京王線の刃物男

島尾

不満の矛先

 メディアは、京王線の列車内で刃物男が人を切りつけ、発火剤で炎を立てた事件を報じて世間を騒がせている。


 男は「死刑になりたかった」という供述をしていて、自分や社会に相当の不満を抱いていたようだ。


 YouTubeのコメントでは「怖い男」「他人を巻き込むな、罪人」「緊急事、冷静に対応できる人はすごい」「よく撮影した、あっぱれ」などといった、当然かつ書く必要もなさそうなものと、少々のウケ狙いのものが見られる。


 この男に対する同情の念を呟く人は、見つけられなかった。これも当然のことだろう。


 この事件は、明らかに「強い者たちへの反抗」を実現している。刃物男のような、社会的地位において弱い者が、一念発起して相対的に強い者を脅したという構図だ。


 一時的ではあれ、彼は弱者から強者へと成り上がることに成功した。これは第三者の観測結果であり、その内容は「一人の弱者が凶行に及び、何百もの強者を恐怖と混乱の淵に追い込んだ」と書ける。

 ここで、もう一つ同時に観測できることがある。「刃物男の周りから人々が全員離れて、彼は普通混雑している都会の電車内においてさえ孤立した」というものだ。また、YouTubeのコメントを見ても彼の味方は一人もいないに等しく、社会全体から孤立したと言っても過言ではないと推測される。


 そうなれば最後、己の心に己の味方を求めないといけない。彼の凶行は予め計画され、最初から最後まで信念を持っていたと思われる。その間、少なくとも彼の心は彼の味方だったと思われる。


 しかし、偉大な犯行を終えた後の彼の顔は、どこか虚ろだった。まるで彼の心から信念の灯火が消えて、必然的に彼の心の中にさえ味方が消えたと考えることもできる。その仮定に基づけば、終に彼は他者からも自己からも見捨てられ、地上に存在するだけの有機化合物集合体に成り下がったのである。


 すなわち「全てが」彼を見捨てた。


「そんなことに陥るのなら、最初から凶行などやらなければ良かったのだ!」と主張するのは、まるで「塩分が多量に含まれる食材など最初から食べなければ良かった!」という主張に匹敵するほど無意味だ。塩分とうまく付き合っていかなければならない運命を認めるくせに、社会不適合で凶悪な毒人間とうまく付き合っていくのは避けられると考えることは、そもそも社会の構図をよく観察できていない証拠といえよう。なぜならば、実際、こうして京王線の列車内に刃物男が現れたからだ。


 ここに、人間が動物であるという、忘れがちな真実が思い出される。例えば猫は、よく喧嘩をする。強い者が威嚇の鳴き声を発せば、弱い者は耳を伏せて、陰に隠れ、忍び足でその場を去る。よく「人間は特別動物であり、一般の動物とは区分けして考える必要がある」と主張し信奉する者があるが、それは人間を主体にして他の動物を見ているだけの話であり、主体を猫に移せばたちまち崩れ去る傲慢論だ。


 ところで猫といえば、最近やたらと保護猫活動が盛んになっている。そのまま放置すれば明日には死ぬような猫を助け、慈善活動として成立している。多くの人間すなわち生態系における強者が、多くの捨て猫すなわちそれにおける弱者を積極的に守って、未来の先まで守り抜こうと意を決している。


 なぜ同じことを、社会的弱者に施せないのか。弱者を放置して孤立させ、極度のストレスを与えて最終的にはに仕立て上げたのは、ほかでもない、我々強者だ。


 なぜ、などと書いたが、そんなことは誰でも分かるし、それ以前の問題だろう。同じ人間であることは元より、卑屈で根暗で何を考えているか分からない畜生同然の人間に、一滴の慈悲の涙など流せまい。よってこのような凶暴な者は増殖し、社会は萎縮し、そして何かの拍子で新たな凶暴者が選出され、社会はますます萎縮の度合いを増し……


 

 次のようなことを想像した。


 逃げ惑う群衆の流れに逆らい、自分だけは刃物男の方向に向かう。そして刺され、腹から血を流し、炎によって全身火傷を負い、それでもなんとか刃物男の隣のシートに辿り着く。「社会を憎んでいるようだが、実は私もその一人でね。しかし周りをよく見てみなさいや。さっき、仮装した変態がバカ笑いしていたのを見た。くたびれたスーツを着て眠りこけている不潔な男もいた。メイクに忙しくて降りる駅を乗り過ごした美人は、見物だった。私はそんなやつらを見渡す気持ち悪い人間で、ちなみに隣の席のオタクは処女アニメの雑誌に釘付けになっている気持ち悪い人だった。そういうくだらないクソッタレた社会は、見方を変えればとても平和で幸福なものじゃないか。何も、刃物なんか振って人を殺そうなんて、常軌を逸したバカ思考を発動するほどの危険性があるものだろうか?」そう、刃物男に言う。流血しながらも、刃物男の隣のシートに座って。人々が全員逃げ去って、彼の心からも信念が消え去って、そんな中で自分は、非常に常軌を逸した社会的特異人ゆえに、彼のことを唯一救いたいと思っている。


 想像は終わりだ。

 

 そしてこれが実行される未来など訪れない。少なくとも自分には(もしそんな人が現れたならば、私はその人こそ真の猛者だと考える。動画で盗撮記録するという思考回路よりも、何倍も人道的で、あるいは仏様の領域に至る存在ではないか?)



 私はどちらかと言うと社会が嫌いだ。過去には強烈に嫌っていた時期もあった。だがしかし、チャイコフスキーの残した次のような内容の言葉を常に胸の中に持っている。


「他人が幸せなのを見ていれば、だんだん自分も幸せな心持ちになってきます」

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京王線の刃物男 島尾 @shimaoshimao

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