第30話〝狩り鐘惨〟劇、愛でたし、召で足し

『カァァァァアッネエエエ……! カァ…ネエ…ェ! カア……アッネェッ! オオオオ代ヲォヲ……! 寄コオオ………オ! セ』

「せんせ、あんた弟子の声も聞こえんくなってもたのか」


 百舌鳥もずかやに「もっとけ」と後ろも見ずに手錠を投げ、銀鑰ぎんやく神立かんだち浄宗きよむねの鯉口を切った。すらりと払われた刀身が、別天べってんの持つ懐中電灯を受けてさあっと輝く。

 刀って流れ星みたいに綺麗なんだな、と茅は息を殺しながら思った。


黒葛原つづらはら一文字いちもんじ流、〝丨々コンコン〟。あんたに教えてもろた間合い取りやぞ」


 百舌鳥はすり足で畳上を移動し、紙一重の所でがねの剣先をかわす。走るどころか、素早く動いて見えないのに、なぜか剣が届かない。

 茅は手品かだまし絵を見ているような気分だ。


遠間とおまにいる間にこっちは気合い充分。触刃しょくじんの間にも入らん気か?」


 百舌鳥が言っているのは剣術の話のようだが、茅にはよく分からない。彼は右脇に、狩り鐘は下段に剣を構え、少女の衛星になったように部屋をぐるぐると回る。

 確実なのは、今動いたら危ない、ということだけ。


「今のあんたは心もはらも攻め合いに入るどころとちゃう。まったく気ぃ練られとらん。に入るまでものうて、崩れきりくさって!」


 ただ、百舌鳥が圧倒的に有利で、かつ彼は師のふがいなさに腹を立てているらしかった。百舌鳥はじわじわと間合いの中心から茅を外し、意を決して動く。

 否、「意が決する」とでも言うべき刹那。


「こんなにも簡単に押さえられたか! あんたの枕は!」


 黒葛原一文字流・十の組み太刀は表五筆、下略げりゃく(下段)しての構えからの切り上げは、狩り鐘の被った三角コーンを逆さ唐竹割りにした。

 切っ先は鴨居に当たるが、そのまま振り抜かれて百舌鳥の手元へ収められる。


 枕とは、いわば技の起こりだ。これをいかに取り合うかが勝負の始めも始めだが、それすら易々と百舌鳥は取ってしまった。

 茅がそんな細かいことを知ったのは後のことだが、百舌鳥は拍子抜けした、という顔になる。「あんた、本当にあの雁金かりがね古都久ことひさか?」と悲しげにつぶやいた。


『グゥゥオオ……、ウウッウ…ゥ』


 百舌鳥は神立浄宗を納刀し、無防備に狩り鐘に近づく。べりり、とその頭部を形作る三角コーンを大きな目玉ごと剥がし、中から出てきた顔に息を呑んだ。

 茅には、写真で見た雁金そっくりに思えたその顔は。


「……黒藤くろふじ由之丞ゆきのじょう!? なんでおどれがここに!」

「えっ」

「どういうことだ!」

「雁金先生のお兄さん!?」


 茅、道眞どうま、別天がそれぞれ驚いた時。


「ざああぁあんん!

 ねぇぇんん!

 でえぇ!

 しいいぃ!

 たあぁぁ!」


 茶の間の出入り口に、男の声が高らかに響いた。四角い眼鏡をかけた初老の男性、アースグリーンのレインコートには、べっとりと血が付いて、日本刀を提げている。

 震える声で、百舌鳥は恩師に声をかけた。


「せん、せ」

「ヤマ坊。われが知っとる雁金古都久は、さとちゃんが死んだ時おらんようになってん。破門にしたのも、それをわれにも自分にも、気づかれとうなかったからや」


 唐突に、雁金はげわらげわらげわら、と音程の狂った笑い方をする。倒れたままの狩り鐘――黒藤も、同じように笑い出した。


 げわらげわらげわら、げわらげわらげわら、げわらげわらげわら。

  げわらげわらげわら、げわらげわらげわら、げわらげわらげわら。

   げわらげわらげわら、げわらげわらげわら、げわらげわらげわら。


  げわらげわらげわら、げわらげわらげわら、げわらげわらげわら。

   げわらげわらげわら、げわらげわらげわら、げわらげわらげわら。

    げわらげわらげわら、げわらげわらげわら、げわらげわらげわら。


 げわらげわらげわら、げわらげわらげわら……高らかな嘲笑がホコリ臭い廃屋に反響し、その色も音も声も臭いもこんなに手遅れだぞと宣言しているようだ。


 雁金はあばら骨が飛び出しそうに胸を反って、なおも笑った。


「そやからさあ! 兄貴が白取しらとり殺しの仕事を持ってきた時、あいつに全財産をくれてやったのや。〝白取淑郎よしろうを殺してくれ〟って! やけど、終わってみたらムカついてムカついて……まだマトモな振りしとった自分が悔しゅうって。白取を自分でやっといたらなあ~って、由之丞を殺したんだよぉ!」

「嘘や。せんせ、あんたは娑輪しゃりん馗廻きえに取りこまれて、おかしなっとるんや!」


 丸腰で雁金に近づこうとする百舌鳥の肩を、「落ち着け」と道眞がつかんで引き留める。振り払いかけるその手を、茅が握って止めた。


「ばーか! わしは生前からもうとっくにこうやったんやで! さっき言うたやろ、われが知っとる雁金古都久は死んだんやってな!」

「大阪でうた黒藤は、嘘をついとる味がせなんだぞ!」


 黒藤がもう死んでいるなら、百舌鳥が大阪で会ったのは幽霊……つまり霊餌ということになる。店員や他の客にも、黒藤はきちんと認識されていた。


「そらそうやろ。あいつの魂はわしが食うてわしのもんになった。分霊ぶんれいって分かるか? ワケミタマな。記憶と意識の一部だけ取り出して、われの前に出してん。本人が嘘や思とらん嘘まで、われには見抜けん」

「どうして、わざわざそんなことをしたの?」


 茅は黙っていられなくて口を開いた。雁金先生は百舌鳥の大切な人だったのに、こんな意地の悪いことをしているのか。納得がいかない、ぜんぜん、納得できない。

 しかも食べたということは、兄をたま餌食えじきしてしまった、ということだ。


「〝閻魔童子〟のお手伝いや。可愛い弟子をこっち側に呼び寄せとうて電話をかけたのに、もうずっと前から先約があるって言うやんけ。しゃあないから、せめて童子さまのために、われを少々いじめちゃろう思てなあ」

「いじめるって……おじさん、もずもずの師匠でしょ! おとうちゃんみたいな人だったんでしょ!? どうしてそんな、ひどいこと出来るの!」

「茅ちゃん、やめなさい。この霊に話してもきっと無駄よ」


 孫をさとしながら、眼帯の老婦人は着物の袂から白い縄を飛ばした。雁金は「おっと」と軽く避けるが、背後にいた黒藤は縛り上げられる。


『ギャァアアァ! ッァアァアア!』


 道眞は「痛いんだよなあ、あれ」と嫌そうに顔をしかめた。百舌鳥が再び、神立浄宗を抜いて中断に構える。切っ先の向こうには師の正中線しょうちゅうせん


「あんたは外道にちたか」

「外道がなんや、こっちは娑輪馗廻やぞ! 六道輪廻のその先じゃ! わしが外道なら、ヤマ坊、われはなんや? 閻魔童子に恨まれて当然の小僧が!」

「何――」


 百舌鳥が問い返す隙もなく、ぶつっとフィルムを変えたように雁金古都久の姿はその場から消えた。茅は「えっ!?!?」という自分の声で喉がひっくり返りそうだ。


「き、消えちゃった……」

「クソッ!」


 百舌鳥は手近な壁に拳を叩きつける。

 後には、別天の結神縁けっしんえんに縛られた黒藤由之丞だけが残されてた。



かむろぎかみろみの御言みこともちて、伊邪那岐いざなぎの大神おおかみ筑紫つくし日向ひむか非時ときじくかぐの花、小戸をど阿波岐原あはぎがはらみそぎはらひたまひし時にせる、祓戸はらへどの大神々おほかみがみ。もろもろの曲事まがごと罪穢つみけがれを、祓ひたまへ清めたまへとまをす事のよしを、ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、もも、ち、やほよろずの神々とともに、あま斑駒ふちこまの耳ふり立てて、聞こしめせとかしこかしこまおす。悪しきを祓ひて、どうぞ南無なむ速佐須良媛はやさすらひめのみこと


 別天が祝詞で場を清浄なものに整え、道眞は自身の心身を整える。


「もろもろの曲事まがごと罪穢つみけがれあらむをば、祓へたまへ清めたまへ、速佐須良はやさすらひめ。ざばりかえばれ、南無なむ速佐須良はやさすらひめのみこと、ざなじがえなけ、南無なむ速佐須良はやさすらひめのみこと


 そうして、黒藤由之丞はぱりぱりと彼に食べられて、霊廻たまえしきされた。


――この神餌ひとは本当に、美味しそうに霊魂を食べちゃうなあ。


 霊廻式を終えた道眞の横顔は、真新しい朝陽の中にいるように輝いて、彩り豊かに見える。目が生き返って、発散するオーラのようなものが違っていた。

 今まで彼はずっと、ずっとお腹が空いていていたのだ。それが大好物を食べた子どもみたいに満足したから、嬉しくってたまらないのだ、と茅は気づく。


 それだけなら良いことのはずなのに、茅は道眞の表情がどこか引っかかった。なぜだろう? と、自分の胸の奥に、こっそりこっそり問いかけてみる。

 霊魂を食べて満足した道眞の顔には、どこか勝ち誇ったような、優越感のような、ギラギラした何かが混ざっているからだ。


 香りを胸いっぱい吸いこもうとするように鼻を広げ、うっとりと目を閉じて、ほくそ笑むように口を閉じたその顔は。優しげで幸せで、しかし獰猛な獣じみている。

 次の瞬間には舌なめずりして、自分たちに食らいついてきそうな。そんな危うさを、茅は小さなゆらぎに見て取ったのだ。


 ああ、祖母が、別天が、決して気を許すなと言ったわけが分かった。

 やはり羽咋道眞は、魂を喰らう死者なのだ。

 


 雁金家の床下から、三角コーンを被せられた黒藤の死体が見つかった。

 なんのことはない、〝狩り鐘さん〟は「二箇所に出没」するのではなく「二人居た」のだ。四つ辻に出たのが雁金、雁金家に出たのが黒藤。

 だから雁金が語った、黒藤に金を積んで白取殺しを依頼したのも、それを後悔して実の兄をも殺害したのも、すべて事実なのだろう。

 そして滝華と雁金自身がどうなったかは、既に承知の通り。


「せんせは、警察官になった俺に逮捕されたら、自分を赦されへん気持ちが消えて、成仏できるおもとった。とんだうぬぼれやな、俺は……」


 ホテルの部屋でベッドに腰かけ、百舌鳥はがっくりとうなだれながら、道眞にこぼした。霊餌式の後から貝のように無言だったが、やっと口を開く気が出たらしい。


「まあ確かに、生出おいずるさんが洗脳された時とは様子が違う。雁金先生は、事実、外道に堕ちたんだろうが……それを無念に苦しんでいなかったら、霊餌になっていないんじゃないか? 別天先生は、無念や未練を核にして霊餌を作るって言っていただろ」


 なんで自分がこいつを慰めきゃいけないんだ、と思わなくもないが、放置しておくのも具合が良くない。気休めではなく、冷静に考えながら道眞は口を動かした。


「金を払えば自分の手は汚れない、そう思うのは間違いだ、滝華殺害時に彼はそう言ったんだとすれば……彼の未練は、やっぱり自分を赦せなかったことだろ」


 であれば、しかるべき手続きを踏めば、雁金をきちんと成仏させられるはずだ。


「それともなんだ、『おお、よしよし』って頭でも撫でて欲しいのか?」

「おちょくっとるのかおんどりゃ!!」


 ぶわっと顔を真っ赤にして立ち上がる百舌鳥は、本当に分かりやすい。道眞は笑いを堪えながら、荷造りをした。


「じゃあいつまでも、辛気くさい顔はやめてくれよ。今日はみんなでお彼岸屋敷に帰るんだからな」



 こうして二体いた〝狩り鐘さん〟のうち一体は、羽咋道眞によって喰われた。残りもう一体、雁金古都久が今も怪異として動いているのかは、判然とはしない。


 別天が占術で調べた限り、四つ辻にも雁金家にも、もはや気配はしないとのことだった。だが霊餌がいなくなっても、〝狩り鐘さん〟の儀式を行う者はいる。


 儀式が続く限り、〝狩り鐘さん〟はいずれ戻ってくるのかもしれない。

 お代を払う覚悟があるのなら……。

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