魂と名前の解離

『受験』という母親が言われたら、弱いワードを使い、見事入部届に印鑑とサインをもらった僕は文芸部に入った。


今日は初めての部活動。

部長の若崎先輩は話したことがあるが、他の先輩はどのような人なのか知らない。お互いに干渉し会わない、そんな空間が僕は幸せだった。同じ空間にいて、同じような活動をしている。それでも、お互いの生活に立ち入らず黙々と手を動かし続け、1つの作品をそれぞれが作っている。そんな静かな教室は僕の理想だった。


中学校の頃の部活は文芸部と正反対だった。競技中は1本のラリーが終わる度に声援が送られる。試合は全員が応援する。学校での練習は常に笑顔が溢れていた。真剣な部活と言うよりかは、なんとなく入ってなんとなく続けている人が多い印象だ。


部活が終われば全員で帰り道にコンビニによって買い食いをする。それがお決まりだった。

「家に帰るまでが遠足です」小学校の遠足で先生が言っていた言葉を借りるとするなら、「家に帰るまでは部活動の仲間と話しましょう。活動時間が終わっても、帰るまでが部活動です」という感じだ。


僕は必要以上の会話をしたくなかった。ちょっとしたところから、ボロが出てしまいそうだから。みんなが思う『赤池碧』というブランドを崩さないために。


だから、お決まりのコンビニ寄り道コースを僕はいつも途中で抜け出す。普通なら「ノリ悪いなぁ」と言われ距離をおかれるはずだが、『赤池碧』は違った。

成績上位者、運動神経はそこそこ良い。バドミントンも頭1つ抜けて上手い。外見は誰も近くによりたくないような、いかにも陰の香りがする僕だけど、学級委員をしているため、先生受けは良い。僕の近くにいる人は、近くにいれば自然と成績が良くなると思っている人ばかりだ。


そのおかげか、僕は「ノリが悪い根暗なやつ」とは思われず「俺らとは住んでる世界が違う孤高の天才」と周囲に認知された。


「孤高の天才」なんて言われるもんだから、僕はますます名前と魂とが解離していった。

自信を持っているのは『赤池碧』であり、僕自身ではなかった。


生まれてからの15年、僕は『赤池碧』という名前にしっくりきていない。「赤池君」と呼ばれれば反射的に返事をすることができる。

しかし、どこか遠い場所にいる『碧』という人が呼ばれているけれど、事情があって返事ができないから、僕が代わりに返事をしている。そんな感覚だ。


小学校の卒業式、卒業証書授与で一人一人名前を呼ばれることがあった。ステージに立ち、保護者の方へ体を向ける。顔をあげ、前を見ると我が子の成長に涙ぐんでいる親が大勢いた。そんな中、僕は「赤池碧、赤池碧、赤池碧……」と何度も声を出さず呪文のように唱えていた。


唱えるのをやめてしまったら、すぐに返事ができないから。僕は『赤池碧』になりきっている別人だから。


一度、小さい頃にこの話を母親にしたことがある。

「ママ…僕は碧だよね?」

「うん、そうよ。どうしたの?」

「僕は碧だけど、碧は僕じゃない気がするんだ。ママの思ってる碧と僕は違う気がするの」

「何を言ってるの?碧は不思議なことを言うのね。ママの碧はあなたに変わりないわ」

そのときの母親は、小さい子ども特有のなんでも疑問に思う時期であると思っていた。しかし、年を重ねれば重ねるほど、名前と魂の距離は離れていった。


『赤池碧』と僕の間には埋められない深い溝ができた。僕は、キラキラと輝くクリスマスツリーの装飾の内のひとつにもなれない。しかし、『赤池碧』はクリスマスツリーの頂点にある一際輝く大きなスターだった。


僕は今日から文芸部員。

自分自身が主人公の話を書けば良い。

白と黒だけの世界に住めば良い。

自分の住む世界は自分で作り出す。そう決めた。

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