第6話 箱庭の世界(中)

 不意に視界がぼやける。頭の中が白くなり、聞こえていた音が遠くなる。

その症状は、立ち眩みに似ていた。

しかしそうではない、と断言をさせる。

その理由は。

「涼太!どこだ!?」

 直前まで目の前にいたはずの涼太がいなくなっている。遠くに見えた人ごみが消え失せている。張られていた規制線は残っているのに、その中にいたはずの鑑識の姿も零課の二人の姿もなく。それどころか、死体の姿までもがなくなっている。

 大和の世界から、人間という人間が消えていた。

「なんだこれは……」

 誰に聞かせるでもなく、声が漏れる。

 人間のいないこの世界で、誰かが返事をしてくれるはずはなく。

 いや。

「こんにちは、おじさん」

 不意に聞こえた声に、大和は反射的に振り返る。

 そこに立っているのは、白人の可愛らしい少女。

「ここはどこだ?君は誰なんだ!?」

 半ば混乱しているからだろう。大和は少女に矢継ぎ早に尋ねる。

「私はアリス・ホワイト。この箱庭の世界で、あなたを食べる魔女よ」

 少女はそう答えると、くすり、と微笑んで見せる。

 この異質な世界でそんな返答をされると、それが本当なのではないかと思ってぞっとしてしまう。少女の可愛らしさが、一層の不気味さを演出している。

「食べる、だって?なにをバカなことを……」

 まとわりついてくる不気味さを振り払うために、大和は嘲笑を浮かべようとするが。

 少女の前に、糸のようなものが地面から這い出して来る。糸は幾重にも折り重なり、巨大な人の形の骨組みを作り出す。地面から這い上がってくる土が骨組みに纏わりつき、最終的には巨大なゴーレムへと成り替わる。

「これで信じてもらえたかしら?」

 くすくす、とアリスは笑うと、ぱちん、と指を鳴らして合図をする。

 それに呼応するかのように、ゴーレムは走り出す。胴体がでかく、足が短い。そのせいで珍妙な走り方はするが、とにかく重いのだろう。一歩一歩足を踏み出すたびに、ずしん、ずしんと地面が揺れる。

 あまりの異質な光景に脳の処理が追い付かず、ぼうっとその姿を見てしまい。気が付いた時には、ゴーレムが目の前で腕を振り上げているところだった。

 危ない!

 脳がシグナルを発するのと同時に、思わず体が動く。

 横へと跳びながら大きく転がる。今までいた場所にゴーレムの腕が突き刺さると同時に、爆風とも思える風が巻き起こる。その風に煽られた大和の体は、たまらず吹き飛ばされて不格好に地面を転がる。

「もう、なにやってるのよ!簡単に殺したらダメなんだから!」

 一瞬気を失いかけるも、少女の怒ったような声で現実に引き戻される。

 ゴーレムのほうに視線を向けると、腕が突き刺さった場所にクレーターができており、地面には亀裂が走っている。

 あれに当たっていたら、大和の脆い体などミンチにされていただろう。

 大和はぞっとする。こんなわけのわからない場所で、わけのわからない存在に殺されてはたまらない。大和はゴーレムに背中を見せて逃げようとするが。

 どんっ、と爆発したような音が響く。

 頭上を巨大な影が通ったかと思うと、目の前にゴーレムが落ちてくる。

 ジャンプして、大和の頭上を飛び越えたのだろう。着地と同時にあたり一面を覆うほどの砂埃が舞い上がり、トランポリンの上にいるかの如く地面が大きく揺れた。

 蹈鞴を踏んで尻もちをつきかけるが。砂煙を裂いて伸びてきたゴーレムの腕が、大和の胴体を掴む。

 大和を胴体を覆ってしまうほどの巨大な手だ。幸いにも、腕は掴まれてはいない。腕の中から抜け出そうと、両手で隙間を広げようと力をこめるがびくりともしない。

「いいわよ、ゴーレム。少しずつ痛めつけたほうが、美味しくなるわ。とりあえず腕をへし折りなさい」

 腕が外に出ていることは幸運などではなかった。

 反対の腕が、大和の腕をつかむ。

「まさか……」

 その瞬間、どうしようもない恐怖が大和を襲う。泣きたくなるような悲壮な思いがこみ上げてくる。

 そんな大和の感情なんて知ったことか、と言わんばかりに。ゴーレムに左腕を掴まれる。

「やめろっ!やめてくれっ!」

 この先に起きることなんて、考えなくてもわかる。

 悲鳴にも似た叫びをあげ、ゴーレムの手の中から自分の腕を引き抜こうと、大和はもがく。

 ゴーレムは人の姿こそしてはいるものの、人間ではなく機械のように力強い。いくら腕を引き抜こうとしても、びくともしない。

 ゴーレム自身が考えて動いているのか、それともアリスが指示を出しているのか。それはわからない。わからないが、どちらにしてもその真意が大和に拷問をしようという考えなのだから変わらない。

 ゴーレムは、大和のことを人形であるかのように扱う。腕の関節を、逆方向に。180度反対に折り曲げる。

「ぎゃああぁぁぁっ!」

 ばきり、と音を立てて関節が砕ける。電撃が走る、なんていうものじゃない。痛みに脳が支配され、頭の中が「痛い」という言葉だけで埋め尽くされる。

 ゴーレムが手を離すと、左腕がだらりと垂れ下がる。見たくはないと思いながらも、どうしても視線を送ってしまう。見ると腕は、あらぬ方向へとねじれていた。

 今度はゴーレムの手が右腕へと伸びる。

「やだっ!やめてっ!やめてくれっ!」

 痛みと恐怖が頭の中でごちゃ混ぜになる。それはあふれ出る涙と鼻水として体の外へ流れ出る。

 その表情に、アリスは満足している。それこそがアリスの求めるものだ。

「やめてほしいかしら?あなたは、生きたいと思ってる?」

「そんなの当たり前だろ!死にたくない!だからやめてくれっ!」

「そう……いいわ」

 アリスの言葉で、大和の中に希望が生まれる。

 しかし。その希望はすぐに絶望へと変わる。

「いいわ、あなたのその表情。生きようとする意志。生にしがみつく欲望!ああ、なんてすばらしいのかしら!ぞくぞくするわぁ」

 口が裂けんばかりの満面の笑み。人を見下したような目。

 ああ、なんて醜悪なんだ。

 なまじ元が可愛らしいばかりによけいに醜悪に映る、アリスのサディスティックな笑顔。

 その笑顔が、大和がこれからさらなる拷問を与えられるという事実を伝えている。大和は余計に泣きたくなった。

 大和は知らない。魂の美味しさは、引きずり出された欲望で引き上げられるということを。大和が生にしがみつけばしがみつくほど、生存本能を引きずり出されれば、余計にアリスを喜ばせてしまうという事実を。

「さあ、ゴーレム。もっといたぶりなさい。もっともっと、魂を美味しく調理するのよ!」

 アリスが叫ぶ。大和の死刑宣告を。

 ゴーレムが、大和の右腕に手を伸ばす。

 そして。

 金属が砕ける甲高い音とともに、ゴーレムの腕が破裂した。

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