第20話 屍の心臓をつまむもの
「〝
ちょきちょき、と百舌鳥は手のハサミを閉じる。
「俺はショックで、事件のことも犯人のこともなんも覚えとらん。で……困ったことに、百舌鳥ヒロムは婚姻届も、出生届も出しとらんかった。俺との親子関係は証明されとるけど、事件当時には戸籍もなかった、ちゅうわけや」
「波乱に満ちた人生だな」
壮絶な身の上話が出てきたが、
「状況から分かったのは、犯人は家に押し入り、長期間監禁して暴行を加えたが、なんでか俺を殺そうとしたところで、おらんようになった。で、事件は迷宮入りと」
「母親は?」
「物心ついたときにはおらなんだな」
父方の親戚についても、まったく分からないらしい。……品性下劣なことを言えば、ある意味では道眞と百舌鳥は「兄弟」だが、その点は無視する。
老婦人の
「つまり、行政上の記録にも、当事者のヤマトさんの記憶にも、兄弟の存在はないのね。その古宮村に行けば、事件のことを知っている人もいるかしら?」
「と思うやろ? 残念ながら、古宮は十五年以上前に廃村になって、元住民がどこにおるか、俺も探すんは諦めたど。お手上げやな」
「刑事が簡単に音を上げないでくれ」
文句を言ったものの、そんな昔に廃村になった所の住民を一人一人探しだし、話を聞いて回るのは途方もない作業だ。道眞はまいったなと額を押さえた。
一方、
「もずもずが刑事さんになったのって、その犯人を捕まえるためなんだね!」
「勝手に想像しいや。ツラを拝んでやりたかったのは確かやが」はっ、と百舌鳥は鼻で笑う。「身に覚えも証拠もあらへん以上、あいつは俺の兄弟とちゃう。ははっ」
空き缶に石を入れて振り鳴らすような、空虚で乾いた笑いだった。切れ長の目から口元にかけて、冷たいものが百舌鳥の表情をカラカラにさせる。
一瞬、道眞には彼が干からびた死体のように見えた。
ずっと心に抱えていた憎悪ややるせなさが、ついに
「やっぱりキヨイは、殺し損ねた獲物に、死んだ後まで執着しているのか」
道眞は適切にかける言葉が思い当たらず、取り組んでいる話題を続けることにする。キヨイの言動は舌足らずで稚気に満ちていた。だが、鬼の大将・酒呑童子のように、文脈によっては成人も童子と呼ばれる。子供の霊とは限らない。
考えれば考えるほど、あいつのことが分からなくなっていく。
「……そんなものに、僕たちが生かされているなんてな」
死んだ体で生き返って、なんでもないように振る舞うのは違和感の連続だ。光を見ても目が痛くならないから、適宜瞬きしたり、目薬がいる。
しゃべろうとすると、呼吸をし忘れて空気がないから声が出なかったり。でくの坊にでもなった気分、と言うのだろうか。死んだ体で動くのは、気持ちが悪い。
時間が経てば経つほど、一瞬ごとに
なんだ、自分も百舌鳥も、大したどん底にいるものだ。
道眞はそれに気づいて、少し浮わつくような気分になった。抱える懊悩は別々のものでも、同じぐらい追い詰められた道連れがあるのは悪くない。
「別天先生、念のためお訊ねしますが、
「死んだものは生き返らないのよ。自然な流れに戻すなら、やはり
途中で別天の口が重くなった。
「問題は教団のメンテナンスが受けられない以上、定期的に神餌か
「つまり俺と葬儀屋でゾンビと怪異どもをぶちのめして、葬儀屋が幽霊を食い続けな、
百舌鳥が簡潔にまとめると、猫を抱えた茅がふんすと鼻息も荒く立ち上がった。
「だいじょうぶだよドードー、もずもず! あたしもお手伝いするから! おとうちゃんのカタキ討ちだよ!」
「ガキはすっこんどれ!!」
びしりと怒声に打たれ、石のように固まった茅と、あんまりな百舌鳥の言いように道眞は頭が痛くなった。
「あー……」
たぶん、このコミュニケーション不全ゴリラに悪気はない、はずだ。
「その、監禁されていた時、僕らはあまりに惨たらしいものを見すぎてしまった。だから茅ちゃんのことは、生出さんのためにも巻き込みたくはないんだよ」
百舌鳥からの訂正や反論はなかった。
「二人の言う通りよ。茅ちゃんには、名古屋のおうちに帰ってもらうわ」
「ええっ!?」
「お父さんが亡くなったのよ? 早く
「……でも、おかあちゃんと連絡つかないの。
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生出がああなった以上、離婚した妻にも教団の手が延びているのかもしれない。だが、それはまだ可能性の話だ。たまたま、忙しいだけかもしれない。
しかし道眞には、中庭に揺れる彼岸花も、それが植わる土や石、風にさえ、何か悪意のようなものが宿っている気がした。
世界すべてが、これから悪いことが起きるのをじっと期待でもしているような。それが錯覚であって欲しいと、道眞は自分の想像を必死で頭から追い出した。
「それじゃあ、そろそろまとめましょうか」
別天が主導し、道眞たちは素直に耳を傾けた。
「娑馗聖者は私たちなんて眼中にない。だから、向こうから追っ手か何かを仕掛けてくることはないわ。かといって、受け身に回る理由はない……」
別天は指を二本立てた。その横で、百舌鳥はカツサンドを二口で平らげる。
「となれば、私たちがすることは二つ! 一つは交霊会を開いて、直接キヨイに質問して正体を探ること。もう一つは、各地に存在する霊餌を成仏させること」
「……それ、あたしだけ仲間外れなんだよね」
しおしおと気落ちした声で、すがるように茅が言った。慰めているのか、黒猫がその頬を舐める。別天は眉根を寄せ、苦しげな顔を作った。
「泉さんに連絡がついたら、すぐ名古屋に帰りなさい。たぶん、今ならまだ、茅ちゃんに悪縁はついていないはずだし、切るのも簡単だから」
「うん……」
「さて、神餌は教団に取って大事なものだから、彼らの
道眞たちは生出に追われたが、あれは異界である実顕地内だったのだろう。
「私たちがまず対するのは霊餌。肉体のない彼らは、強い未練や妄執、無念の想いを核として存在しているわ。だから縁のある場所や人から、動かすことができない」
「なるほど。霊餌を探して、葬儀屋が喰うてなおす。地道に繰り返していったら、教団が焦って出張らんではいられへん、ちゅうことか」
ええ、と別天も彩り野菜のサンドイッチを手に取った。
「神餌は生者は仲間にしようと殺しに来るし、霊餌はほとんどの場合、生きているものを激しく憎んでいるわ。最大限の恐怖と苦痛で
それが、別天が孫娘を帰らせたい何よりの理由なのだろう。
「しかし気にくわんなぁ」
侮蔑をこめて、百舌鳥は宙に視線を投げかけた。カツサンドが二つに、スモークサーモンサンド、野菜サンド、四切れあったサンドイッチの皿はもう空だ。
「世の中、無念の死者なんてごまんとおるやろ。なんで霊餌は、死者のくせに生者に手ぇ出せるんや。娑輪馗廻は何のために、そんなんしとる?」
「世界を救うなんて一大事業を、一生どころか自分の子々孫々の人生までかけてやり遂げようなんて人がいたら、〝狂っている〟って思うでしょう? そして思い上がりよね、ただ人を本気で救いたいだけ、なんて」
――だから、怖いのよ。
別天がこぼした一滴が、道眞の胸には毒のように広がった。
心臓に爪を立て、ガリガリと掻きむしりながら、体の芯は冷えるのに、表面は火照る、そんな気味の悪い猛毒。
道眞に取ってはおぞましく、人間に対する絶望さえ覚えるほどの外道を、「人を救う」という本物の善意で働いているという事実。
「勝手に救われてたまるかい! 自分が生きるのも死ぬのも俺が決める、人を洗脳して救いもクソもあるか、アホンダラ!」
だんっとローテーブルに拳を打ち付け、百舌鳥は娑輪馗廻の思想を突っぱねた。まったくもって道眞も同意だ。
「別天のバアさま。霊餌やったら、俺はまず
固くこわばった百舌鳥の目口は、急き立てられ呼吸を忘れたように切実だ。
「私情を挟むようやが、頼む」
頭を下げて言う彼の姿に、道眞は心臓をきゅっと指でつねられる心地を覚えた。そのまま小さな
あの百舌鳥が、真摯に「頼む」と言ったことが、自分にはよほど驚きだったらしい。
「親しい人を娑輪馗廻から解放したいと思うのは、当然のことよ。まずはそこから始めましょう、ヤマトさん」
別天は包みこむように温かく笑った。
「それじゃあ、まずは身の回りの整理からね。京都と兵庫じゃ大変でしょうけれど、二人とも一度家に帰ったり人と連絡をつけたりして、準備をしてからまた屋敷に来てちょうだい。うちの固定電話は自由に使って」
「じゃあ、あたしはこれでお別れだね」
これからの戦いに向けて奮い起つ道眞たちを陽とすれば、一人仲間外れの茅は陰だった。ホールの一角、膝に乗せた黒猫と同化しそうなほど、少女の姿が暗く沈んで見える。猫が、自分がいるよと主張するように茅の手にすり寄った。
「あたしの仲間は、リリンコだけだよ」
しかしそのリリンコも、枯れない彼岸花・サスラヒメに力を与えられた、いわば道眞の同類なのだ。このお彼岸屋敷には、その名にふさわしい死であふれている。
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