1-10.カレとカノジョの成長戦略

 ユリウスが、試験に合格したことをカリーナに伝えた翌日、早くも一級代言人および一級公証人の登録通知が王宮から送られてくる。通知のサインが第一王女のものだったのは、言うまでも無い。


 それからユリウスは、いや、ユリウスの周辺は、大忙しになった。


 そもそも、法律の専門家である代言人はともかく、文書の専門家である公証人となれば、権力者としては絶対に引き込んでおかなければいかない人材である。公証人による認証の有無によって、意思表示の正当性や重要性が担保されるわけだから、国に限らず、領主でも、商人でも、誰でも確保したくなる。この世界では本来、それだけのステータスがあった。その中で、世界に冠たる武断国家ゲルツ王国は、例外中の例外だった。何せ、公証人という資格自体、文字の読み書きができる者の間でさえ、知らない者の方がずっと多かったのだから。その点で、世界の常識から完全に隔絶していたといえる。


 しかし、その重要性を認識していた者も、ごく少数ながら居た。それが、ユリウスを一途に思っている王国第一王女、カリーナその人だった。彼女の動機に、ユリウスと添い遂げたいという下心があったことは言うまでも無いが、それだけでなく、ユリウスという人材の登用をいわば起爆剤として、王国を一気に変革させようと目論んでいたのも、また事実だ。しかしそれには、ハードルがあった。


 そもそも、カリーナの権力基盤、支持基盤は、それほど強いものではない。反対勢力ばかりというわけではないが、積極的な支持者が少ないのだ。


 カリーナは、現国王と、他界したとはいえ正室の間に生まれた長子だから、血筋という正統性では最高といえる。正室が産んだ子供には妹が一人居るが、カリーナと替えるだけの材料は持ち合わせていない。他の弟や妹たちは、いずれも側室でさえない妾腹の出で、正統性は大きく落ちる。強いていえば、王位継承が男系子孫に限られていることもあり、将来の王統が彼らの誰かに向かうだろうとは考えられているが、現状では、若く健康なカリーナのライバルには、本来なり得ない。


 そしてカリーナは、幼少期から帝王としての心得をしっかり学ぶと共に、年を追うごとにその深慮を随所でのぞかせるようになっており、統治能力でも問題ない。行政部門でも徐々に業務を担うようになり、事務処理の実績も積みつつある。他の弟や妹たちは年少で、このため成長の余地があるものの、それはカリーナの能力や実績に対する評価を下げる理由にはならない。


 これだけ見れば、平和な状態にある国家の継承者として、異論が上がる余地はなさそうである。


 ところが、そこは武断国家。カリーナの戦闘能力、あるいは軍での指揮能力を案じて、王国民は姫様のもとでは収まらない、という声が少なくない。確かに、軍事力を適切にコントロールし、適切に行使するのは、統治の最重要項目の一つであるし、それを成せない者は為政者として失格だろう。それは当然だ。しかし、彼らの主張はそうではなく、個人対個人で、あるいは戦場の戦闘で、無敵の力を示す。それによって人が心酔し、力ある者としてそれに従う、こういうものだ。


 それなりの規模の王国で、こんな理由で最高権力者を決定するのはばかばかしい。混乱期にできてしまった国是のようなものを、十年一日のごとく掲げることで、権力闘争を勝ち抜くための錦の御旗にしていると考えるのが一般的だろう。しかし、反カリーナをうたう者は、腕力がある者こそが絶対権力を得ると信じ込んでいる。自分の主張を正当化しているわけではない。だから、なおのこと、たちが悪いといえる。そしてまた、彼女に対して面と向かって否定的な態度を示さなくても、その一点で納得しきれていない者も存在する。


 カリーナ個人の身体能力はそれなりに高いので、御前試合のような場を設けてそれを披露すれば、彼女個人への支持はそれなりに確保できるかもしれない。でも、それでは問題を解決できず、むしろ、解決できる機会をむざむざ先延ばしすることになってしまう。彼女は、そう考えている。


 武力第一主義の価値観を一朝一夕に変えるのは不可能だし、まして、上からの力尽くでどうにかなるものではない。社会の安寧を乱す危険思想というわけではないから、権力者から庶民にまで浸透している思想を排除するのは、あまりにも危険だ。


 だからこそ、武力第一主義の限界を提示すると共に、そうでない手法を統治の中に取り入れ、それを定着させていくべき。それがカリーナの考えだった。


 そのためには、人材、それも、漸進的かつ長期的に社会を変えていこうとする意思と能力を持つ、若い人材が必要になる。それにうってつけなのが、ユリウスという青年だった。もっとも、カリーナがこういう考えに至ったのは、彼女がすでにユリウスと出会って以降のことで、事後的に理屈を練り上げた可能性もある。彼女の頭脳を考慮すれば十分にあり得るが、それを知っているのは本人のみだ。


 それはさておき。


 ユリウスには、王宮から頻繁に声がかかるようになり、代言人および公証人として、大臣級の最高幹部のサポートを行うことが非常に多くなった。


 ここゲルツ王国では、大臣級の者は上級貴族、具体的には侯爵級以上の当主または後継者が担当する。世襲ではないが、このためポストをぐるぐる持ち回りで動かす形になる。


 高級官僚に該当する層は、各大臣家の子弟や配下、あるいは息のかかった者が担当する。彼らは一応官吏登用試験の合格者として採用されることになっているが、その受験には一定身分の者の保証書が必要であり、そこに公爵家当主の名前があれば、自動的に合格できるようになっている。結果として、大臣ポストを得ている上級貴族がすべてを担うこととなる。


 なお、採用にあたって官吏登用試験が不要な下級官吏も居るが、彼らは事実上アルバイト同然で、大臣どころか高級官僚の機嫌次第ですぐに立場が変わる。さらに、ある担当者に気に入られた者は、異動で担当者が交替した場合、非常に高い確率でクビになる。下級官吏をクビにするには、特段の理由は不要だ。予算不足、のひと言で終わる。ひどいものである。雇用の継続性という点でも、ノウハウの継承という面でも。


 こういう連中だから、外交にせよ、財務にせよ、重要ポストといえども、実態を把握して行政官としての仕事を執行することなど、できるはずもない。中には、高い能力を備える者も居るだろうが、そのような能力を発揮する機会を出さないシステムになっている。


「本来なら、ユリウス殿の代言人としての知見を基に、司法制度整備から進めるつもりだったのですが、ここは拙速を求めるべきかと思います。非常に大変なのは承知の上ですが、あなたの公証人としての知見を、行政制度刷新に活用してほしいのです。王家を“支える柱”を太くするためにも」


 カリーナにこう言われては、ユリウスは胸をたたいて引き受けるしかなかった。それでなくても、好きな女に頼られて、発憤しない男などいやしない。まして、努力して手に入れた資格を基に評価された結果なら、なおさらだ。


 最高幹部のサポートとはいっても、常に寄り添う秘書的な業務ではなく、国内外の情報収集と分析を行い、担当の大臣や高級官僚へ必要な情報を整理してわかりやすく説明し、交渉等が必要な場合には、そのポイントをあらかじめ示しておくというものだ。


 外交の場合は、もともと対外的に険悪な状態になっている国はあまりないため、自国の前例や権益を踏まえて、引けない所や落とし所などをはっきりさせる。財務の場合は、収入と支出のバランスを一枚紙の資料にまとめ、収入についてはその変化をグラフ化してその原因と共に整理し、不足の場合は現有資産を基にして導入可能な債務の範囲を計算する。軍事の場合は、人材の練度や訓練状況を地域別、部隊別に整理し、装備は配備の状況だけでなく交換や補充のサイクルも示す。


 さすがに、大臣職に居るような上級貴族には、まったくの無能者はほとんど居ない。無能者を王宮に送り込んで下手なことをすれば、各貴族家の大きな汚点になるためだ。このため、たとえ事務処理能力が皆無ではあっても、理解力や半田力が致命的に欠落していることは、まずないといっていい。万が一そういう者が紛れ込んでも、何らかの理由で早期に罷免され、二度と再任されることはない。したがって、目的、現況、方法、目標を説明すれば、すんなり理解してくれるのだ。


 気に付けるべきは、家格が高くプライドが高い連中ばかりだから、単純に丁寧で明快な説明をすればいいというものではない。彼らが、説明に満足した上で、彼ら自身が仕事に達成感を抱けるように導くことが求められる。政治組と適切かつ円滑な関係を維持できる事務方は、本来、それだけで高く評価されるべきだろう。ユリウスはそういう面では、格好の逸材だった。幼少時より、大人の対応ばかりしてきた経験が生きたともいえる。


 こうして仕事を進めていくうちに、ユリウスは、複数の大臣級最高幹部、すなわち上級貴族家から重宝されるようになる。各家には派閥があり、表に裏にさまざまな動きがあるものだが、ユリウスがそれの緩衝材として機能した側面もある。結果として、派閥横断的に、優秀な若者として認知されるようになっていった。彼なら最低でも子爵位にせよ、という声さえあがるようになってきたが、少なくともこの件では、カリーナは何の工作もしていない。


 一方、公認代書人として活動していたゲラルトは、悲鳴を上げていた。優秀な補助者だったユリウスが、いわば王宮に取られるような形になってしまい、自分一人で全てをさばく必要に迫られたためだ。そもそも、公認代書人の業務には、機密保持が求められるものも多いことから、身分が明らかな者でなければ補助者にすることはできず、リテラシーがあれば誰でもいいというわけにはいかない。このため、カリーナは「文書取扱室」なる部署を設置して公的文書の作成をここで担当させるという、強引極まる手法を採り、ゲラルトはおおむね五日ごとにここへ赴くことになる。子爵位が役に立つ形だ。もっとも、ゲラルトの出勤日にあわせて会議が集中開催されるようになり、仕事もこの日に集中するようになってしまったが。


 なお、王都屋敷はそのままで、私文書については従来からの固定客に絞って、継続的に対応していた。これには、気分転換という意味もある。式典挨拶の原稿書きやら、ラブレターの代筆やら、楽しいものも多いからだ。公的文書はほぼ扱わなくなったが、監察官は相変わらず定期的に訪問している。仕事をしているかどうかは定かではない。


 こうなるまで、彼が一級代言人および一級公証人の試験に合格してから、半年足らず。


 仕事だけでなく、プライベートの方でも彼のもとにいろいろな話が舞い込むようになって、実家であるフリードホーファー本家からタカリ同然の懇願がくるようになって。


「そろそろ、頃合いかしらね」


 王宮の個室で、カリーナの口から出たのは、そんな言葉だった。

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