1-12.一番いけないのは必要なお金を借りようとすること

 人前で顔色を変えることなどまずないカリーナが、いかにもゴキゲンですという感じで、ニコニコ。そして、恐らく生まれて初めてであろうポニーテールを束ねる、およそ貴族的でないリボン。


 中座していた間に何があったのか、屋敷の主人であるゲラルトも、カリーナの侍女であるマルセラも、すぐにピンときたが、それを口に出すことはない。ただゲラルトは、ニヤニヤ笑いながら、ユリウスを肘でうりうりとつつく。ユリウスはそんな兄を、うっとうしそうに押しのけるが、彼とて、口元の緩みを隠しきれていない。


「それにしても……ここから先は、一切口外無用ですが……お二人のお父上たちにも、困ったものですね」


「は、我が父ながら、面目次第もございません」


 カリーナが指摘しているのは、ゲラルトとユリウスの実家であるフリードホーファー本家の領地経営が破綻寸前になっていることに加えて、下手な処理をしようとしていることが明らかになってしまったことだ。


 領地を与えられている貴族は、その領地内での徴税や司法の権利を独占的に有する。その一方で、有事の際に必要となる人員、食糧、資金、各種資源などを常に確保しておくことが求められる。常在戦場が求められるわけで、さすが武断国家である。


 もっとも、全ての領主貴族が、常に戦時体制を維持できるはずはないし、戦時経済を前提にした産業構造を備えている領地を持っていない限り、領主経営が成り立つはずがない。このため、実際の運用上はずっと緩和されている。ただし、本来の義務を免除ないし軽減する場合、領民の人口に応じた国税を、年一回、納付することになっている。いわば、軍事費の提供という形になる。


 国税納付といえば簡単そうだが、いわば人頭税だから、課税対象となる領民の所在を明確にせねばならず、そのためには戸籍の作成と更新が不可欠になる。徴税にあたっては領主税と国税を分ける必要もあるし、精密な記録をつける必要もある。当然ながら、徴税に関する実務能力が必要になるが、フリードホーファー本家では、そういう能力は軽蔑の対象にこそなれ、必要なものとは考えられていなかった。


 どのように対処していたかといえば、納税に際して、前年の納税額にほんの少し上乗せした額を計上して納めることで、ごまかしていたのである。これなら、記録を“作成”する徴税請負人しだいで、どうにでもできる。


 農業と林業程度しか産業がない領地だから、人口が大きく増減することは考えにくいとはいえ、毎年の納税額が全く同じ、納税人口も全く同じでは、明らかに不自然だ。しかし、納税額がわずかながらでも増えているなら、目をつけられることはまずない。王国サイドも、毎年きちんと税が支払われているなら、特に文句をつけることもない。これまでは、それでうまくいっていた。そう、これまでは。


 ところが、ここ数年、フリードホーファー本家の財政事情は急速に悪化していた。領内で生産されている穀物が軍の兵糧用に特化していたところ、単種兵糧ではリスクが大きいという意見が出て調達が分散されたこともあって、その需要が低下し、価格が急速に下落。収入が激減した農家は、領主所有の山林へ勝手に出入りするようになり、動物たちを乱獲した結果、魔物がしばしば人里へ出現するようになり、水路などのインフラが破壊されることになる。そうすると、収量自体も低下する。結果として、慢性的な金欠に陥ってしまった。


 金欠といっても、貴族家の道楽だとか濫費だとか、そういったものに起因するなら、対処のしようがある。ところがこの家は、もともと質素倹約を旨としていたようなもので、地道な生活の結果足が出て支払が滞り、国税を納められないという、もっともいけないパターンに陥ってしまった。


 そんな彼が頼みにしていたのが、なんと、ユリウスからの送金だった。王都に出てから、ユリウスは公認代書人たる長兄ゲラルトの補助者として報酬を得ていたが、その大半は、実家に流れていたのである。子供の賃金で領地経営を行っている時点で、すでに詰んでいたのだが、最初のうちはともかく、三度、四度と重なると、これを安定収入と受け止めるようになってしまった。ユリウスは、自分なりに肉親への最低限の義理を果たすと思っていたが、受け取る側は義務だと思う。


 義理と義務の間にできた隙間は、時を追うごとに広く、深くなっていった。


 そしてユリウスが男爵位を受け、本家とは別の爵位を持つ貴族となると、彼は完全に独り立ちしたこともあって、今後の送金は行わない旨、ピシャリと告げる。もう何年にもわたって仕送りをしてきたのだ。子供としての義理は十分に果たしたし、父親もまだ四十代、隠居する年ではない。そもそも、彼が仕送りをしている間に経営を立て直せず、いや、立て直さない、父たちが悪いのは明白だ。


 それに、気軽に送金できない事情もある。


「ですから、父上。わたくしはすでに、ファンディル男爵家当主なのです。貴族家が別の貴族家に対して、金銭を譲渡したり貸与したりする場合は、王宮への届出が必要なのです。三日後が刻限とおっしゃられても」


 そう、貴族家が別の貴族家へ財政支援または軍事支援を行う場合、王宮がそれを把握しておく必要があるため、届出が必須になっている。これは、貴族家同士の結びつきが強まることを牽制すると共に、そのような動きがある貴族家を監視する狙いがある。軍事支援については、外国の侵略や大規模災害といった緊急事態発生時などは、事後の届出でもよいことになっているが、緊急事態を想定する必要のない財政支援には、そんな例外はもちろんない。もっとも、数日の遅れ程度なら、延滞金を上乗せする程度で済むだろうが。


 わざわざ王都に出てきた父に対して、頭痛をこらえながら、説明するユリウス。ゲラルトがいないタイミングで屋敷を訪れているのは、偶然なのか、狙っているのか。


「そのような堅いことを言わなくてもよいではないか。誰が育てたと思っておるのだ」


「今日までの恩はございますが、国法に逆らうことはできません」


 内心で盛大にため息をつくユリウスだが、ここで突き放して、改易された上で一家離散にでもなっては、寝覚めが悪い。肉親の情などというものはゼロに近くなっているものの、相手を人間と思ってはいるから。


「それなら、お主なら、懇意にしておる者が王都にもおろう。お主がその者に金を渡し、儂がそれを受け取る。これなら問題あるまい」


「同じ事ですし、むしろ隠蔽の意図が感じられるとして、処罰の対象になりますよ。当主および第一後継者は、二度と太陽を見ることができない可能性があります」


「黙っておればわからんだろうし、その程度のことで処罰される例などあるわけなかろう」


「資金の流れなんて、簡単に調べはつきますよ。特に、貴族への融資というのは、目立ちますから」


 この国の裁判記録はまともに残っていないのだが、ユリウスは現在、その発掘と整理を重要な業務の一つとして任されている。結果、ゲルツ王国では、捜査記録や判例に最も精通した人材となっている。


 そういう者が伝える言葉には重みがあるが、父にはそれが全く伝わっていない。事務業務以前に、ガバナンスという概念自体を持ち合わせていない者だから、無理もないが。


「そもそも、第三者を介するとなれば、貴族家が違法行為を意図的かつ積極的に行うということを知られることになり、悪評が広まる危険が大きいかと」


「そのようなこと、貴族家の威光でどうにでもなるだろうが」


 悪事を働こうとするなら、露見する可能性を最小限とし、リスク回避の手段も講じておく必要があるが、そういう考えも及ばないようだ。そもそも、国税を支払えないレベルの子爵家に、威光も何もない。むしろ、笑いものになることを極力避けるための努力をするのが先だろうに。


「繰り返しますが、わたしが援助することは、無理です。融資を依頼する金融業者を紹介するぐらいなら、可能ですが。貴族家当主でなく、代言人たるわたしに対して依頼するのであれば、時間稼ぎなら可能ですが」


 代言人の名前で紹介状を書き、公証人の名で二か月分程度を限度とする保証を打てば、そこまでは融資してくれるだろう。しかし、金貸しの立場なら、こう言うに違いない。誰があなたのような者に貸しますか。放蕩したというではなし、土地からの上がりが少なくて出費がかさんだというのでは、そんな金をお借りになったところで、返せる見込みなどはなっからありゃしませんよ、と。


 根本的な解決にはならないものの、弥縫策程度ならユリウスの頭には浮かんでいる。期日については、依頼していた徴税請負人が蒸発ないし逃亡したことにして、事後処理に手間取ったことにすれば、二か月程度は引き延ばせる。また、魔物の発生によるインフラの破壊という事実があるので、これを災害発生と見なして、一か月相当の免除が可能。定住者が離散して人口が把握できないということにすれば、さらに一か月程度は免除を引き出せる可能性がある。他にも策がなくもないが、欲張ると、現地への監査が入る危険もあるので、このあたりが限界だろう。


「そ、それなら、お前に依頼する」


「それでしたら、着手金として金貨五枚、日当が金貨一枚として三十日として大金貨三枚をご用意いただくことになりますが」


「ふ、ふざけるな! 親から金を取ろうというのか!!」


 金の無心をしにきた者の言い草ではない。


「ええ、今は銅貨一枚でも保全しておくべき時期だと思います。わたしに代言人として依頼しても、あるいは金融業者に依頼しても、時間稼ぎの割に効果は少ないでしょう。ですので」


 ユリウスは、すでに打つ手はない、爵位を返上して平民として慎ましく暮らしていくしかないと考えている。貴族として破産すれば、その権利は全て失われるものの、逆に貴族としての義務は将来にわたって全て免除される。また、貴族としての義務を結果として履行できないだけだから、処罰の対象になることも考えにくい。王家としても、領主貴族が一つ消えれば、爵位と領地を確保できるのだから、悪いようにはしないだろう。


「もういいわ! 儂にもまだまだ、打つ手はある!!」


 ところが父は、ユリウスの提案を聞こうともせずに、屋敷を飛びだした。自分の息子が話す内容が理解できず、貴族家当主としてのプライドをいたく傷つけられたのかもしれない。


 そしてこの父親、どこで書類を作ったのかは知らないが、王宮に充てて、ユリウスからの借金を認めさせよ、という申請書類を出してしまった。まったく、無駄な行動力だけはあるようだ。


 しかし、ユリウスが説明していたとおり、貴族家間での財政支援に必要なのは「届出」であって、認めるとか認めないとかいう筋の話ではない。そもそも、財政支援の行為自体を禁止しているわけではないので、届出の有無に限らず、王宮はそれを止めることはできない。届出がない場合にとがめられるのは、あくまでも届出という事務手続の懈怠という一点のみだ。そもそも、他家からの借金を第三者として認めさせる権限など、王宮どころか、国王にだってあるはずはない。


 そんな得体のしれない“申請書類”だから、日付とサインだけ確認して済むものではない。“難しい書類”を処理できる部署、つまり文書取扱室に回ることになる。


 当然、文書取扱室付のゲラルトに回り、内容確認を求められることになってしまい、この事態が明らかになり、現在に至る。


「事前に口頭で相談いただいたのであれば、どうにでもできたのですが。書式も内容もひどいものとはいえ、ご本人のサインがある以上、意思表示を否定できませんから」


「ええ。貴族家としての義務を継続する意思を表明する証拠にはなりますし、それは他の部分の瑕疵によって無効になるものと解することはできません。事情急変でもない限り、今から爵位返上を申し出るのは無理でしょう」


「よりによって、提出書類の中に、国税を支払う金がないから、なんて、馬鹿正直に書いてしまっている以上、やる気はあっても能力がないと表明しているようなものですしね」


 カリーナの言葉に、ユリウスとゲラルトも同意する。


「仕方ないですね。王宮側が処分を行うしかないでしょう。このたびの書類については、提出したという意思のみを有効として、それ以外については無効却下。その上で、領地経営の継続性が困難と判断されるという理由で領地を回収、男爵位に降爵の上で法服貴族とし、年金受給で暮らしていただく。このあたりが落とし所でしょう。ただ、禍根を残さなければよろしいのですが」


 カリーナとしても、ユリウスの親族に対して、苛烈な処分を下すのは避けたい。ただ、その理由は、ユリウスの親だから、兄だからというのではない。単に、ユリウスの立場が悪くなることを懸念しているだけである。カリーナにとっては、ユリウスの親族など、関係が良好である長兄のゲラルトを除いて、邪魔なだけだった。


 それでも、王宮ではなく、王家へユリウスを迎えるとなれば、彼らの存在は邪魔どころではなくなる可能性もある。だからこそ、王家、王宮、そしてユリウス、ついでにゲラルト、これらに傷が付かないような選択をしなければいけない。


 恋する乙女であると同時に、冷厳な為政者でもあるカリーナは、後者の立場から、そのような結論を下していた。


「ゲラルト・フリードホーファー・フォン・ラディッツァー子爵、ユリウス・フリードホーファー・フォン・ファンディル男爵。念のため、お二方に、最終確認をお願いします。フリードホーファー本家については、その貴族家としての一切の権利義務を一時凍結します。それに伴い、お二方は、フリードホーファー本家およびそこに所属する方々に関して、その権利義務等の一切を継承する権利を有します。どうなさいますか」


「「放棄します」」


 貴族家の資格が停止された場合、その原因に大きな不祥事が伴うものでない場合は、その貴族家から独立した係累の貴族家がそれを継承することができるようになっている。カリーナの確認には、そういう意図がある。ただしこの場合は、権利と義務の双方を継承することになるから、領地支配権の他に、既存の債務もいろいろと抱え込むことになる。


 しかし、ゲラルトもユリウスも、事実上官僚同然の待遇だし、法服貴族として十分に独立している。ゲラルトもユリウスも、その基盤はまだ強いものではないことに加え、現時点でも仕事が手一杯で、王都外の面倒ごとなど持ち込みたくなかった。即答である。


 そしてカリーナも、それを当然予測していたといわんばかりにうなずく。


「わかりました。それでは、十日程度の猶予を設けましょう。その間に、準備をお願いします」


 猶予といっても、これは父たちに対する温情措置ではなく、ゲラルトおよびユリウスが、彼ら個人の資産等を回収するための措置だ。暗に、父たちについては完全に見放せ、と宣告したといっていい。


 カリーナは、無意識のうちに、愛しい人からのプレゼントを手でさすりながら、考えを固めた。


(ここで行うべきは、処分ではなく、排除。そろそろ、連中には退場していただきましょう)


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そもそもお金の貸し借りと云ふのは六づかしいもの、かつての名文家はそう言いました。

次回は、2021年12月20日(月)の予定です。

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