1-7.離さないからね

 早熟で、子供らしさなどカケラも持ち合わせていないように見えるユリウス。


 でも、生まれて初めて同世代の女の子と話をして、あまつさえ、一目惚れされた彼女に公開キスされれば、強烈な印象が残るのは当然のことだ。領都の屋敷に戻っても、王都の方を向いて、唇を指でなぞりながら、ため息を吐いたり、にやにや笑いをしたり。何かがあっただろうことは、誰の目にも明らかだった。


 長兄のゲラルトが、王都で仕事をするのは事前に決まっていたことだが、彼とて、地元に愛着を持っているだろう弟を無理に引っ張っていくつもりはなかった。ユリウスがいかに有能だろうと、ユリウスが王都でその能力を発揮すると思えようと。そもそもゲラルトだって、自分一人で身を立てて食っていくことを考えれば、将来を見据えて弟に投資しよう、などど考える余裕はない。食わせるだけならともかく、育てるのは手間がかかるのだから。


 ところが、当主に随伴して王都に滞在していた二日目、なぜか王宮からの非公式の急使とやらが、当主でなくゲラルト個人に対して、ユリウスを連れてくるかどうかを確認しに訪れるという、よくわからないことまで起きる。王宮がユリウスの存在をどう考えているのかは知る由もないが、ゲラルトが王宮の“隠れた意向”を無視できるはずもないし、そんなことをする理由もない。むしろ、ユリウスが居る方が、仕事がスムーズに進むかもしれないという打算も多分にあった。


 自宅兼仕事場となる屋敷は、すでに王都に確保してある。貴族街と庶民街のちょうど中間に位置しており、それでいて王宮にも近い一等地だ。随分費用がかかったように思えるが、もともとは某領主貴族の王都屋敷だったところ、その貴族が不祥事で改易となり王家が没収、比較的安価に払い下げられた物件を、折良くゲラルトが買い受けた。安価といっても、形式上はフリードホーファー家後継者ということでそれなりに貯めていた小遣いの、かれこれ七割近くを吐き出している。家具や備品なども用意しなくてはいけないし、公認代書人登録免許税といったものも必要で、維持費も当然かかる。使用人も、最低三人程度は置きたい。単純に計算すると、手持ちの資金は半年ほどで底をつくことになる。


「大丈夫です。こう見えても、現代語の読み書きだけじゃなくて、教会文書や古典語も基本は押さえているつもりですし、収支計算や帳簿作成も一応はできますから、戦力にはなると思います。いえ、僕が実務で戦力にならないと、まずいですよね」


「スマン、実はそうなんだ。今の資金だけで回しながら、三月目で黒字転換に持っていきたい」


 到着した屋敷を、二人がかりで掃除しながら、このような兄弟の会話が続く。


 ゲラルトの腹づもりでは、王都屋敷を購入した時点で不動産を入手したことになるから、それと公認代書人の資格持ちということをあわせて、融資を受けるつもりだったらしい。貴族相手の場合、無知につけこんで実質金利を異常に上げたり、ひたすら利子のみを延々と支払わせるひどい契約にしたりというケースもあるというが、公認代書人が相手なら金利計算ができる可能性も高いし、悪徳金融の餌食になる恐れはまずないだろう。半年ぐらいかけて固定客をつかみ、一年以内に黒字転換、三年程度で借金を返済と考えていたという。


「兄上の当初計画は、必ずしも悪いものではないと思います。ですが、公認代書人という仕事は、資金を投入すれば利益を期待できるものではありませんし、売上時期が極端に偏るものでもありませんから、融資を受ける意味があまりないと思います。利子があまり高くないなら財務上の負担は小さいでしょうが、借金があるという心理的負担があると、仕事が無理なものになるかもしれません。それよりも、開業直後で気合が入っている時期に、大車輪で仕事を回して一定の顧客をつかんで、安定収入を長期的に得ていくほうがいいのかな、と」


 およそ九歳児のものとは思えないセリフを口にするユリウス。商売した経験などないけれど、彼がお世話になっていた食堂の丼勘定ぶりを見ているだけに、仕事を維持していくのに必要な要素は何か、資金を適切に流すにはどうするか、長期的に働いていける環境は何か、そういう意識は持っていたから、こういう商人的な発想ができたといえる。


 掃除の次に一通りの家具を置き、仕事ができる状態になるには、まる半日を要した。


「やっとできたし、何とか間に合ったか」


「間に合った、とは?」


「すまん、まだ言っていなかったか。公認代書人は、その仕事の性格上、王宮の監察官が定期的に内容確認に訪れるんだよ。で、今日、業務内容なんかの確認を兼ねて、顔合わせがあるんだ」


「ああ、それで応接室やらお茶の準備やらまで、優先的にやってたんですね。どうして後回しにしないのかと思っていたのですが」


 資料室にはまだ棚板が設置されていないし、事務棚にも筆記用具などが乱雑に突っ込まれている状態で、まだ仕事ができる環境じゃない。来客対応ができるようになるのは、少なくとも仕事ができる状態になってからだろうと思っていたユリウスは、内心で首をかしげていたのだ。


 ちなみに、公認代書人の監察官は、王宮の中でも相当に上位の者が、直接担当する。具体的には、大臣または次官クラスの高官だ。


「それで、監察官というのは、どなたですか」


「カロリーヌ・フォン・マルヴィッツ殿、シュヴィルク公爵家当主だ。後、執事の方が一人同伴の予定という」


「シュヴィルク公爵家? ……聞いたことない家ですが……」


 ユリウスは必死に記憶をたどるが、そんな家は知らない。公爵家ともなれば、その当主は王位継承権を持つ可能性が高い。王家分枝の公爵家は三つほどあるが、彼の知識には、そのような家はなかった。


「まあ、俺もまだ、家系学や紋章学はきちんとやってないけど、これからはそんなの言い訳にしかならんよな。でも、そういうことをろくに記録せず、個々人の記憶だけで伝承させるのもおかしな話だ。それをこれから仕事としてやってくって思えば、まあ、いいんじゃないか」


「あの、話をそらさないでください。その公爵家当主とは、どのようなお方なのでしょう」


「俺はよく知らん。俺は、な」


「?」


 どことなく含むものがありそうなゲラルトの返事だが、ユリウスにはその意味はわからない。


 首をかしげていると、表に馬車が止まる音が聞こえた。


「お、ちょうどご到着になったようだ。俺は玄関に行くから、提示書類と印章、それからお茶の準備をしてくれ」


「わかりました」


「それから、かなりお偉い方だが、礼法は、上級貴族対応でいいぞ。王族対応は不要と念を押されている」


「はい」


 いそいそと準備をしながら、ユリウスは思う。いよいよ、初仕事だ。


 初仕事というものは、誰にとっても、ある程度の不安と、それを大きく上回る期待を伴う。うまくできるだろうか、やってやるぜ、そういう感情が、同時に起きる。それと共に、兄の言葉から、いろいろと考えを巡らせる。


(カロリーヌ様という名前、女性か。女性が当主の公爵家……やっぱり記憶にないな。それに、兄上は公認代書人の試験を受けるために王宮へ行っているはずだし、そこで接点があるはずなのに“よく知らん”と。つまり、誰なのかは知っているけれど、その人となりは知らない、ということなのかな。でも、名前以外は、何も教えてくれない。この場で嫌がらせをする理由もないのに、どうして)


 あれこれ考えているうちに、準備が整って、ほどなく、ゲラルトが監察官を連れて応接室へと入ってきた。


 監察官であるカロリーヌは、ライムグリーンカラーの高官文民服を着ている。


 昭和戦前期、大臣など上位行政官の地位にあった現役武官は、背広でなく軍服を着て執務を行っていたが、それはここゲルツ王国でも同様で、武官は常に軍服で仕事をしている。軍服といっても、統一された王国軍だけではなく、貴族などが保有する武装勢力も含めて、基本的には似たようなデザインの服を着ており、そこに紋章を付けて所属を明らかにするという形になっていた。


 一方の文官は、地位に応じた服装が一応決まっていた。何分、純然たる文官が責任ある立場に付くことはほとんどないため、制服制度は自然消滅している。しかし、ごくわずか、軍歴皆無の上級文官がおり、彼らはだいたい軍服に近い服装をしている。ただ、軍服とは異なり、肩章と飾緒がないので区別される。これを、高官文民服という。


 ユリウスは服に目を取られたため反応が遅れたが、そのカロリーヌという女性、いや少女を視界に入れて、体を硬直させる。


 そして、その少女は、廊下から応接室へ入る出入口のところにある段差に足を引っかけて、つまづいてしまう。


 慌てたユリウスが、ぐらりと傾いた彼女の体を斜め前から支えると、ちょうど彼女を横から抱きしめるような形になった。バーミリオンカラーのロングヘアは、ポニーテールに結わえられている。


 彼女の口が、ユリウスの耳元にある。そこから、彼にしか届かないような、小さな、でも力強い声が発せられる。


「わたしは、離さないからね、ユリウス」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る