1-13.空手形のつかませ方

 王宮に戻った後も、カリーナはずっとゴキゲンだった。さすがにリボンを付けたままとはいかないが、デスクの上に置かれたそれに視線を向けては、ウフフ、と顔を緩ませている。臣下が出入りする執務室ではこういうわけにはいかないが、今日の政務はすべて片付けてある。王族内の私的行事の準備作業のため、仕事を私室に持ち込んでいるだけだから、誰かにとがめられる心配もない。


 そんなゴキゲンも、無粋な声で止まってしまう。


「姫様、失礼致します。ルツェルン子爵殿が面会を求めておりますが」


「……」


 侍女が“殿下”でなく“姫様”と呼ぶのは、ここが政務室ではなく、プライベートルームだからだ。公的領域と私的領域で敬称を変えているわけで、例えば外向きには“陛下”、内向きには“王様”だったりする。


 しかし、カリーナが珍しくもあからさまな仏頂面になったのは、面会希望者が、彼女にとっては邪魔なだけの存在にだったためだ。


「何の連絡もなしに、無礼だこと。内容以前に、わたくしに取り次ぎを求めた理由は?」


 無役の下級貴族といえども、第一王女クラスが直接聞くべき話をもってきた可能性も、ゼロではない。しかしそれなら、大臣などの高官や上級貴族を経由するはずで、そういった者が同伴する際に同行し、その際に奏上するのが筋だろう。単独で面会を求める例など、聞いたことがない。もっとも、そうしなければいけない、という明確なルールがあるわけでもないが。


「それが、内務大臣も、財務大臣も、宰相も、司法制度整備担当大臣も不在のため、その上の、第一王女殿下を出せと……」


「最後のやつ、完全に当てつけじゃない」


 カリーナ自身、現役大臣の一人ではある。しかし、司法制度整備担当という部下を持たない無任所大臣であり、急ぎの決裁が必要になって呼び出されるような職掌ではない。事実上の実務担当者であるユリウスだって、カリーナが大臣として仕事をしている時間以外は、彼女にアクセスすることは絶対にしなかった。不在だから、などと、あたかも怠慢の如く言われては、斜めになった機嫌がさらに悪くなるのも無理はない。


 窮地に追い込まれた結果、すり寄りに来たか。自分とユリウスの関係を薄々感じて、それをネタにいくばくか引き出そうとしているか。


「先方にはそれなりの用事があるのだろうけど、わたくしにはないわ。そもそも、各大臣がちゃんと仕事をしているのに、わたくしが勝手に対処できるはずがないのに。お断りして」


「それが、お会い頂けないなら、内宮の玄関から一歩も動かない、と、子息と共に黙って立っておりまして」


「内宮まで入ってきてるのね。……そのまま縛り上げて、城下に捨ててきたいけど、そんな前例ないのよね……その程度じゃ、不敬罪は適用できないし……」


 門衛たちも、田舎貴族とはいえ、名門子爵家当主だから、邪険に追い返すわけにもいかない。暴れたり、大声を上げたりすれば、それなりの対応を示すことができるが、丸腰で、ただ突っ立っているだけ、通行の邪魔にもなっていない。これでは、彼らは当惑しながらも、警戒しつつ見守ることしかできないのだ。


 それでは、政務で一定の裁量を持つカリーナが判断できるかというと、そうもいかない。これが城下、あるいは官僚や軍人が出入りする外宮なら、彼女の権限で痛い目にあってもらうこともできる。


 王城は、官僚や軍人が勤務し、高官が詰め、国王など王族が彼らと謁見する外宮と、王家の私的領域である内宮の二つに分かれている。内宮には、大臣級ながら王家直属の家宰である侍従長を除き、家臣が出入りすることは、緊急要件がある場合などを除いて、基本的にはない。その内宮は王族の私的領域であり、その意思決定は当主たる王が握っている。国全体を縛る法ではなく、王家を縛る規則だから、当然だ。そして、カリーナは単なる王女に過ぎず、何の権限もない。緊急案件を独断で専決することはできなくもないが、その場合は速やかに国王に裁可を仰ぐ必要がある。


 だから、ルールに則してどうこうするわけにはいかない。もっとも、ルールがあったとしても、貴族を相手に処分するとなると、慎重にしなければいけないのだが。


 もちろん、侍従長を除く臣下が内宮へ入ってはいけないというルールも、それの前提となる前例もない。そもそも、一介の貴族がいきなり第一王女あたりにノーアポ吶喊など、王国始まって以来の珍事に違いない。無礼そのものだし、今後、その家が白眼視されるのが当然だから。


 本来、貴族は、そのような行動を取らないというのが常識、いや、世の共通認識だった。貴族の行動原理は、基本的に、見栄と外聞によって規定される。だからこそ、貴族としてのマナーなりルールなりが存在し、そこから逸脱すると、貴族としての心得がなっていない愚か者と評される。しかし、この貴族は、そういうことを一切気にしないのだろう。いや、気にするほどの余裕がなくなっているのかもしれない。


(まったく。こう悪目立ちされては、少なくとも彼らが王都に居る間は、処分なんかできないじゃない)


「しょうがない、会うしかないわね。でも、子爵が内宮に押しかけて王族が対応するという前例を作るのはまずいから……司法制度整備準備室へ案内させて。わたくしは“仕事があったことを思い出した”、そして連中は“わたくしが仕事を知っていると聞いてそちらに向かった”ということで。そいつらが内宮へ来た事実はなかった、ということで」


「かしこまりました」


侍女が退出すると、カリーナは深いため息をついてから、デスクの上のリボンをそっと胸ポケットに入れてから、大臣室へ移動した。


◇◇◇


「いやいや、カリーナ姫! お久しぶりにお目にかかりますな! わざわざ内宮でお待ち申し上げておりました甲斐がございましたぞ!!」


「……」


 カリーナは、絶望していた。目の前に居る子爵家当主は、彼女が“王家の娘”ではなく“王国の大臣”として面会を許可したということを、そして、一貴族が内宮へ押しかけたことを不問に付そうとしたことを、まったく理解していない。事前の調整もなく王族に面会を求めたわけではないという様式をわざわざセッティングしたというのに、それを一瞬でぶち壊すとは。こめかみに手をやりたくなるのを、なんとか抑え込む。


 理解していながら、敢えてこのような言辞に至るなら、それは相当な大物だろう。自分の意思一つで、王族を呼びつけることができる、というわけだから。そういう者は、王家に対して挑発的、威圧的な姿勢を取りつつ、実権を掌握していこうとする、いや、掌握しつつあるはずだ。王の権力が骨抜きになり、実際には側近が全てを仕切るパターンなら、こういう傲慢な姿勢が出てきてもおかしくはない。王族は俺に従っていればいい、というわけだから。


 しかし、この男には、そういう野心はない。むしろ、小者の部類だろう。そもそも、自分の態度や言動が、失敬かつ傲慢なものという自覚さえなさそうだ。


(領主として無能というだけでなく、貴族としても失格。そもそも、団体行動ができる人間じゃない。こういう者を、権力者層から排除すべきだという共通認識、それを醸成する必要があるわね)


 恐らくこの男は、世間的な評価は、少なくとも領地外では特に低いものではなかろう。弓使いの豪傑というのが一般的で、そういう者が低姿勢で王族に従うのは謙虚だ、という程度に思われている可能性が高い。貴族家でも当主クラスは近寄りたがらないだろうが、その家人あたりの評判が必ずしも悪いとは思えない。


 だからこそ、現在の個人武勇を第一とする風潮を変えねばならない。それが、カリーナの考えだった。


 もっとも、カリーナは、尚武の気風を称揚するゲルツ王国の国是については、必ずしも変える必要はなく、軍事国家の外見に手を加えるべきではないと判断している。この点で、法律と経済の秩序を軸に、文民が中心となって社会体制を整備することを重視するユリウスとは、見解の明確な相違があった。そして、中期目標レベルでは、ユリウスが求めようとするものと衝突するかもしれないことを、カリーナは冷静に予測していた。


 それでもカリーナは、ユリウスと共にこの国を作っていくことについて、全く心配していなかった。


――権力者には、同じ意見の者なんて、不要です。建設的な議論と批判が可能な共通認識と共通言語を持つ者がいれば、それで十分ですよ。本来、権力者とは、孤独な者なのですから。


 そう語ったユリウスの顔を、カリーナは今でもハッキリ覚えている。同調者とイエスマンを切り分けるにはどうすればいいかと考えていた彼女に、この言葉は鈴が鳴るように響いたのだ。


 恋情フィルターを差し引いても、自分の野心やリーダーシップを見せず、いわば上位カースト組から好意的に受け入れられながら、しかし大胆に行動を進めるユリウスは、優秀であり有能であるのは間違いない。


 どうして、こんな男から、彼が生まれたのか、と思うが、表情には出さない、出せない。


「実はですな、姫様にご相談したいことがございまして。恥ずかしながら当家の領地、思いも寄らない災害や不幸な事故などが毎年重なっておりまして、カネが足りないのですよ。聞けば、息子のユリウスは、何やらいう試験を合格したとかで、相当の給料を得ているそうなので、それを出させようとしたところ、理不尽にも、できないと拒絶されましてな。ここは一つ、姫様のお力添えで、息子にこのような不埒、無法なことをせぬよう、そして給料の最低でも半分程度は親元に渡すよう、命令していただきたいのですよ」


「そうなのです! ユリウスの奴、ろくに鍛錬も何もしないで、紙に字を書くだけでカネを得ているのです。しかも、領地もないというではありませんか、何の支払もないのです。そんなカネは実家に速やかに渡すよう、命じるべきですよ。ええ、王宮からの給料のうち半分は、実家に支払うべきです!」


「……」


(どこから突っ込んでいいものやら)


 頭を下げて、助けて下さい、だったら、かわいげはある。ところが、ふんぞり返って支離滅裂な主張をされては、反応に困る。


 そもそも、すでに成人して独立した家を持つ子供の収入について、その半分は親に回せ、ということ自体、無茶苦茶だ。


 丹念に説明していくことはできるだろうが、相手が理解できない可能性が高い。そもそも、理解しようともしないだろう。仕方ないので、ごく基本的な説明に留めることにする。


「まず、王国からユリウス・フリードホーファー・フォン・ファンディル殿へお支払いしている報酬は、王国と、一級代言人および一級公証人の間の契約に基づいて支払われるものです。その報酬を第三者に支払うことはあり得ません」


 ユリウスは男爵位当主という貴族ではあるが、官職を得ているわけではない。事実上カリーナの部下のような仕事をしてはいるが、それはあくまでも一級代言人および一級公証人という立場であって、民間人の請負業務というのが正確なところ。ややこしいが、厳密には、下請けをしているだけで、宮仕えをしているわけではない。


 したがって、請負先であるユリウスの債権者(?)がいかに主張したところで、それは第三者たる王国に及ぶことはなく、王国とユリウスの間の契約が覆されるものではない。


 ちなみに、ユリウス側が第三者に対して再請負をすることは、契約上認められている。このため、ユリウスの仕事を手伝う者がおり、王国からの報酬の一部をユリウスが彼らへそのまま渡すこと自体は、問題ない。だが、そういうことを言うと、都合のいいように曲解されるのが目に見えているので、当然黙っておく。


「そしてまた、ファンディル男爵家の資金の使途について、王国が逐一命令する権限はありません。唯一可能性があるのは、一定の条件を満たした場合に、王国に対して資金提供を求めることですが、この場合でも、第三者であるルツェルン子爵家のみへ配分することも、絶対にありません」


 ピシャリと言い切る。理由は単純で、父親が困っているからお前助けてやれ、なんていう命令を出せるわけがないから。


「そういうしだいで、王国が介入することはございません。当事者同士でお話し合いくださいませ。なお、現在の法およびその運営についてご意見があれば、この場でお聞きしますが」


 すがすがしいまでのゼロ回答。そして、王族としての面会ではなく、司法制度整備担当大臣としての対応ということを、重ねて強調しておく。


 当然ながら、法やその運用という観点で、問題点を指摘したり要望を上げたりするような頭脳は、目の前の父子にはない。法以前に、比較的最近の前例や慣習さえもチェックしていないだろうことは、無断で内宮に押しかけてきたことを見れば、推して知るべしだ。


「そんな無体な!」


「ですが」


 目の前の愚物を物理的に抹殺したくなる衝動を必死に抑え込みながら、カリーナは敢えて逃げ道を作っておく。何の希望も抱かせないままだと、絶望の揚げ句暴発しかねない。


 いや、彼らを単に処分するだけなら、暴発させてから断罪するのも悪くはない。処分するための大義名分を先方がわざわざ用意してくれるなら、物理的損失よりも社会的損失の方が大きいダメージを受ける王国にとっては、そちらがベストチョイスになるから。


 しかし、実父や実兄が不祥事を起こしたとなれば、ユリウスの経歴に傷が付く。別家となっている父や兄の咎が、すでに独立している子に波及することはないが、ユリウスが彼らへの援助を怠ったと見られることが十分に考えられ、その結果、ユリウスが中央政界で活動できる幅が限定されたものになることが考えられる。たとえ、現在の主要な高官の信任を得てはいても、政敵が攻撃する材料になる可能性は高く、その場合に立場を保全するのが困難になることもあり得る。ルツェルン家父子の愚物ぶりが知れ渡った後ならそれも構わないかもしれないが、そういう評判がない以上、暴発させるのは避けたい。


 ある意味、彼らが存在していること自体が、ユリウスに対する人質になっているわけで、その点で彼らが身を保全しているともいえる。当人たちは全く理解していないけれど。


 そういうわけで、穏便にこの場から帰ってもらい、束の間の満足を感じてもらう必要がある。だからといって、実効性のあるお土産を持たせるわけにはいかない。


「ルツェルン家が求めているのは、ファンディル卿からの資金提供そのものではなく、国税納税の猶予と、当面の運転資金の確保ではないでしょうか。しかし、我が王国を支えてきた、名誉ある領主貴族が苦境に陥ることは、国益にかなうものではありません。こちらをご覧ください」


 ここでカリーナは、一枚の書類を提出する。そのタイトルには『領主貴族の領地経営に関する緊急援助措置の実施について』とある。


「ここに記されている内容をご説明しますね。国税の納税が困難な状態に陥っている子爵家以上の家格の領主貴族に対して、以下の措置を行うことができる。第一に、国税の納税を最大六月猶予し、その間の利子および延滞金等は発生しない。第二に、年利一パーセントを上限とする緊急融資を行い、その返済期限は最大三年後とする。第三に、当該領主貴族は領地経営に専念し、軍務を始めとする王都での役務を免除する。第四に、この措置が適用されている間に、国王による恩赦が発出され、または当該領主貴族が著しい功績を挙げた場合、それ以降将来に向かって発生する返済を免除する。……いかがでしょうか」


 ここで彼らは、書類を見て、気付くべきだった。日付が書かれていないことを。誰のサインも印もないことを。すなわち、第一王女の令旨でも大臣通達でもない、単なる検討文書であることを。そしてまた、彼女が“記されている内容”について説明しているのみで、“制度”について説明しているわけではないことを。


 そう、カリーナが見せたのは、あくまでも、そういう措置を“検討するための提案書”、要は企画書に過ぎない。つまり、その内容は、制度化されていないのはもちろん、そもそも、誰にもオーソライズさえされていないレベルのものだった。


 こんな紙ペラを用意したのは、実は、ユリウスの兄である公認代書人、ゲラルトの案。最初はユリウスが、カリーナの権限で出せる令旨の文案を用意しようとしたのだが。


「あいつらのことだから、甘く吸えそうなものを出せば、すぐに食いついてくるさ。それなら、法的拘束力はおろか、示達でさえない“文章が書かれた紙”で十分だ。それを根拠に後からいろいろ言い出しても、そもそも文書の作成履歴さえ残っていないのだし、知らぬ存ぜぬで通せばいい。目の前のことに手一杯で、文書の中身はおろか、外見だって読み取れやしないよ」


 図々しくも、図々しい国から、図々しい教を布教に来たような連中だから、と付け加えたゲラルトのセリフに、思わず吹き出してしまったカリーナだったが、今となっては、笑いも出ない。


「そもそも、人ってのは、自分にとって見たいと思うものだけが見えて、そうでないものは見落としてしまうようにできている。まあ、文字を読むのじゃなくて、こういうことが書いてあるんだろうと、希望的観測に基づいて、勝手に補完してしまうわけだ。だから、誤ったことが書いてあろうが、自分に不利益になることが書いてあろうが、簡単に見過ごす。詐欺師がよく使う手口だけど、これは書類でも同じってことだ」


 多くの書類を目にしてきたゲラルトは、書類を“作れる”人間が、どれだけ悪辣なものを用意するか、よく知っていた。識字率が低いがゆえに、こういう悪徳商法的な書類作成がまかり通るわけだ。


 そして、この父子は、ゲラルトが想定した通りに動いた。


「ぜ、ぜひお願いします! その措置、使わせて下さい!」


「それでは、こちらの内容を確認のうえ、こちらへサインを。ご当主と、その親族の方一名の分ですね。……ふむ……ふむ……はい、けっこうです」


「た、助かりました!」


「くれぐれも、他の貴族家、例えばファンディル男爵家などに、迷惑を掛けないようにお願いしますよ」


「そ、それはもう! そ、それではっ!!」


 頑として動かないぞとばかりの姿勢だった二人は、忙しい中に時間を使わせた彼女に礼の一つも言うことなく、部屋を飛びだしていく。


「……バカな連中。あんな“落書き”をありがたく持っていくなんて。まあ、上機嫌で領地に帰ってもらいましょうか」


 後は、彼らが領地に戻ったタイミングで、冷徹に“処分”すればいい。それで、彼女の策を阻むものは、ほぼなくなるだろう。


 カリーナはすっきりした気分で、自分の部屋へ戻った。


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次回は、2021年12月27日(月)更新の予定です。

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