第7話 三女と父を家に招待させて下さい!

 鳴爽なるさわが一人暮らし中の自宅は、駅から徒歩三分のところにあった。


 12階建ての、まだ新しいマンションだ。

 駅から近い割に、周りは静かで環境も悪くない。


「これがタワマンってヤツか……?」

「いえ、お父さん。タワマンって20階以上とかじゃありませんでした?」


「10階でも20階でも俺から見りゃ同じだよ! タワマンだよ! 富の象徴だよ!」

「まあ、確かにデザインも小洒落てますし、お高そうですね……」


 マンションを見上げているのは、若菜父と絆奈きずなだ。


 絆奈はキャメルのブレザーとミニスカートという、いつもの制服姿。

 父のほうは、黒の革ジャケットに濃いブルーのジーンズという、五月には少し暑苦しい格好だ。


 父は自宅ではいつも作務衣なので、だいぶイメージが違う。


「わざわざ眺めるほどのこともありませんよ。お義父さん、絆奈、こっちへどうぞ」


 二人を先導している鳴爽も制服姿だ。


 今日は放課後になって、絆奈と二人で下校し、父と鳴爽家最寄り駅で落ち合った。

 そこから三分歩いて、鳴爽家に到着。

 こうして、若菜家の二人がマンションを見上げているところだ。


「鳴爽、おまえいいトコ住んでんだなあ」

「詳しくは聞いてませんけど、ウチの父親が愛人を住ませてたマンションだと思いますよ」

「あ、愛じ……」

「おまえ、さらっととんでもないこと言うな……」


 絆奈が絶句し、父も呆れとも哀れみとも言えない複雑そうな顔をしている。


「父が借りてる部屋の一つですが、俺の前は若い女が住んでたってらしいので」

「おまえの親父さんって――いや、やめとこう」


 父は気まずいような顔になって黙ってしまう。

 別に鳴爽には自分の家族関係も隠すつもりはないが、自分から話そうとも思わない。


 会話が一度途切れて――


「あ、あの……鳴爽くん、変なことを訊いてもいいですか?」

「いいよ、なんでも」


「その、あなたのお父様と愛――女性がいた部屋で暮らしていて……なんというか、大丈夫なんですか?」

「別に物理的に困ることはないし。その女性が出て行って、だいぶ経ってたらしいから」


 もちろん、鳴爽は絆奈がなにを言いたいのかわかる。

 父と若い女が情事に耽っていた部屋など――要するに不快ではないかという話だ。


 言ったとおり、鳴爽は微塵も気にしていない。

 過去の住人がなにをしていようが、物理的に壊れていたり嫌な匂いでもしていなければ、どうでもいいことだ。


「……こいつ、変なトコでドライだな。鬱陶しいくらい暑苦しいヤツだと思ってたが」

「鳴爽くん、複雑な性格みたいですね……」


 ヒソヒソと若菜父娘が話しているが、鳴爽は気にせずにマンションのエントランスに入る。

 豪華絢爛とは言えないまでも、立派なものだった。


 ずらりと並んだ宅配ボックス、オートロックの操作パネル。

 その奥のロビーにはソファとテーブルがある。

 来客とちょっとした話をするためのスペースだ。


「ウチは五階です」


 鳴爽たちはエレベーターに乗り、五階へと上がる。

 そこからしばらく廊下を進み、鳴爽はカードキーでドアを開ける。


「わぁー、廊下も壁もピカピカですね」

「こら、絆奈。あまりハシャぐんじゃない。上京した田舎者みたいになってんぞ」

「そ、そうですね。落ち着きましょう」


「ん? なんだ、この小部屋……って下駄箱か!? わざわざ靴を収納するスペースがあんのか!?」

「お父さんも落ち着いてください、シューズクロークというヤツです。お友達の家で見たことがあります」

「マジか……俺、このシューズなんたらで暮らせそうだぞ」


「……大丈夫ですか、二人とも?」

「お、おお。いくつになっても人ん家って物珍しいもんだな」


「鳴爽くん、私、大変なことに気づきました」

「え? どうかしたのか?」


「私……男の子の家に来たの、生まれて初めてです」

「これが最後になるな」

「私、ここで死ぬんですか!?」


「いや、俺以外の男の家になんて行くことはないだろ? 永遠に」


「……前から思ってたが、こいつなかなか独占欲強いな」

「そうでないと、四人姉妹を独り占めとか考えないですよ」


 廊下を歩きながら、父娘は変わらずヒソヒソ話している。


「そんなに広くはないんで、シューズクロークなんて余計なスペースなんですけどね。間取りは1LDKですよ」


「ほう、間取りはウチの勝ちだな。若菜家は6LDKだからな」

「広いだけでボロボロですけどね……」


「へぇ、俺は二階はまだ上がってないんですけど、部屋数多いんですね」

「二階は娘たちの部屋しかねぇからな。上がらせてたまるか」


 鳴爽は若菜家の間取りを頭の中に描く。

 出入りしたことがあるのは、居間くらいだ。

 一階には他に部屋が二つあって、どちらか――あるいは両方が父の部屋なのだろう。


 自宅仕事なら、仕事場と私室兼寝室で分けているのかもしれない。


「ここがウチのリビングです。なにもないですが」


「……ほ、本当になにもねぇな」

「ミニマリスト、というアレですか、鳴爽くん……?」


 若菜父娘は、揃ってぽかーんとしている。


 鳴爽家のリビングは10畳で、中央に白い小さなテーブルが一つ、その前にクッションが一つ。

 テーブルの上には参考書や辞書、筆記用具。


 窓際にはシンプルな木製のスタンディングデスクがあり、そこにノートPCが乗っている。


 壁際のコンセントから伸びたケーブルには11インチのタブレットが繋がっていて、無造作に床に置かれている。


さらに、部屋の隅には薄型マットレスと掛け布団。


「おまえ、リビングで生活してんのか?」

「もう一つ、五畳の部屋があるんですが……虚無ですね」

「虚無!?」


「ああ、ベッドがあるだけですね。そうだ、シーツは洗ってあるけど、今のうちに洗濯し直さないと。近いうちに使うわけだし」

「私を見ながら、ベッドがどうこう言うの、やめませんか?」


 絆奈が顔を赤くして、嫌そうに言う。


「親父がいるのを忘れて言うのもやめような?」

「俺、お義父さんがいても普通に言えますけど?」

「それをやめろっつってんだよ! 親父が一番聞きたくない話だぞ!」


「お義父さん、意外とナイーブですね……」

「おまえがデリカシーゼロなんじゃねぇのか?」

「今時はゼロが流行りですよ」

「ストロングとか糖質とかじゃねぇんだよ」


「あ、それで思い出した。飲み物くらい出さないと」


 鳴爽はリビングからキッチンへと移動する。

 冷蔵庫から飲み物を取り出し、グラスに注ぐ。


「お待たせしました。どうぞ」


 テーブルに三人分の飲み物を並べる。

 ペットボトルのアイスティーで、今日はあたたかいのでちょうどいいだろう。


「ストロングがどうこうとか話したから、チューハイが出てくるかと思ったぜ」

「ウチは高校生の一人暮らしですよ。酒なんてあるわけないですよ」


「いただきます。それにしても……鳴爽くん、本当に大丈夫なんですか?」

「なにが?」


「なんというか……言いにくいんですが」

「なんでも言ってくれていいって」


「そ、そうですか。その……ここの生活は、ずいぶん寂しそうに見えるんですけど」

「四姉妹が毎日通い妻してくれれば、寂しくなくなるな」

「おい! この薄ら寂しい部屋、演出なんじゃねぇだろうな!?」


「まさか。哀れみを誘うなんて、セコイ真似はしませんよ。四姉妹を連れ込むなら正々堂々、お義父さんにもOKをもらってやりますよ」

「堂々としてりゃいいってもんじゃねぇぞ!」


 父は怒鳴ると、喉が渇いたのかごくごくと一気にアイスティーを飲み干す。


「ふう……まあ、通い妻はともかくだ。ぶっちゃけ、あまり良い環境とは言えねぇぞ、これ。ガキの部屋なんて、大人にはガラクタにしか見えねぇものでいっぱいなもんだろ」

「俺はあまり物欲とかなくて……ほしいのは四姉妹くらいですね」

「やらねぇぞ」


 父がぎろりと鳴爽を睨んだのと同時に、スマホの振動音が聞こえてきた。


「っと、俺か。ちょいと電話させてもらうぞ。あ、はい、お疲れ様です」


 父は立ち上がりながら、よそ行きの声で話し始めた。

 そのままリビングを出て、廊下で話を続ける。


「お義父さん、仕事の電話かな?」

「たぶん、そうでしょう。あれでなかなか忙しいようですよ」

「昨日の今日でウチに来たから、てっきり暇なのかと思ってたよ」

「そんなこと言ったら、また怒られますよ……」


 絆奈もごくりとアイスティーを一口飲む。


「鳴爽くん、ご飯はちゃんと食べてますか? お掃除は……簡単そうですけど、洗濯もできてますか? 生乾きの服とか着てはいけませんよ?」

「彼女(仮)のはずなのに、オカンみたいになってるぞ、絆奈」

「うっ……い、いえ、ウチでは私が家事をやっているので、つい家のことが気になってしまって……」


「そうなのか、食事を絆奈がつくってるのは知ってたけど」


 とはいえ、舞は大学生で帰りは遅いようだし、乃々香は生徒会長。

 みつばはまだ中学生。

 もちろん、父は仕事がある。


 そうなると、自動的に絆奈に家事が回ってくるのだろう。


「俺も家事はそれなりにやってるよ。まあ、この1年くらい忙しかったから、けっこう雑だったけどな」

「その節は無理難題を吹っかけて……でも、そうですね」


 絆奈は、グラスをテーブルに置いて、すうっと息を吸い込んだ。


「か、通い妻というネーミングはともかく。私ができるだけ鳴爽くんの家に来ることにします。あなたがどんな生活をしているか、確かめないと」

「……四姉妹みんなじゃなくて?」

「私が一人でやりたいんです。あなたを多忙にさせた原因は、私にもありますから」

「それは気にしなくていいのに」


「気にします! なんだかこの家を見てたら、放っておけなくなりました!」

「うん、放っておかれたくないな、俺」

「めちゃくちゃ甘えたことを臆面もなく言いますね、鳴爽くん……ですが」


 絆奈は呆れつつも、気を取り直したようだ。


「他の姉妹は、そのうち別の役割を見つければいいんです。通い妻――いえ、鳴爽くんのお世話は私がやります!」

「メイド服買ってくるから、身体のサイズをもっと詳しく教えてくれ」

「メイドをやるとは言ってませんよ!?」


 鳴爽はとある筋からの情報で、絆奈の身長体重バストサイズまでは知っている。


「おい、メイドがどうとか聞こえたんだが……なんの話をしてんだ、おまえら?」


 電話を終えたらしい父が、廊下からリビングに戻ってきた。


「お父さん、私決めました。鳴爽くんは私たちの無茶ぶりに応えてくれたんですから、私たちも彼に応えなければいけないんです」

「……四姉妹全員をくれ、っていうのは俺が認めない限りNGだぞ」


「その条件は変わりませんが、私たちそれぞれの判断で、鳴爽くんに応えます」

「なんか、鳴爽の思い通りに事が運んでねぇか?」


「気のせいですよ、お義父さん。絆奈がメイドをやるって言ってくれたのも、俺には予想外ですから」

「メイドをやることに決まっているのが、私には心外なんですが」


 そう言ってから、絆奈はさっと立ち上がった。

 チェックのミニスカートがふわりと揺れ、座ったままの鳴爽の目に白い太ももが飛び込んでくる。


「いえ、上等です! メイドくらいやってやりましょう! 今時、女子高生にはメイド服くらい普段着みたいなものですよ!」


「そ、そうだろうか? ラブコメ漫画とかに毒されてねぇか、絆奈?」


 いきなり決意をあらわにした娘に、父が動揺している。


 実際、鳴爽はなにも計画など立てていない。

 四人からの試練を達成したあとのことは、1ミリも考えていなかった。


 だが、それでも四人の娘さん全員をもらう、という目的に変わりはない――


 ピンポーン、と。

 今度は家のチャイムが鳴った。


「はい」


 鳴爽は、リビングのドア横にあるインターフォンを手に取った。

 壁の液晶モニターには――


『やっほー、鳴くん。来ちゃった♡』

『お、お姉ちゃん、恥ずかしいよ……』

『お兄さん、すっごいマンションだね! ボクも住みたい!』


 見慣れた三姉妹の顔が表示されていた。


「え、なんで舞たちが?」

「鳴爽くんのお家にお邪魔するとは言ってありますが……場所は教えましたっけ?」


 鳴爽が、絆奈と父のほうを振り向くと、二人は首を傾げていた。

 二人が呼んだわけではなさそうだ。


 鳴爽も、まだ舞たちに自宅の場所を教えた覚えはない。

 だが――もちろん、四姉妹の勢揃いを歓迎しない理由などあるはずもなかった。

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