1-15.前日の謀議

「姉上、まだ話は終わってま、ちょ、ちょっと、何ですかこの扱いはっ!」


 ジタバタと暴れる妹の首根っこをつかんで持ち上げるカリーナ。一見、母猫が子猫を運んでいるようにも見えるが、その目には慈愛のかけらもなく、面倒なタスクをさっさと処理したいという考えが読み取れる。そして、持っていたそれを部屋の外へとポイと放り投げ、部屋のドアを閉める。


 ドアの外で、まだ何やらギャアギャアと叫んでいるようだが、無視を決め込む。


「一途といえばそれまでだけど、ね……」


 ユリウスがフィリーネに傾くことなどあり得ないと確信しているカリーナは、下を向いて息を吐く。


 別に、自分の魅力に対して絶対的な自信を持っているわけではないし、ユリウスが他の女に心を揺さぶられることがないと心底信用しているわけでもない。そうではなく、フィリーネでは、ユリウスを振り向かせるのは無理だろうと、客観的に判断しているからに過ぎない。


 本人にはとても言える話ではないが、ユリウスという男性自体は、特段女性にモテる要素を持つわけではない。発言は無難。容姿は無難。嫌われないようにする術、親しみを持たれるようにする術は備えていて、実績を積めば敬意を井高られるだろうけれど、敬慕とは違う軸のことになる。


 女性にとってプラスと判定されるのは、その将来性だろう。その才覚をもって、弱輩のうちに王宮で台頭していることから、注目を浴びている。加えて、上級貴族の当主たちの覚えもよい。政略的に考えて、娘を押し込もうとする動きが活発になるのは、自然のことといえる。ただ、上級貴族は、彼の背後にいる者が誰か見当がついているため、無理に縁談をねじ込んだりはしない。結果として、ろくに接点がない連中からの引き合いばかりになる。ユリウスは当然全て断っている。


 まあ、そういう意味でモテてはいるけれど、女性として魅力を感じるというのは、かなり限られた者に限定されるだろう。


 それに加えて、人の心に敏感なユリウスは、自分に向かう心情への警戒心がかなり強い。目に見える行為に対する恩義は忘れない一方で、移ろいやすい好悪の感情というものを信用しておらず、それが何かの機会ですぐにひっくり返るものだと割り切っている傾向がある。それでも、器用に人付き合いができるというのは、やはり彼の才能ではあろう。


 だからこそ、自分に対する感情の背景を知りたいと考えるし、その切っ掛けを探ろうとする。しかし、そんなものは通常、男女の機微に持ち込むものではないし、そんな面倒臭い関係は鼻について、気持ちも萎えるにきまっている。


「ませていた子供の一目惚れ……今から考えれば、千載一遇の好機をつかんだのよね」


 もしカリーナがもう少し幼ければ、異性への恋愛感情などを持つこともなかっただろうし、逆にもう少し年を重ねていれば、思いをストレートにぶつけることなどできなかっただろう。


 そしてまた、カリーナの持つ好奇心や知的水準が、ユリウスのそれよりもやや高めで、それゆえに彼の興味を引いたということもある。もう少し年長になっていれば、ユリウスの興味を引く問答ができたか、かなり微妙だ。


 そういう点で、カリーナがユリウスに出会ったのは、絶妙なタイミングだったといえる。


「気の毒と思わなくもないけど、あなたでは、とても無理なの。多分、ライバルになるなら……」


 カリーナが、誰に語るともなく独り言をつぶやいていると、コンコン、と、ドアがノックの音を立てる。


「姉上、マテアスです。よろしいですか」


「お入りなさい」


 ドアが開くと今度は、失礼します、と軽く一礼して、大柄の男が入ってきた。


 第三王子、マテアス・デットマー・フォン・ヴィルツェン。王位継承権は実質的に第四位に位置する。カリーナとは一つ違いの十七歳だ。


 カリーナを含め、四人の兄弟の誕生日が九ヶ月以内に収まっている。母親が全員違うからこそなせる業だが、第一王子や第二王子は上級貴族の娘を母親に持つのに対して、マテアスの母は平民、それも王宮内の清掃を行う雑役婦だった。彼女が仕事中、国王が戯れに自室へ引き込み、その後、未婚の彼女が子をなしたという経緯がある。ちなみに、国王が相手をしたのは、この一回きり。正室や側室がみな妊娠していたとはいえ、ひどい話である。


 そんなマテアスだが、それでも王宮の中では他の側室生まれの王子と同等の扱いで育てられた。二人の兄とは異なり聡明で、カリーナの見るところ、分析力や観察力は彼女を上回っている。腕っ節も強く、この点では臣下に侮られる要素はない。


 ただし、いろいろな理由により、次期国王への支持率は低い。いや、ほとんどないといってよい。


「二人の動きが隠せない範囲になっています。時間は彼らの味方です。少なくとも三日以内の行動を」


 挨拶もなく、極めてデリケートな本題を切り出す。


 “二人”とは、第一王子のルイスと、第二王子のフェリクス。いずれも、暗愚であるだけでなく粗暴で、とうてい王の重責を担える器ではない。統治能力皆無の引きこもりなら、有能な家臣に政事を委ねることで好結果につながることはある。しかし彼らは、王権を自分がほしいままに扱える玩具のように思っている節がある。無能にして尊大、それでいて視野が外向き。最悪である。


 彼らの母が上級貴族の娘とはいえ、さすがに貴族家当主ともなれば、そのような者に王位を継承させればどうなるかは理解しているし、破滅に繋がる選択は避けるべきと思っている。そして、王子の人となりを知っている者なら、その判断を正しいと認識するだろう。


 しかし、王子と直接接触できる立場の者、つまり王子の正体を知る者は、実はそれほど多くない。このため、貴族家の関係者なら、こういう結論に至る。


――お館様のお孫様が王位に就かれれば、当家は大いに繁栄する。そのため、お館様は全力で運動すべきだ。


 上級貴族といえども、いや、上級貴族だからこそ、上下のつながりも、横のつながりも大きい。すなわち、多様なステークホルダーが居る。だからこそ、彼らの動向を無視することはできない。結果、ポーズだけであっても、自分たちの係累となる王子を支持せざるを得ない。


 自分に強固な支持者が居ると思うルイスとフェリクスが、さらに増長するのは、自然の流れだったといえるかもしれない。


 しかも、彼らの暴力的な行動が、末端の兵などの支持を得て、そこから庶民的な王子様というイメージが広がり、一定の人気を得てしまう。彼らが非道なことをしているといっても、もともと頼る者もない貧民などを相手にしていたこともあって、少なくとも大衆サイドでは、そちらへ倫理的な非難が向かうこともなかった。


 結果として、カリーナの支持者は、ルイスやフェリクスの本性を知った者が、消去法的についているのに近い。つまり、権力基盤があまり強固とはいえない。さらに、真面目に仕事をしている分、大衆への顔出しも少ないから、王国民全体で人気があるわけでもない。


 しかし、マテアスによれば、それは悪いことではないという。


――特定の支持基盤がないのですから、特定の利益誘導に拘束されることもありません。選択肢が広がるのですから、有事には好都合ですよ。


 こんなことを語る通り、マテアス自身は王位に就くつもりは全くなく、個人的にはカリーナを全面的に支持している。幼い頃から、姉のカリーナがよく遊んでくれたということもあって、彼女だけに懐いているという面も大きいが、単純に、冷静な判断ができているだけともいえる。


 彼が王位継承の否定を表明していないのは、現在のタイミングでは自分の身の安全が危ないと判断しているからに過ぎない。それはつまり、政局への嗅覚が鋭いことも意味している。


 彼の情報によると、ルイスやフェリクスが、彼らの“支持者”を集結させており、城下のあちこちにアジトを設けているという。


 カリーナが追っている範囲では、ルイスもフェリクスも、母親の出身貴族家内の特定派閥から武力を調達しており、それを良心的な派閥が抑えるという構図だったのが、最近になって、強硬派が圧倒しているらしい。おまけに、ルイス派のならず者と、フェリクス派のやくざ者が市中で抗争を繰り広げており、彼らにはいくつかの貴族家から武器や人員が投入されているという。


 内ゲバで自壊するだけなら、死ぬまでやってろ、で済むが、王宮の外でドンパチを繰り広げられては困る。エスカレートすると、国を割っての内戦になりかねない。


 こうなっては、両派を武力で制圧、根源の両名は幽閉とでもするしかなかろう。さすがに、王国軍を構成するメンバーは、彼らのことを全く相手にしていないので、カリーナが軍のトップを押さえられれば、それでいけるはずだ。


「穏健な形で失脚させるのは、もう無理ね。わたしが父上に直談判して、王太女を宣言するしかないか」


「今は拙速が肝要です。手続など事後で結構かと。姉上が実行部隊を統率する必要はありませんから」


 手続によって権力奪取の正統性を担保し、長期的な王権確立へ資することを重視するカリーナ。政敵の早急な排除を最優先し、当面の安定性確保を目指すマテアス。


 二人の意見の相違は、性格というか、考え方の違いに起因している。


 王位継承の本命として、文字通りの王道を目指すべきとされてきたカリーナは、誰に対しても胸を張れる為政者としての力量を磨くべきとして、自信を持ちながら堂々と進んできた。


 一方のマテアスは、自分の出生もあって極端なまでの人間不信に陥った結果、実父も含めて、王宮内の者の大半を敵視しており、いわば猜疑心で身の安全を図りながら生きてきた。それは、彼が六歳の時に自分の母親を肺の病で亡くしてから、いっそう顕著になっていた。病気の性質上、他殺でないことは確実だが、子供心に、母が殺されたと思い込むのは致し方ないだろう。


 ただ、意見が違うとはいっても、対立するわけではない。カリーナも決して頭が固いわけではなく、ここは彼の意見を容れるべきと判断する。


「まあ、そうね。予定二案でいきますか。それなら……二日後の、日没後かしら。同時展開、できる?」


「問題ありません。あくまでも、実行は自分。姉上は善意の第三者で」


 幸いなことに、マテアスは自分の性格について冷静に分析することができた。他人を受容できない自分では、家臣を使うことはできないし、そもそも支配者として人の上に立つことなどできない。だから、国王はおろか、大臣だの将軍だのといった役職持ちなど務まらないと自覚している。だからこそ、唯一信の置けるカリーナの参謀に徹しようと考えていた。


「ただ、念のため、姉上にあっては、明日の晩は王宮の外においでになった方がよろしいかと」


「どうして?」


「明日の午後、王宮脇にある武器庫の点検があるのですよ」


 その言葉は、武装蜂起に向けて、王宮に備えてある武器を窃取するという意味に他ならない。最悪、そのまま行動を起こす可能性もあるということか。


「自分も、明日は一時避難する予定です」


「そう。わかった」


 二人とも、能面を貼り付けたような表情になっている。


 別に、腹の探り合いをしているわけではない。カリーナにとっては数少ない、マテアスにとっては唯一といえる、気の置けない関係だ。しかし、事態が事態だけに、のんびりお茶をしながら話せる内容ではない。


「あなたが避難する場所は、大丈夫なの?」


「上の者の副官の拠点に隣接する空き家があります。最近、その拠点に何度か侵入して、その場がマークされていることが先方にはっきりわかっているはず。恐らく本日以降は別の拠点を使い、分散して行動するでしょう。今夜以降は間違いなく、もぬけの空のはずです」


「……危険じゃないの?」


「そこに居れば、一斉捜索で一網打尽にさせてもらいますよ、と通告しているわけです。それでも留まる間抜けはいませんよ。姉上の避難先は……ああ、言うまでもないですね。事変前夜ですし、姉上が、身分の明らかな者と合意の上で一夜を過ごしても、何の問題もありませんよ」


「――な、な、なななな!」


 カリーナは、急に顔を真っ赤にするどころか、頭から湯気を出しそうになる。


「“あの方”に関する公的資料は、明日の朝一番にはできると思いますので。今日は早めにお休みになるのがよろしいかと。明日は一晩中眠れないかも知れませんし、体力も温存しておく方がよろしいかと」


「うるさーい! 出てけーっっっっ!!!」


 マテアスの顔に、デスクに置いてあったタオルが直撃した。


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カリーナとマテアスの間では、軍事行動を起こす場合の行動予定はすでにできています。直前になって、あまり具体的な打ち合わせをするのは不自然ですので、確認程度に留まっています。

ちなみに、マテアスは“みそっかす”キャラではありません。母親は不遇ですが、彼自身は理不尽に冷遇されていたわけではありませんので。

次回は、2022年1月10日(月)更新の予定です。

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