1-14.それだけはやっぱ譲れないんだ
カリーナは、すでに全ての仕事を片付けたため、これから読書、もとい、資料確認の時間になる。これは、業務と直接関係のない資料を読み込むというもので、彼女が政務に関わるようになってから、毎日欠かさずに行っているもの。脳筋王国ゆえ、政務で作られてきた資料はそれほど多くないのだが、それでも、過去の統治実態を把握しないことには、今後を変えていくことなどできない。
いや、王国自体をいったんぶち壊すことは、可能かもしれない。それでも、民も含めてガラガラポンというわけにはいかない。たとえ革命が起きたとしても、過去の統治を無視することはできない。だからこそ、資料をしっかり読み込む。
――王宮には、さぞかし多くの資料が蓄積されているんでしょうね。我々が生まれ育った領地の経営も、そういう資料があれば、少しは楽だったでしょうに。
ユリウスの、そんな何気ないひと言で始まったものではあったけど。
そんなカリーナは、資料室から持ち出したものを、自分の部屋で広げる。すでに私的な時間だからと、くだんのリボンで髪をキュッと絞る。これで気が締まるわよね、と思っているのだが、顔がかなりだらしないことになっているのに気付いていないのは幸いというべきか。
彼女が、自分だけの時間を満喫していると、部屋のドアが唐突にバンと音を立てて開く。
「姉上だけそんないいモノもらうなんてずるいです!」
「開口一番、何よ……」
せっかくのいい気分を邪魔されて、ちょっとげんなりした表情になったカリーナの視線の先に居たのは、彼女の妹にして、ゲルツ王国第二王女であるフィリーネ・フォン・デットマー。カリーナとは四歳違いの、十三歳になる。
ワガママかつ頭の悪そうなセリフと共にずかずかと入ってきた彼女は、幼少期の発達がかなり遅れ気味だったこともあり、王室はもちろん臣下の間でも、王位を継承するだけの能力はないと判断されてしまっている。本来なら、現国王と正室の間に生まれた二番目の子供なので、王位継承の順位はカリーナに次ぐ二位のはずなのだが、能力が低いと判断された場合は“劣位継承者”とされ、順位が最下位クラスになるというルールがあるのだ。したがってフィリーネには、王位を継承できる可能性はほとんどない。実際、国政に対しては全くの無関心であるといわれ、このため帝王学を学ぶことがなく、実務の補佐などを行う機会もない。
ただ、幼少期の発達が遅いからといって、知能が大きく劣っているわけではなく、その時期における成長速度が鈍かったというだけのこと。この世界における成人が近くなってきた現在では、思考力も判断力も、少なくとも年齢相応以上のものを見せている。愚昧な馬鹿王女などでは決してない、カリーナはそう評価している。
そして、どこぞの三文小説のごとく、両親が妹ばかりを溺愛して姉を無視することはないし、妹が姉のものを欲しがってすべて奪っていったりすることもない。私的領域では、十分に聞き分けのいい妹なのだ。
ただし、一点を除いて。
「どうしてそう、いつもいつも、ユリウス様といい思いなさって! どうして、わたくしには会わせてくださらないのですか! わたくしの方が、あの方と早く、運命的な出逢いをしたというのに!」
「気持ちはわかるけど、こればかりは譲れないわ。絶対に」
そう、フィリーネの初恋の相手は、姉のカリーナのそれと同一人物なのだ。しかし、その相手は、すでにカリーナと相思相愛の間柄で、当人たちもそれをすでに自覚している。残念ながら、すでにフィリーネが入り込む余地はないのだが。
もっとも、ユリウスの側から見た場合、フィリーネはそもそも恋愛対象になり得なかったため、最初からスタートラインにさえ立っていなかった。なにせ、カリーナはユリウスより一つ年上なのに対し、フィリーネはユリウスより三つ年下、幼少期にこの年齢差は大きい。しかも、初めて会った時の印象が、年齢の割にろくな会話もできない、という評価。この評価自体は、カリーナのフォローもあって徐々に改善されていくものの、第一印象が良くなかったのは致命的だった。
ついでにいえば、ユリウスによる人物評価は、かなり偏っている。極端にいえば、性格と能力を評価軸として、その両面を総合して、自分にとって付き合う価値があるかどうかを判断している。ただ、付き合う価値がないと判断したところで、それを積極的に排除しようとしたり、遠ざけようとしたりすることは、基本的にない。もちろん、側に居るだけで害になりそうな輩は別だが、柔軟な対応で付き合いを続ける器用さが彼の持ち味だ。その点でも、ユリウスがフィリーネのような少女にコミットしようとすることは、まずないだろう。
「別に、譲れ、とは言っておりませんわ。わたくしも並ばせてほしい、というだけです。いいじゃないですか、ユリウス様に会わせていただくだけでも」
「彼に会わせる理由なんかないじゃない。だいたい、機会が欲しいなら、自分の手で用意するものよ」
カリーナは、ユリウスに定期的に会うための理由がある。当初は、理由というよりも口実に近かったのだが、それとて、カリーナが自力でつかみ取ったポジションだ。目の前の妹のように、会わせろ、というだけで会えるようになったわけではない。
もっとも、この期に及んで、公務でユリウスと接触する機会を設けるのは、難しいだろう。一級代言人および一級公証人としての業務を多く抱え、行政の中枢に食い込んでいる彼と共に仕事をするのは、十三歳のフィリーネには厳しい。公認代書人監察官などという、お飾りでも務まるポストをうまくゲットしたカリーナの時とは、すでに環境も違うのだ。
「それでしたら、わたくしが姉上の補佐を担当しますわ。主要業務は無理でも、補佐でしたらそれなりの力になれると思いますの」
「やめて。王位継承権者が別の継承権者を部下にするなんて、他の高官が見たらどう思うのよ」
この国では、王族が政務を公式に担当する場合、それぞれ明確に異なる部門に配属し、基本的に相互を接触させないようにするという不文律があった。権威のある者が特定の分野に集中すると、いろいろと弊害が発生するためだろう。もちろん、戦争時や災害発生時など、挙国一致で対応すべき事象が発生した場合は別だが。
「ユリウス様を、資格持ちの民間人ではなく、公式に役職をお与えになって、個室を用意すればよろしいのでは。それで、こう、一日おきに、わたくしが通う日と、姉上が通う日を分けて」
「個室を用意って、どう聞いても、いかがわしいことをするためとしか考えられない場所を確保なんて、できるわけないでしょう」
カリーナも、ユリウスに正式な官職を与えようと検討したことはある。しかし、彼はもともと束縛されるのが嫌いなタイプだ。宮仕えなどさせれば、最悪の場合、国から出てしまうことも考えられる。国際的に通用する強力な資格を持っているから、その可能性は十分に高い。そういったことを考慮して、男爵位を与えながら、業務はあくまでも民間人として行う態にしている。そして何より、少なくとも自分がいる限り、ユリウスはこの国を見捨てることはないだろう。カリーナには、そういう自信もあった。
第一、ユリウスの仕事内容を考えれば、部門横断的な業務が中心になるので、個室よりも、各部署にそれぞれ机を置く方が必要だろう。だいたい、王女様お気に入りの若者が、唐突に個室を与えられたりすれば、下世話な噂が一瞬で拡散するに違いない。だからこそカリーナは、王城でユリウスと仕事をする時には、必ず、他の官僚が居る事務室や会議室を使い、彼だけを大臣室に招くことは絶対にしないよう注意している。
「別にいいではありませんか。昔から言いますでしょう、英雄色を好む、と」
「彼、別に英雄というわけじゃないし、どちらかといえば草食系よ。で、話はそれだけ?」
ユリウスは、人たらしの面はあるが、別に女たらしではない。むしろ、女性とは露骨に距離を置こうとしている節さえある。女性関係に関してトラウマがあるわけでもなく、単に不器用なだけなのだが。
だんだんくだらない方向に進んできたので、カリーナが話を打ち切ろうとしたとき。
「姉上の“野望”に協力するかわりに、わたくしが第二夫人の座に挑戦する権利をいただく。これはいかがでしょうか」
「……」
カリーナは表情を変えないが、軽い口調でツッコミを入れていた口が止まる。
「姉上の調査で行き詰まっているのは、ユリウス様の出身地の情報でしょう。ええ、姉上は、地方領主への監督権はございませんし、文書化されない事実を調査する権限も、時間的余裕もございませんから」
「……」
「そこで、鍵となる情報をわたくしが姉上に提供することで、最後のピースが埋まる。これで、ユリウス様の立場が確定、姉上の立場も確定。そして、わたくしもまた、立場への挑戦権を得る。万々歳じゃないですか」
「何が、万々歳よ。……第二夫人なんて、そんなの、わたしは認めない。だいたい、一夫多妻制なんて、時代錯誤よ。婚姻に政略性が伴う以上、複数者での婚姻が、どれだけ貴族の社会を歪めてきたか」
「その面は否定しませんが、姉上も、ユリウス様も、世襲王政を堅持するという点では、同じはずです。一夫一婦制で、王家一門の存続を保証できますでしょうか。最低でも、国王および第一王子については、一夫多妻制を認めなければ、王家断絶の可能性が高くなるのでは」
目の前にいる妹は、決して愚鈍でも、凡庸でもない。抽象的な思考ができ、論理的な説明ができる。国家の統治に必要な知識も徐々に増やしており、王としては物足りなくとも、官吏としては十分に働くことができるに違いない。何より、公私の区別をきちんとつけることができるのが大きい。
そのくせ、王位継承に関する政争から完全に切り離されているからこそ、こんな発想ができるのだろう。
そんな妹に、ある意味、図星を突かれた形となったカリーナの顔が、渋面に歪む。
ゲルツ王国の王位継承権者は、基本的なルールが慣習として定められており、王の死亡または退位によって、自動的に次の王が定まる。本来であれば、後継者争いが発生する余地はない。
しかし、カリーナが公認代書人監察官になった頃、国王が家臣から彼女について聞かれた際、実に不用意なコメントを発したのが、混乱の契機となる。
――いや、まだまだじゃの。この先、わからん。
彼の真意としては、もっと成長して欲しいという、純粋に親が子に対する気持ちでしかなかったのだが、これが、次代の国王はカリーナと決定しているわけではない、という表明だと解釈される。そして、その認識は、他の王族にも、臣下にも、広く浸透してしまった。慌てて発言を撤回、修正したものの、認識が定着してしまっており、結果として、次期国王は、何らかの実績を上げたものが指名される、という、よくわからない状況に陥ってしまった。
その結果、次期国王候補は、ほぼ四人に絞られている。
カリーナ以外では、第一王子のルイス、第二王子のフェリクス、第三王子のマテアスとなる。いずれも側室が産んだ子で、本来であれば、カリーナに万一の事態が発生した場合の保険にしか過ぎない。ちなみに、国王とカリーナが同時に死亡またはそれに準じる状態になった場合は、国王の兄弟姉妹が継承することになっている。王子王女間での混乱を避けるためだ。
ところが、ルイス、フェリクスは、まさに暗愚という言葉の用例になるような者たちで、国王はおろか、王族の立場に留めてよいのかというありさまだ。ルイスは身体能力、フェリクスは魔法能力に優れているが、地道に鍛錬を重ねたり理論を学んだりといったことはせず、自分より弱い者に対して稽古と称していたぶっているだけ。平民出の下級吏員で、彼らの“稽古”のために退職を余儀なくされた者は、数十人にも上るという。教師なども匙を投げるどころか、報復を恐れて、彼らがサボるに任せてしまっている。
それでも、愚王が家臣の信認を得ることは、十分に考えられる。神輿は軽い方が担ぎやすく、また旨みを甘受しやすいからだ。外患の心配が今のところないため、悪い意味で内政が保守化、安定化しやすい。そうなると、国家機構にメスを入れる覚悟のあるカリーナは、余計な波風を立てる、現実の見えない姫様、と見られることも考えられる。
この点、高官たちの懐にやすやすと入り込み、機構刷新に少なくとも反対しない者を着実に増やしていったユリウスは、カリーナの立場を強くする働きも担っていた。
「それでも、受け入れる余地はないわ。だいたい、なんの国益にもならないでしょう」
「下級貴族からのし上がってきた、それでいて腕っ節も何もない青年への箔付けになりましょうし、彼が実権を掌握する際に説得力が増すと思いますが」
「全く、ああ言えばこういう……まあ、あなたがやることは止めないわ。でもね、わたしは、あなたに譲れるものはないからね。……もう、いいでしょ」
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次回は、2022年1月3日(月)更新の予定です。
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