第8話 人事異動(前)

「結局、猛獣なんていませんでしたね」

「ああ、そうだな。まあ、異常がなかったのは喜ぶべきことだろう」

 警察署内を歩きながら。涼太に答えながら、大和は考える。

 結局公園の内部を歩き回ってみても、なんの変哲もなかった。それどころか、あまり人の姿もなかったように記憶している。

 こうして普通に働いているとついつい忘れそうになるが、今は世間はゴールデンウィークの真っただ中だ。普段ならばピクニックに来ている人々でにぎわっているところだが、やはり殺人事件が起きたせいだろう。事件現場から離れて家族団欒を楽しんでいる人々もいたが、帰ってしまった人も多かった。

 当然のことながら、猛獣どころか動物の姿すらほとんど見ることがなかった。せいぜいが、公園に住み着いている野良猫を見かけた程度だ。

「今帰りました」

 捜査一課の事務室へと足を踏み入れ、普段よりも人員の少ない部屋に声をかける。

 人員が少ないのは、他の場所でも事件が起こっているから、という物騒な理由ではない。無人にするわけにはいかないが、警察官にもゴールデンウィークをとる権利くらいはある。そのため、シフト制で休暇をとっているだけだ。

「おかえりなさい、二人とも。葛城刑事、課長が部屋で待ってますよ」

「課長が?わかった、行ってくる」

 捜査一課の女性警官にそう言われ、大和はパーテーションに区切られた課長の部屋へと向かった。


「お呼びですか?課長」

 パーテーションに区切られた部屋の中には、大きな机が置かれている。その机の向こうにいるのは初老の男性、捜査一課課長の佐伯優作だ。

 大和は部屋に入るなり、優作に挨拶をするがその言葉には幾分か棘がある。

「ずいぶん棘のある挨拶じゃないか、大和?」

 大人の余裕、という者だろう。優作は微笑を浮かべてそう言った。

「当たり前でしょう。捜査一課の事件を零課に渡すだなんて、いったいなにを考えているんですか?」

「いやあ、なにを考えていると言われてもね。私としても、上からの命令には逆らえないんだよ」

「上からの命令、ですか」

 小さく鼻で笑う大和に、課長は渋面を浮かべる。

「いいか、大和。零課は警察の管轄ではあるが、警察官じゃないんだ」

「警察じゃない?どういうことですか?」

「確かに零課は警察と同じ権限は持っているがな。そうだな、例えばアリス・ホワイトの例を出そう」

 アリス・ホワイト。

 その名前に、大和はびくりと肩を震わせる。

 自分を殺そうとした少女の名前を忘れられるわけがなかった。

「彼女は特殊な金属の糸を操り、土塊を纏わせて彼女特有の人形を作り出す。そう、まさしく彼女が襲われたとおりに、な」

「知っていたんですか?俺が襲われたこと」

「ああ。稜明君が連絡をくれたよ」

 黒須稜明。その名前を聞いて、大和の胸が高鳴った。

 忘れるわけがない。自分を助けてくれた男の名前だ。

 大和は同性愛者ではない。少なくとも生まれてから四十年、同性愛とは無縁の生き方をしてきた。だが、彼のことを思うと鼓動が早鐘を打ってどうしようもなくなる。

「そうですか。彼は俺のことはなんて言ってました?」

 大和は、努めて平然を装った表情でそう聞いた。

 しかし返ってきた答えは、色よいものではなかった。

「君がアリス・ホワイトに襲われたことと、今もなお狙われ続けている可能性が高いことを報告してもらった」

「そうですか。他には?」

「それ以上はなにも。他になにが必要なんだね?」

「……いえ、なにも」

 それは彼が大和に対しての個人的な感想を述べなかった、ということだろう。

 露骨に肩を落とす大和に、課長はくすり、と笑みを向ける。

「とまあ、アリス・ホワイトの件からもわかる通り、この世界には超常ならざる力を持った者が存在している、ということはわかるだろう?そして、今回の死体が示す通りに、超常的な力で殺される者もいる。零課はそういった、表沙汰にできない事件を扱っている組織だ」

「それじゃあ、今回の事件もあの少女に狙われた被害者だっていうことですか?」

「いいや、それはまだわからない。アリス本人かもしれないし、その眷属の行った行為かもしれない。あるいは彼女の仲間の手によるものかもしれないな」

 その言葉に、大和は驚いた。アリスと同じような超能力を持った人間が、他にもいるということなのだろうか。

「眷属や仲間、とはどういうことですか?あんな力を持った者がほかにもいるとでも?」

「少なくとも、稜明君は同じ力を持っているだろう」

 そういえばそうだ、と大和は頷いた。

「アリスは一般人に種を蒔くことができる」

「なんですか?急に」

「まあ、聞きなさい。アリスは一般人に種を蒔いて、その人物を苗床にするんだ。苗床が力を使えば使うだけ、その人の中で花が成長する。一定の成長具合に達した時点でアリスはその花を収穫し、自らに取り込むことによって力を成長させるんだ」

「なるほど。力を与えられる代わりに苗床になると。それが眷属、ということですか」

 課長はその通りだ、とうなずいて見せる。

「その花を収穫された人間はどうなるんですか?まさか死ぬとでも?」

「いやいや、死ぬことはないさ。現に、収穫されても生きている人間は存在しているからね」

「それともうひとつ。その花、というのは何かの比喩ですか?」

「それも違うな。私はそこまでロマンチストではないからね。シロツメクサ、スズラン、アジュガ。その他にもいろいろな花が収穫されていることは確認されている」

「そんな何度も確認されるほど、アリスは眷属を作っているんですか?」

 課長は小さくため息を吐くと。

「アリス以外がそれを行った可能性もある。アリスはかつて、仲間と協力して軍の基地を一つ壊滅させている。その時に確認されている彼女の仲間は、全員で六名存在する」

「六人も」

「そうだ。そして、その中の一人が稜明君だ」

 その言葉に。大和は小さく息をのんだ。

「もっとも彼は、現在では我々警察の協力者になってくれている。ところで大和。君は、苗床が果物を成長させるのになにが必要だと思う?」

 課長はにこり、と笑顔を浮かべる。それはまるで、クイズを出して楽しむ子供のようだ。

「力を使うこと、ですか?」

「惜しいけど違うな。力を使うことも必要なことだが、それ以上に必要なのは力を使って、自分の欲望を叶えることだ」

 その言葉に、大和の体がぞくりと震える。

 あの少女がアリスのような超常的な力を持つ存在に殺された、ということはそこまでして誰かが彼女を殺したい、と考えたからなのだろう。

 そこまでして人を殺したい、という欲求が大和には理解が……できしてしまった。

 それがなによりも怖かった。

「じゃあ、あの子はアリスが力を与えたから殺された、ということですか?」

 その言葉に課長は頷く。

「どうしてアリスを野放しにしているんですか?アリスさえいなければ、こんな事件は起きないでしょう?」

「それは彼女を逮捕しろ、ということかな?」

「そうです」

 課長はふう、とため息を吐いた。

「逮捕して、どこに捉えておけるんだ?」

「どこって……」

「いいか?この世界にヴィランはいない。少なくとも表向きはな。だから、超常的な力を持つ者を監禁しておける牢獄なんて存在しないんだ」

「でもアリス以外の超能力者は逮捕しているんでしょう?」

「それはだな。他の奴らは、あくまで苗床として種を植えられているだけだ。だから、その種を取り除けば力の使えない一般人に変えられる。我々にはそれはできなくても、稜明君ならば容易にできることだ」

 だからこその協力者なのだろう。大和はそう考える。

「しかしアリスは違う。彼女は上位存在だ。種を植えられているだけじゃないから、取り除いて解決する、というわけにはいかないんだ」

 だからこそ。野放しにするしかない、ということだろう。

「それに、彼女が存在してることで我々にもメリットが……」

 課長が言いかけた、その時だった。

 こんこん、と扉がたたかれる。それと同時に、がちゃりと扉を開いて。返事も待たずに入ってきたのは八神峻だった。

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