1-16.えへへ、来ちゃった

 明くる日の午後。


 ユリウスが自分の部屋で仕事をしていると、コンコン、とノックの音が響く。この時間に使用人が来ることはあまりないので、兄が面倒な案件を持ってきたかと思いながら、ややぞんんざいに、どうぞ、と声を出すと、ドアがガチャリと開いて。


「えへへ、来ちゃった」


「………………は?」


 そこに立っていたのは、カリーナ・デットマー・フォン・ヴィルツェン第一王女。


 小ぶりのボストンバッグを手に提げている様は、友達の家にお泊まりに来ました、という雰囲気だ。


「ど……どうやって? 先触れも何もなく」


 監察官としての業務以外で、彼女がここを訪れることはない。いや、正確には、訪れるための理由が用意できない。


 王位継承権者筆頭の第一王女として、あるいは国務大臣として行動する場合、その範囲は王宮の中に限られる。それは当然のことで、そういう身分の者がやすやすと王宮外の現場を訪れることなど、あり得ない。単なる王族や上級貴族ではないのだから。


「ふふっ、これです」


「……転送石!?」


 転送石とはその名の通り、石を握ってそれに魔力を通すことで、異なる場所に移動できる魔道具だ。


 移動可能な距離は術者の魔力に、移動先の正確さは術者の練度に依存する。移動できるのは、移動先のイメージを正確に把握できる範囲なので、行ったことのない場所はもちろん、土地勘のない場所、訪問後に土地の開発や建物の改築などで景観がガラリと変わった場所には移動できない。カリーナはそれなりの魔力を行使できるし、この屋敷も勝手知ったる場所なので、問題なく転移できるというわけだ。


 しかし、驚くべきはそこではない。


 転送石は一回ごとの使い捨てだが、産出量が非常に少なく、一つがだいたいこぶし大の金塊の十倍ぐらいの値段がつくという。いや、金額の問題だけでなく、王家といえどもストックが潤沢というわけにはいかず、日常的に使うことはない。このため、めったに使われることはない。使われるとすれば、王国の存立に関わるほどの超緊急案件の連絡、あるいは重要人物の緊急脱出などだろう。もっとも、この脳筋国家においては、何かあっても親分が一人で脱出などしようものなら、その者の社会的信用は失墜するのではあるが。


 ともあれ、単なる王都内での移動に使うものではない。まして、思い人とのおうちデートなんかで消費していいものではない。カリーナともあろうものが、そのあたりの線引きをわきまえていないはずがない。


「緊急事態……こんな場所に来て大丈夫なの? この屋敷のことは、政敵だって把握しているだろう」


「それは大丈夫よ。わたしって、どんな風に行動する時でも、必ず名目をはっきり用意してからにしてるでしょ? だから、こっそり臣下の屋敷に忍び込むなんて、誰も思ってないわよ」


 あまりに楽天的に聞こえる発言だが、カリーナもそのあたりは周到である。三ヶ月ほど前から、一週間に半日ほど部屋にこもり、誰も室内に入れない時間帯を作っていたのだ。だから、彼女が王宮内に姿を見せなくても、何ら不自然なことはない、というわけ。


「念のため、城を出る直前に、妹のフィリーネと一緒にお茶を飲んできたのよ。その場には侍女もいたから、部屋ごもりする直前のリラックスタイムと見せかけることができるしね」


「フィリーネ殿下、ねえ」


 ユリウスの頭の中では、フィリーネに対する評価は、今なお高いものではない。カリーナに害をなす存在ではないにせよ、足を引っ張る可能性があるのではと、危惧しているぐらいだ。


 もっとも、今の状況下で、フィリーネは別に重要な存在ではない。


「いや、そうじゃなくて。カリーナが警戒すべきなのは、暗殺じゃなくて、身柄の拘束だろ? 王宮外で頻繁に出入りしている場所として、ここを特定されるのには、そう時間はかからないと思うし、ここの警備なんて、訓練された兵士を前にすればないようなものだし」


「ううん、今日は念のための避難。連中が動いて、逃げてきたというわけじゃないから。まあ、こちらにどう反応するか、それを見るための行動、と思ってくれれば」


 間一髪の脱出というわけではないと聞いて、ひとまずほっとするユリウス。僕が守ってやるよ、と言えない自分をもどかしく思いながらも、いや、僕が彼女とタッグを組んでいるからこそ、守りに入れるのだと思わないと、と考え直す。


 ユリウスが、暗殺を心配する必要はない、と断定するのは、カリーナの存在を抹殺することのデメリットが、政敵側にも大きいのが理由だ。


 カリーナが成人して以降の実績の中には、外交上の得点というものがある。かつては、軍事的に威嚇するぐらいしかなかったところ、カリーナは前途有用な若手一級公証人を確保して、外交上の交渉および文言で有利な条件に導くという手法を実現させる。これによって、恫喝外交以外のカードがあることを、対外的に示した。そしてまた、そういうスタッフを擁すること自体が抑止力として働く。


 そしてまた、少なくとも現状では、このカードが純粋に属人的になっており、組織化されてはいない。すなわち、この外交能力は、カリーナ=ユリウスというラインがあって初めて機能している。継続的な安全保障という観点からはあまり望ましいことではないが、彼らが居なければ国力が大きく減衰するため、結果的に、その身の保全をする役割を担っている、といえる。


「まあ、それはそれとして。お土産があるの。はい、これ」


「? ……これ……王家の、紋章?」


「そ。あ、正式な文書ではあるけれど、準機密扱いだから、文書交付非公開扱いでね」


 真正性と効力については保障する。一方で、この文書が王室からユリウス・フリードホーファー・フォン・ルツェレン男爵に移ったことは、第三者に伝えられないという意味だ。


 そうなると、辞令や命令、処分に関するものではなく、権力関係を伴わない内示や通知だろうか。しかし、ユリウスには、心当たりがない。


 首をかしげながらも、封書をいったん押し頂いてから開封。中の文書を取り出して読み進めると、彼の顔色が変わっていく。


「……これ、は……」


 そこに書かれている内容に、ユリウスは、声を出すことができなかった。


「そう、ユリウスのお母様は、先王陛下と正室の間に生まれた、第二王女でほぼ間違いない。お母様の魔紋を確認したら、八割五分の部分がお二人と一致している。それに、お母様は生前、出生に関して頑として口を割らなかったらしいけれど、王家が滅びるかも、とおっしゃっていたという証言もある。どうして、あの男に囲われるようになったのかは……その……」


「いや、それは言わなくていいよ。……つまり……母上、は……」


「国王陛下、要はわたしの父上の妹。先王陛下の日記の中で、不自然に破られているところがあるから、その前後に何かあったのでしょうね。この種のことについて、一切の資料を残さないものだから、王宮側の裏付けはないのだけど、状況証拠からみて、確定といっていいわ」


 心臓がばくばくと音を立てる。カリーナの声だけがかろうじて耳に届いているのは、彼にとってそれだけ特別な存在ということだろうか。


「そん……な……」


 母の正体が、王女だろうが、貴族だろうが、平民だろうが、賤民だろうが、そんなことはどうでもいい。身分自体はどうでもいいのだが、子供の間に母というものを全く知る機会がないままに育ち、社会的にも経済的にも独り立ちできるようになって初めて、自分のルーツたる母親の正体がわかるというのは、大きな衝撃になる。


 木の股から生まれてきたわけでもあるまいし、父親と母親が居たからこそ、初めて人間として存在できている。当然の理だ。


 しかしユリウスにとって、母親という存在は、後付けの知識として取り込んだに過ぎない。乳児期にどのような形で育てられたのかは知る由もないが、母親に接する機会も、その代わりになる者と接する機会もなかった。父の正室も、ユリウスの母とほぼ時を同じくして他界しているから、母というものを、自分のものであれ他人のものであれ、子供の頃に知ることはなかった。


 物心ついてからも、子供と母親の一般的な関係については知ったものの、自然発生的に生じるであろう情愛のようなものは、想像することさえできない。当然、自分という人間が、母親に対して、どのような感情を持つかなど、まるで思いもよらなかった。


「は……は、う……え……」


 ユリウスは、体をぶるりと震わせた。


 彼をそのようにさせた感情の正体は、ユリウス自身もわかっていない。恐らく、生まれて初めて知った、自分を産んでくれた母親への念。


 その脇で、ユリウスを誰よりも理解しようとしている少女は、嗚咽にむせぶ彼の背中を撫でさすりながら、穏やかな微笑みを見せていた。


◇◇◇


「そういうわけで、ユリウスも王族の仲間入りです。ぱちぱち」


「いや、手を叩かなくても……その、さ……」


「ひとまず、手付け代わりに、わたしが持っている公爵位をプレゼントします」


「あの、ね……」


「お義兄様は、ユリウスの養子にすれば、これで大丈夫。年上の養子っていうのは禁止されてるわけじゃないし。これでルツェレン家とも縁を切れるよね」


「だから……」


 カリーナが茶化すように、しかし、次々と話していくが、これは、カリーナが持ってきた書類の内容を全面的に信用するとしても、かなりの大事になる。


 確かに、前国王とその正室の間に生まれたユリウスの母親は、存命なら王位継承権を持つ、れっきとした王族だ。これは議論の余地がない。


 しかし、ユリウスの父親と母親の関係は、正式な婚姻関係にある夫婦ではない。ユリウス自身は父親から認知されており、私生児というわけではないが、非嫡出子だ。それでも、純然たる王族が臣籍降下せずに設けた子供は、自動的に王族になるとされている。


 ただ、そのような慣習があるからといって、それを王族が、そして高官が認めるかどうか。そもそも、カリーナが持ってきた調査結果それ自体から、疑義が出る可能性だって十分にある。道理が通るというのと、理解が得られるというのは、次元の違う話なのだ。


 それに、ユリウスの父親をどう扱うべきかという、頭の痛い問題も出てくる。父の行為が指弾されるべきものであるなら、その行為の結果生まれたユリウスにその咎が及ぶのは避けられない。


「大丈夫よ、考えすぎ。そもそも、今の高官候補にしたって、ユリウスとどう接触していくかを気にしてるのよ。爵位を持っているとはいっても、官職にはないわけだから、独自の立ち位置を使えるし」


「カリーナらしくな……カリーナにしては、随分と拙速に進めようとするんだね。まるで、王国だけでなく、王家の体制の刷新を急ぎ……まさか!?」


 これだけ強引にことを運べば、下級貴族が不義の果てになした子を無理やり王族に仕立て上げ、それを手元に引き込もうとするようにしか見えまい。カリーナを攻撃する格好の材料を、政敵に提供するようなものだ。


 短期的には黙らせることができるにしても、長い目で見れば、それは王位継承に係る正統性に欠けると判断される可能性が高い。すなわち、足をすくわれる要素が、恒久的に続くことになる。その程度の事は、カリーナはもちろん承知の上だろう。


 それでも押し通すというのなら、タイミング的な問題しか考えられない。


 今、王位継承をめぐり、国王の子供の間で火花が散っている。つまり、そういった動きに対応して、先手を打つために、ユリウスを王族に引き込もうということになる。


 先手、となれば、もう、一つしかない。


「そう、クーデター。矢継ぎ早に、三段階で進めるつもり。王宮の武装制圧と王族の拘束、わたしの摂政就任の宣言、そして、ユリウスの王族地位確認発表と同時にわたしと……その……あの……いとこ同士でも問題ないから、えと……えっと……」


「あー、まー、うん、わかった。その続きは、僕がもう一度話す。今度は、明確な言葉で。今後の立場なら、大丈夫だよね」


 下を向いてモゴモゴ言っていたカリーナだが、ユリウスの言葉を聞いて、ぱあっと表情を明るくする。


 今後の立場、ということは、王族という地位を受け入れるということ。


 ユリウスの社会的地位が上昇することによって、カリーナとの関係を、正々堂々と深めることができることを前提とした、あの言葉を、明確に伝えてくれるということ。


 そうなれば、ユリウスの口から発せられる言葉は、一つだけだ。


「カリーナ。僕は、君が好きだ。恋人になってほしい。結婚を前提に、付き合ってほしい」


「……はい!」


 ユリウスは、カリーナの体をすっと引き寄せる。


「そして、二人で、二人だけで、その次の代の国王を育てていこう」


 ゲルツ王国の王位は、男系継承が大原則になっている。国王になる候補者自体は男性でも女性でも関係ないが、女性の国王または王位継承権者が、王位に就く資格のない男性との間に子を設けた場合、その子には王位継承権が認められないことになっている。


 ところが、唯一例外とされるパターンがある。すなわち、王配が国王または国王を経験した者の孫であり(子の場合は自動的に王位継承権が発生する)、彼と女王の間に子が生まれた場合に限り、この子に王位継承権が認められ、その順位は先頭に位置するとされる。どうしてこのような例外規定があるかといえば、王国が始まって早い段階、すなわち王位継承のルールが確定していない段階で、このような形で王位を継承させようとし、王太子に任じたという前例があるためだ。実際には、その子たちはいずれも早逝してしまい、王になることはなかったものの、王太子になりそれが廃されたわけではないため、この例外規定は現在でも生きていると判断すべきとなる。


 端的にいえば、前国王の孫である事が確認されたユリウスとカリーナが結婚して子をなし、カリーナが王位に就けば、その子は次期国王の筆頭候補になるということになる。


「ちょっと気が早いけど……そうね。よろしくお願いします」


 二人の顔が、傾いてきた日の光を受けて、その色を変えていく。


 夕暮れが近付いてきて、長く伸びていた二人の影が、ゆっくりと重なっていった。

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次回は、2022年1月17日(月)更新の予定です。

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