第19話 お義父さんと呑ませて下さい!

「ん……」


 絆奈の唇から、かすかに甘い声が漏れた。

 鳴爽は絆奈の華奢な肩を抱き、唇を重ねている。


 正確に十秒、唇を重ねてから――


「……も、もうっ。こんなところで急になんですか」

「いつものキレがないぞ、絆奈」


 鳴爽は一度唇を離してから、今度は絆奈の細い腰を抱き寄せる。


「ダ、ダメですって。ここ、散歩する人たちも多いんですから」

「暗くて見えないんじゃないか? まあ、俺は見られても気にしないが」

「あ、あなたはそうでしょうね!」


 二人がいるのは、宿泊中の旅館の庭園だ。

 手入れの行き届いた綺麗な庭には、あちこちに灯籠を模した電灯がついている。


 夜の散歩コースに最適で、鳴爽たち以外にも客はいるだろう。


「ちょっと湯上がりのお散歩に、っていうから……ついてきた私が甘かったです……」

「でも、絆奈も俺の背中に手回してたじゃないか」

「そ、それは……き、気の迷いというもので! あなたと出会ってから迷いっぱなしですけど!」


 ぎゅうっ、と抱きついてくる絆奈。

 どうにも、言っていることとやっていることが裏腹だ。


 鳴爽は、素直になれない絆奈を抱きしめ、調子に乗ってお尻を撫でたりしつつ――


「ま、またお尻……一度触ったからって、いつでも好き放題にしていいわけじゃないですからね……?」

「なるほど、期間限定にすることでプレミア感を出すと」

「流行りのスイーツじゃないんですよ!」


「俺には最高のスイーツだけどな、絆奈のお尻は」

「ば、馬鹿じゃないんですか、あなたは!」


 もうっ、とふて腐れながらも絆奈は鳴爽に抱きついたままだ。

 素直になれない彼女はやはり最高に可愛い。


 さっき一緒に風呂に入って、絆奈ボディの未発見エリアも確認できた。

 今夜は、本当に最高の夜だ――


「……わ、私、もうお部屋に戻ります。お姉さんたちに変に思われますから」

「とっくに変に思ってると思うけどなあ」

「手遅れになってないと信じたいです……さ、先に戻りますから!」


 絆奈はぎゅうっと最後にもう一回強く抱きついてから、早足で建物のほうへ歩いて行った。


「同じ部屋なんだから、一緒に戻ればいいのに」


 鳴爽は苦笑して、庭を歩いて行く。

 キスとハグで興奮した身体を、軽く冷ましておきたい。


「……あれ?」


 庭を少し進むと、屋根のある休憩所――東屋があった。

 薄明かりに照らされたその東屋に、見慣れた姿がある。


 スマホを見ているようで、画面の光に顔が照らされている。


「お義父さん?」

「おう? なんだ、鳴爽か」


「もう目が覚めたんですか? てっきり朝まで熟睡かと」

「馬鹿言え、せっかくの温泉旅行で酔い潰れるとか最悪じゃねぇか」

「そうですね、夜は長いんですし……お義父さん、好きな人とかいます?」

「修学旅行か!?」


 冗談を言いつつ、鳴爽も東屋の座席に腰を下ろす。


 若菜父は座席に、チーズと炙ったスルメ、それにペットボトルのお茶を置いている。


「変な組み合わせですね。おつまみにお茶ですか?」

「これ以上酒は無理だからな。酒はダメだが、つまみは好きなんだよ。しゃーねぇ、おまえも食っていいぞ」

「では、いただきます」


 旅館の厨房でもらってきたらしく、チーズもスルメも上等なものだった。


「でも、どうしてこんなところに? 酔い覚ましなら、誰かに付き合ってもらえばよかったのに」

「娘たちには酌してもらったからな。もう充分だ。あとは若い者たちだけでってヤツだ」


「どうせ舞さんたちも今夜はしばらく寝ないでしょうから、家族でのんびりすればいいのに。一緒に戻りますか?」

「ふん、おまえに気遣いされるほど焼きは回ってねぇよ」


 父はチーズを齧り、お茶をぐいっと飲む。

 さっきから持っていたスマホに目を落とし、じーっと無言で液晶モニターを眺めている。


「なに見てるんですか?」

「『僕は愛しか信じない』」

「え? 俺のラノベですか? どうしてお義父さんが持ってるんです?」


 鳴爽が、若菜父のスマホの画面を覗くと、確かにそこには見覚えのある文章が表示されていた。


「みつばにもらったんだよ。おまえがあいつに送ったんだろ?」

「ええ、書き上げてすぐに。応募原稿は商業発表さえしていなければ問題ないので。カノジョに読ませても大丈夫なんです」

「中学生をカノジョ扱いすんな。ま、おまえの努力とやらを具体的に確認してみたくなってな」

「はぁ……」


 どうせ、大賞受賞作品は大幅にリライトして出版することになっている。

 身内に読んでもらうことくらいは、なんの問題もない。


「しっかし、一つ屋根の下ラブコメとはなあ。俺が若い頃にこういう漫画、たくさんあったわ」

「普遍的なテーマですからね。ラノベでも珍しくないですよ」


 鳴爽は、スルメをもぐもぐ噛みながら。


「でも、目の前で作品読まれるのって恥ずかしいですね」

「…………」

「なんですか?」

「いや、鳴爽にそんな人間らしい感情があったのかと驚いてる」

「俺もメンタル的にはただの高校生なんですけど」


 少なくとも、鳴爽自身はそのつもりだ。

 いくらスペックが高くても、性格までは熟成できていない。


「……ふん、俺はおまえとなんの話をしてんだろうな。やっぱ、酒ももらってくりゃよかった。なんだ、この状況? シラフでやってられねぇ」

「あの、お義父さん?」

「なんだよ?」


「お義父さん、本当はお酒呑めるんじゃないですか?」

「……弱いことには変わりねぇよ」


 父はごくごくとペットボトルのお茶を一気に飲み干した。


「おまえ、よくわかったじゃねぇか」

「舞さんは一滴も呑めないと思ってるみたいですけど、本当に呑めない人はビール四杯なんて絶対に無理ですからね」

「なんだ、おまえ酒呑んだことあんのか? 不良だな、娘たちはやれねぇよ」

「もう不良じゃないですよ。呑んだこともありません」


 中学時代はちょっとばかりヤンチャだっただけで、不良でもヤンキーでもなかった。

 絆奈は言いたいことがありそうだったが、鳴爽自身の認識ではそうなっている。


「身内に下戸がいるんですよ。その人は文字どおり一滴もダメなくらいで」

「そういや、おまえの家族の話は聞いてねぇな。こっちは手の内を明かしてんのに」


「あまり明かしてないでしょう。まあ、ウチは四人兄弟で俺は末っ子、上に兄貴が三人います。四兄弟なんですよ」

「そりゃあウザそうだ」


「まったくです。で、一番上の兄貴の奥さんが呑めない人なんですよ」

「兄嫁か」

「ええ、響きがちょっとエロいですよね」

「悪ノリすんなよ。義弟が言うと、生々しいわ」


「義姉に比べれば、お義父さんの呑みっぷりはよかったですからね。下戸じゃないのはわかりましたよ」

「酒なんて呑まなくても生きていけんだ。呑むメリットなんて皆無と言っていい。親父の酔っ払った姿なんて、娘たちに見せたくねぇんだよ」


 娘に醜態を見せないために、まったく呑めないことにしているらしい。


「たまにならいいんじゃないですか。酔って暴れるわけじゃないんでしょう?」

「その前に潰れるからな。でも、今日は調子に乗っちまった。俺、どうかしてんなあ」


 父は面白くなさそうに言い、最後のチーズをつまんで口に放り込む。


「良くも悪くも悪くも、おまえが現われてからウチは変わったんだよ」

「不自然なところが繰り返されてるのは気づかなかったことにしますね」


「そうしろ。ま、どっちみち変わらないものなんかねぇんだ。娘たちはずっとあの家を出て行かないなんて言ってるけどな。現実は、そうはいかんだろ」

「舞さんたちは本気みたいですよ」


「舞こそ、明日明後日に出て行ってもおかしくねぇよ。もう大人なんだからな」

「まだスネを齧りたいみたいですけど」

「そんなもん、好きなだけ齧らせてやるさ。けどな、俺の役目は娘たちを家に縛りつけることじゃねぇ」


 父は東屋の背もたれに、深くもたれかかる。


「もしあいつらが全員家を出ても、娘たちがちょいと疲れたときに、安心して帰ってこられる場所を守ることさ。俺は、ずっとあの家にいるからな」

「……一人になってもいいんですか?」

「娘たちとの一つ屋根の下の暮らしは、充分楽しませてもらった」


 そう言って、父は初めて少しだけ笑った。

 鳴爽も、つられたように笑ってしまい――


「でも、誰も出て行かないかもしれないし、出て行くとしてもみつばちゃんなんて、下手したら10年も先ですよ」

「この歳になりゃ、10年なんてあっという間さ。俺、こう見えてもう48なんだぞ」

「えっ、思ってたより歳いってますね」

「正直すぎんだろ、言い方が!」


 怒られてしまった。

 しかし、鳴爽は父は40歳そこそこかと思っていた。


 考えてみれば長女の舞が21歳なので、40歳はありえなくはないが若すぎる。

 父の見た目が若いので、鳴爽はすっかり勘違いしてたようだ。


「歳はいってるが、健康優良児だぞ。フリーで仕事しててもちゃんと健康診断受けて、娘たちにも結果見せてるからな! 毎年オールグリーン、異常なしだ!」


「そうですね、俺もモデルとか本とかの稼ぎだけで四人を食べさせるのは難しそうなので、お義父さんには頑張ってもらわないと」

「おまえに娘たちを養わせるつもりはねぇよ!」


 そう言うと、若菜父は立ち上がった。


「やれやれ、マジでなんの話してんだ。そろそろ部屋に戻るぞ。なんか冷えてきた」

「そうですね。もう一回、温泉行きますか?」

「……しゃーねぇ、行くか。俺、まだ一回しか入ってねぇしな」

「俺は次で三回目ですね」


「……ん? ちょっと待て。おまえ、一人で温泉入ったんだろうな?」


 やはり、カンのいい父だった。


「おい、目ぇ逸らすんじゃねぇよ! お、おまえ、性懲りもなく俺がいるのに娘たちとなにしてんだ!」

「だ、大丈夫です、まだ(仮)の絆奈以外に手を出すつもりはないですから」

「どうもおまえは信用しがたい……」


 じろりと父に睨まれ、鳴爽は慌てて先に歩き出す。


「まあ、鳴爽よ」

「はい?」

「おまえは気に入らない野郎だが、娘たちには気に入られてるみたいだからな」

「はい」

「認めんなよ。あー、調子狂う野郎だ。とにかくな、もしもおまえが俺の出した条件を達成できたら……そうだな、どうせ何年も先だろう」

「そうなりますかね」


 四姉妹の夢を叶えること。

 その道のりは、まだ第一歩にすらたどり着けていない。


「そのときには、おまえも酒が呑める歳だろう。一杯くらい、俺に付き合え」

「……四杯いけるでしょう。俺も頑張って呑めるようになりますよ」


「ふん、ああ言えばこう言う野郎だ。可愛くねぇ」

「孫はきっと可愛いですよ」

「おまえは俺の孫をつくる過程を楽しみたいんだろ!」


 どこまでもカンが良く、鋭い父だった。

 鳴爽はまた笑ってしまい――


 やはりあの四姉妹を好きになって、この若菜父とも出会えてよかった。

 本当にそう思えた――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る