勉強ができる兄貴だった。俺にとっては、自慢の兄貴になる。ところが、大学に行ってから、アカに染まった。資本主義を潰さなければいけないと、口にするようになる。
「勉強ができて優しい兄貴でした。算数が得意でした」
若頭が、顔をしかめる。
「それを言うなら、数学だろう。アホ」
俺は、頭を掻いた。
「そうでした」
「お前に拳銃を要求してくるくらいやから、組織では、それなりの立場ちゃうか?」
「そうなんですか?」
「アホ。俺がそれを聞いているんや。ホンマにお前はアホやな」
「すんまへん」
「拳銃の取引を、下っ端には任せられへんやろ。その窓口を担えるっていうことは、それなりの立場ちゃうかと、想像したんや」
「なるほど」
「隆」
「へい」
「ちょっと、心配になってきたんやが、今日の取引の場所と時間は、お前の兄貴に、ちゃんと伝えたんやろうな」
「へい、大丈夫です」
「お前の持っている拳銃も、ちゃんと確認したか?」
俺は、膝の上に乗せているボストンバッグを持ち上げた。ズッシリと重い。中には拳銃が入っている。
「へい、大丈夫です」
若頭が不安そうな顔をしながらも、笑った。
「アカ相手とはいえ、今回は、美味しい取引や」
「へい」
若頭が、腕を組んで目を瞑る。今度は、何か考え事をしているようだ。
「隆」
「へい」
「お前の兄貴、その学生運動から早く足を洗わせたほうがええぞ」
「えっ!」
「そのままやと、良くて刑務所、悪けりゃ死ぬで」
俺は、目を見開いた。
「俺たちヤクザも非合法やけどな、一定の秩序がある。それに、しのぎがある。しかしな、アカを叫んでいるアイツ等は、その秩序が育ってない。金もない」
「はー」
「思想だけで回していける程、人間は簡単ではないで」
「そんなもんですか」
「そんなもんや。人間の欲は、消す事なんか出来ん。利用して、なんぼや」
「はー」
「それにな、外に向けていたエネルギーが、内に向かい始めたやろ」
「どういうことですか?」
「内ゲバや」
「あー、仲間同士で揉めているやつですか」
「そうや。あいつら、大きくなった力を持て余しておる。仲間割れを始めたんなら、先は短いな」
ベンツが停車した。若頭と俺は車を降りる。取引場所になるスナックを、俺はジロジロと観察した。
外からは、営業しているのかどうかが分からない。「カサブランカ」と書かれた小さな看板があるだけで、窓もなかった。
――商売をする気があるのだろうか?
そんな風に勘ぐってしまう。
「お前は、初めてやな」
「へい」
「ここは、俺の情報源なんや」
「情報源?……ですか」
「ここのママはな、ミナミのホステスの総元締めみたいな奴や。面倒を見てきたホステスをそれぞれ独立させて、未だにバックアップをしている」
「それが、情報源になるんですか?」
「ああ、ホステスたちは、何でも知っているで。情報の塊や。ミナミに関係している連中のことやったら、警察の汚職から、政治家さんの女事情まで、色んなことを知っとる」
「はー、そんなもんですか」
若頭が、ニヤッと笑った。
「入ろうか」
若頭が重いドアを開けた。中に入る。俺も、その後に続いた。
暗い店だった。カウンターと、四人掛けのボックス席が二つあるだけの小さなスナックだった。
「よっ、世話になるぞ」
カウンターの中に、二人の女性が立っていた。この店のママらしき女性が、俺を見る。
俺は背筋が凍った。雪女の昔話を思い出す。
――妖艶な。
そうとしか表現のしようがない女だった。美しい外見とは裏腹に、底が見えない怖さを感じる。俺は、目を離すことが出来なかった。
そんなママが兄貴に挨拶をする。
「いらっしゃい、若頭」
もう一人の女性が、俺を見てほほ笑んだ。
「いらっしゃい、隆君」
君付けで、名前を呼ばれた。俺は激しく動揺する。目を凝らして、その女を見た。
薔薇の花束を持っていた女だった。たしか、山本リンダ……じゃなくて。
「雅……だったか」
若頭が、驚いて俺の顔を見る。
「お前たち、知り合いか?」
俺は、眉間に皺を寄せた。
「知り合いというか、前に迷惑を掛けたことがあります」
雅が、俺の答えに反応する。
「そうなのよ。隆君ね、迷惑を掛けたお返しに、私の為に何でもしてやるって、息巻いていたのよね」
雅が、意地悪そうな笑みを浮かべる。俺を上目遣いで見た。
「何でもって……薔薇の花束の弁償だろう」
「その百倍ね。まだ、返さなくていいわよ。その時が来たら、お願いするから」
若頭が、カウンターの椅子に座りながら、俺に笑いかける。
「お前も座れよ。しかし、えらい奴に食いつかれたな。お前、こいつに、骨の髄までしゃぶられるぞ」
俺もカウンターに座る。その時、ママが俺の顔を見つめていることに気が付いた。俺は、顔を歪ませて、会釈をする。
――この女、やっぱり怖い。
本当に雪女じゃないのか。そんな気持ちにさせられる。こんなことは初めてだ。
ママが、微笑む。
「はい、おしぼり」
若頭と俺の前におしぼりを置いた。若頭に問いかける。
「何にする?」
若頭が、おしぼりで手を拭く。
「取引前やしな、ビールをくれ。隆にもな」
雅が、ジョッキにビールを注ぎ始めた。目の前にビールが用意される。
兄貴がジョッキを掴んだ。美味そうに飲み始める。俺も、ジョッキを掴んだ。
「隆君」
ママが、俺を呼んだ。
「なんだ」
「良い名前ね」
俺は、眉間に皺を寄せる。
「そうか? どこにでもある名前や」
ママから視線を外した。
「隆君。可愛いわね」
プハッ!
思わずビールを噴き出してしまった。
「キャー! あんた、汚いわね」
雅が叫んだ。俺を睨みつける。
「スマン」
若頭が、面白そうに笑っていた。
雅は顔を歪ませて、おしぼりで汚れた個所を拭き始める。
生まれてこの方、俺は「可愛い」なんて言われたことが無かった。どうも、自分のペースが掴めない。
そんな俺に向かって、またママが呟いた。
「ますます、可愛い」
俺は、眉間に皺を寄せる。
そんな俺に、若頭が呟いた。
「隆、この二人は親子やで」
目を丸くして、二人を見た。ママが口に手を当てて笑っている。
「やーねー、若頭。バラしたら駄目じゃない」
俺は、ママを見た。
雅の母親ということは、四十歳を超えているのだろうか……見えない。二十代で十分通用する。二人が姉妹と言われたら、俺は素直に納得をするだろう。
若頭が、楽しそうに笑う。
「隆、ママの相手をしてやれよ。命を吸い取られるぞ」
ママが、俺を見つめる。
「隆君。若頭の言葉を、真に受けないでね。私は、由紀恵。飲みたくなったら、いつでも来ていいのよ。若頭のツケにしておくから」
そう言って、由紀恵ママが若頭を睨んだ。
兄貴が、嬉しそうにビールを飲む。
ギーイ。
その時、カサブランカのドアが開けられた。二人の男が入ってくる。一人は、修兄貴だった。
立ち上がる。俺は、兄貴を出迎えた。
「兄貴、久しぶりやな」
修兄貴が、俺に向かって手を伸ばす。握手した。
「久しぶり」
若頭が立ち上がった。俺は、修兄貴に若頭を紹介する。
「この方は、俺が世話になっている安達組の若頭」
若頭が、胸を張る。ゆっくりと笑った。
「安達です」
修兄貴が、若頭に頭を下げる。
「隆の兄貴です。木崎修と申します。こちらは組織でリーダーを務めています。黒川さんです」
一緒に来た男が、前に出る。
「黒川です。今日は宜しくお願いします」
勲兄貴が、両手を広げた。ボックス席に彼らを誘う。
「こちらこそ。良い取引をいたしましょう。どうぞ、こちらに」
二人がボックス席に座る。黒川と名乗った男の手には、ボストンバッグが抱えられていた。多分、銀行強盗で奪った金だろう。
取引が始まった。
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