第7話 箱庭の世界(下)
跳ね飛ばされたゴーレムの腕が地面に転がる。重量のある金属音が響きわたる。
いつのまにいたのだろうか。先ほどまでは確かにいなかったはずの男が、日本刀を携えて。ゴーレムの腕を切り裂いたのだ。
男はそのまま、日本刀を振るう。
甲高い音が響くとともに、大和を掴んでいたゴーレムの指が飛ぶ。それとともに宙に投げ出された大和の体。男はゴーレムの体を踏みたいに大和を追って飛び上がり、両方の腕で膝と背中を支える、所謂お姫様抱っこで大和を抱える。
この男が誰なのか。
いったいいつ現れたのか。
疑問が頭を埋め尽くすが、とにかくこれだけはわかる。
自分が助けられた、ということは。
それがわかると、幾分か気分が落ち着いてくる。そして大和には、男の容姿を観察する余裕が生まれた。
男は一八〇センチを少し超える長身の持ち主であり、肩幅の広い筋骨たくましい体つきだ。目の前にある顔立ちは堀が深く、如何にも男らしい顔立ちだ。鼻筋が通り、目つきは獰猛な猛禽類を思わせる鋭さと迫力のある眼光を放っている。俳優のような格好良さがあり、美形と形容するのが相応しいだろう。
力強く抱きかかえられると、そのあまりの安心感から今がどんな状況なのかすら忘れて呆けてしまう。そういう魅力が、男にはあった。
「邪魔しないでよ、稜明お兄ちゃん!」
アリスは憮然とした表情で、そう叫ぶ。
「邪魔をしないわけがないだろう。俺がいる場所で人殺しなんてさせるつもりはないんだからな」
稜明と呼ばれた男は、唇の端に小さな笑みを浮かべてそう返す。
その笑みに呼応するように、アリスも笑顔を浮かべる。
「でも、いくらお兄ちゃんでも両手がふさがってちゃゴーレムの相手はできないでしょ?」
そう言われて、大和ははっと思い出す。
ゴーレムのほうを見ると、両腕は使えなくはなっているもののその巨体はまだ健在であり、二人まとめて押しつぶそうと走ってくるところだった。
「そうでもないさ」
しかし稜明はこともなげに言うと、大和を抱えたまま跳躍する。ゴーレムの巨躯よりも高く飛ぶと、空中に舞い上げていたなにかを踏みつける。それは、さきほどまで持っていた日本刀だった。大和を助けるために手放した際に、上空に放り投げた物だ。
刃先を下に向けたまま、峰を踏みしめ。稜明を警戒して立ち止まったゴーレムを上から踏みつける。
ゴーレムの頭上から突き立てられた刃が、悠々とゴーレムの硬いはずの体を両断する。地面に降り立った稜明の両側に、真っ二つに切断されたゴーレムの体が倒れこみ、重い音と土煙を上げて地面に沈み込む。
ゴーレムに纏わりついていた土が溶けだすように地面に流れ、骨格を形成していた繊維が、力を失ってがちゃんと金属音を立てて崩れ落ちる。
あの骨格が、金属音の正体だ。それは細い金属繊維で出来上がっており、その繊維がまとまることによって並みの金属よりもはるかに硬くなっているのだ。
「これで人形遊びは終わりかな?それとも、まだなにか奥の手でもあるか?」
「ぶーっ!意地悪っ!」
心底むかつく、とでも言いたげにアリスは頬を膨らませる。
どうやら、これで終わりのようだ。
「いいわよ。今回だけは、稜明お兄ちゃんにその人助けさせてあげる!でも、本当に今回だけなんだからね!次に会ったときは、ちゃんと食べさせてもらうんだから!」
そういうとアリスの姿は、煙のように消えてしまう。
「消えたっ!?」
現実離れしたその光景に、大和は驚いて思わず声を上げる。
「この世界から抜け出ただけだ」
「この世界……って。そういえばここはどこなんだ?」
アリスがいなくなったことで、ようやく本当に安心ができる。大和は抱き続けていた疑問を稜明に尋ねた。
「あー……残念ながら、それ自体は秘密だ。一般人には知らせてはいけないことになっているからな」
稜明は地面に大和を座らせながらそう答える。
「とりあえず、腕の治療をしてしまおう」
言いながら稜明は、大和の腕を撫でる。ここまで砕かれていれば、撫でられるだけでも相当に痛いはずだ。しかし痛みを感じることはなく、それどころか不思議な温かさとくすぐったさを感じる。
やはり、目の前の男は特別な存在なのだろう。
安堵感と心地よさから、大和は小さく感嘆の声を上げる。
「どうだ?腕の調子は」
やがてそれも感じなくなったころに、稜明に聞かれる。
もう、腕は痛くなかった。恐る恐る腕を動かしても、痛みを覚えることもない。まるで関節が砕かれていたという事実すら忘れたように、曲げても違和感を感じない。手を開いたり閉じたりしても、なんの問題もなかった。
「もう痛くない。すごいな。まるで魔法みたいだ!」
ファンタジーに出てくる回復魔法を思い出す。まるでそれを受けたようだと思うが、実際にその通りなのだろう。
痛いのはもちろん嫌だが、あの心地よさを感じられるのならば痛いのも悪くはない。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、とでもいおうか。そんな現金な考えさえ、頭の中に浮かんでくる。
それに。
「そうか。そいつはよかった」
目の前の男が、にこりと微笑んでくれる。
美しい、以外の形容詞が浮かばない笑顔を向けられ。そして、この人に助けられたという事実がとにかくうれしかった。
不意に世界が、ぐらりと揺れる。
「なんだ!?」
「この世界を作っていたアリスがいなくなったからな。世界が壊れようとしているんだ」
「世界が壊れたらどうなるんだ!?」
「どうにもならないさ。ただ元の場所に戻されるだけだ」
その言葉に、大和はほっと胸をなでおろす。
「なあ、また会えるか?」
だから。自然とそう言葉が漏れる。
しかし稜明は渋面を浮かべ。
「もう会うようなことはないほうがいいんだろうけどな。だが、あのアリスの様子ならまだあなたのことは諦めていないだろう。だから……近いうちにまた会うことになるだろうな」
その言葉は本来不穏当な言葉のはずだ。
しかし今の大和にとっては、再び会うことを約束してもらえたのと一緒だ。
だからそれは。ただただ嬉しい言葉だった。
そして箱庭の世界は壊される。
大和が意識を取り戻すと、目の前に涼太がいた。遠くには人ごみが見える。
稜明の言っていた通り。元の世界に戻された、ということだろう。
「大丈夫ですか、先輩」
「あ、ああ……なあ、涼太。俺はどれくらい意識を失っていた?」
涼太が驚いていないところを見ると、自分は消えていたのではなく意識を失っていたのだろう。そう思って涼太に尋ねたが。
「目眩でもしたんですか?大丈夫ですか?」
涼太はきょとんとしている。
「突然ぼうっとしだしてから、多分十秒も経ってないですよ。大丈夫ですか先輩。もう若くないんですから、あまり無理はしないでくださいね」
あれだけ長いことあの世界にいたというのに、周りからはそうは思われていないのだろう。
あそこで死んでいたとしたら、自分はどう扱われていたのだろうか。
「ああ、悪い。気を付けるよ」
あいまいに笑って、大和は返す。
自分の身に起きた出来事は、あまりに超常的すぎる。理解の追いつかない出来事の連続に、頭が痛くなってくる。
「先輩は休んでいますか?猛獣がいないか、俺が見回ってきましょうか?」
「猛獣?」
突然の言葉に怪訝な顔を浮かべるが、そういえばそんな話をしていたと思い出す。
「いや、俺も行くよ」
あの世界に触れてしまえば、そんなものはこの公園にはいないとわかる。おそらくはあちらの世界に触れる何かが、あの少女を殺したのだろうと推察ができる。
それでもそう答えたのは、少しでも日常に触れて。自分はもう大丈夫だと確認がしたかったからに他ならなかった。
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