1-6.は・じ・め・て

「ご、ごめんなさい。そして、ありがとう……で、アンタは、さっさと離れなさい」


 迷子になっていたフィリーネは、無事に姉の元へ帰ることができた。そして、フィリーネがカリーナと呼んでいたロングヘアの少女が、その髪の色に負けないぐらいに顔を真っ赤にして、ユリウスに頭を下げる。彼女の話によると、フィリーネを肩車している男の子が目に入ったと同時に、思わずそちらへ駆けだしてしまったらしい。


「いや、頭なんか下げないで。それよりも、無事で良かった……それで」


 ところが、肝心のフィリーネは、ユリウスにしがみついて離れない。すっかり懐いてしまったようだ。ユリウスは、手のかかるお子様はさっさと引き取ってほしいと思いつつも、悪さをしているわけじゃないから振りほどくわけにもいかず、時々気分を紛らわせるようにあやしている。


(でも、ちょっと、この二人と、話していたいな。うん、同じぐらいの年で、話せる友達って、居なかったんだし)


 内心でいろいろ言い訳めいたことを考えているが、要は、目の前に表れた二人の女の子と一緒にいたい、というだけのことだ。もっとも、九歳の男児では、その感情はまだ自覚できるようなものにはなっていないけれど。


 ともあれ、ドタバタが収まって落ち着いた四人は、中央広場脇にあるオープンカフェに腰を据えることにした。どう見ても子供にしか見えない四人組だったが、店員はスムーズに案内していた。


 ユリウスの隣には、フィリーネが座る。しかし彼は、フィリーネではなく、その正面に座る二人の少女に気を取られていた。


 右側、背筋を伸ばしているのは、カリーナ。フィリーネの実の姉という。バーミリオンカラーのロングヘアが、気の強さを示しているようだ。王都生まれの王都育ちで、クララを案内していたと言うけれど、実際にはほとんど家から出たことがなく、王都自体はあまり詳しくないらしい。


 左側、テーブルの上で両手を合わせているのは、クララ。カリーナやフィリーネの親戚にあたるそうだ。ホーリーグリーンのボブヘアが、こちらは好奇心の強さを感じさせる。彼女は別の国に住んでいるそうで、この王都に来たのは初めてだという。


 女の子と話す機会がなかったのはもちろん、そもそも女の子がどのように振る舞うか、どのように話すか、そういうものを遠目にさえ見る機会がなかったユリウスは、そわそわうろうろ、落ち着きのかけらもない。


「あの、大丈夫かな? 気分が悪いなら、人を呼ぶけど?」


「い、い、いやいや! 違う違う! その、田舎者で、王都に来たのも初めてだから! その、見るものも聞こえるものも、何もかもが新鮮で、ちょっと、その、酔ったみたいで」


「へえ? 普段、そんなに人が少ないところに住んでるの?」


「うん、僕はね……」


 心配六割興味四割という感じのカリーナ、心配一割興味九割といった感じのクララに促され、ユリウスは、自分が置かれている環境について、訥々と語る。その説明は、彼の師であるフランツに話すようなものではなく、つっかえつっかえだったし、二人の少女から質問を受けると、真っ赤になってモゴモゴと口ごもってしまったり。ドギマギしながらの応答になった。


 もっとも、そんなウブな反応がお気に召したのか、二人の少女は、ユリウスへじりじりと近付いてくる。彼らの間に置かれていたのは丸テーブルだったが、ユリウスと反対側に居た二人が、円を描くように、にじり寄ってくる。気が付くと、ユリウスの左側にクララが密着して、右側にはフィリーネを挟んでカリーナが迫る。


 ふわっと、それまで経験したことのない香りが鼻腔をくすぐり、ユリウスの頭に霞がかかるようになる。


「あ、あの……ふ、二人とも……王都では、女の子、こんな風、なの?」


「きっとそうよ!」「そうなの!」


 目をキラキラ、いや、ギラギラさせる女の子に囲まれては、免疫皆無の九歳児には、なすすべなどない。


 カリーナにせよクララにせよ、一応は町娘の格好をしてはいても、身にまとう衣服やいろいろな振る舞い、時折漏れる言葉遣いから、相当高位の身分にあることがうかがえる。しかし、王都が初めてというだけではなく、自家以外の貴族と接したことのないユリウスは、彼女たちがどのような身分なのかはわからない。したがって、彼女たちが、どのようなことに興味を持つのか、どのような視点で話しているのか、それらはわからなかった。なお、一人ならこんな自然に話せないわよ、とか、地元じゃ絶対にこんなの無理ね、という小声は、彼の耳には届いていない。


 いや、そもそも、女の子に囲まれるという、生まれて初めての経験の真っ最中だから、そんな洞察をするゆとりもなく、返事をする言葉を探すのに精一杯で。


「そっか、地方の貴族って、そんな風に生活してるんだー」


「いや、うちを基準に考えても、あんまり参考にならないと思うよ……」


 地方在住の貴族といっても、通いの家人が四名だけで譜代の家臣がゼロなんて、あまり一般的とは思えない。一般的でないからこそ、外野から聞く分には面白いかもしれないが、当事者としてはあまり面白くもない。


「領民と一緒に仕事って、警戒されたり攻撃されたりしないの?」


「ううん、引く手あまただよ、僕ぐらいの年齢の子供が誰もいなくて、みんな構いたがるし」


 警戒とか攻撃とか、女の子とは思えない物騒なセリフだが、貴族の子女というのは本来そういうものだ。戦闘能力など皆無のユリウスが、パワー本位の認識が定着している村人に溶け込んでいるのは、特殊な例に違いない。


 その後も、質問攻めのような状態は、カフェを出て王都内を散策するようになっても続く。店をのぞいたり、景色を眺めたり、教会をあおいだりしながら、目に映るものについてユリウスが感想をこぼす度に、カリーナもクララも、それを新鮮なものとして受け止めて、目を輝かせながらグイグイくる。


 気が付けば、ユリウスに関するあらゆる情報が、丸裸にされてしまった。それは、身分などの社会的情報や、体力などに肉体的情報だけに限らない。ユリウスの感性や思考やら、そういったものまで、彼女たちの格好の娯楽の種になってしまった。女の子の好奇心、恐るべし。


 いや、どうやら、好奇心で留まるものではなかったようだ。


「……母方の血統……文官叙爵の前例……個人叙任後に改易して……」


「……との婚姻……先手で叙爵……既成事実……場合によっては一戦……」


 カリーナもクララも、何やらブツブツと真剣な顔をして、独り言に走り出す。得物を射程に収めた肉食獣のような目でユリウスを見ながら。


 ちなみにこの間、完全に蚊帳の外に置かれているフィリーナは、おねえちゃんたちキライ、と、むくれている。ユリウスはそれなりに相手にしてあげていたため、べったりくっついている。


 ともかく、カリーナとクララが自分の世界に入って落ち着いたこともあって、ユリウスも彼女たちに素性を聞いてみる。あれだけ根掘り葉掘り尋ねられれば、聞き返す権利は確かにあるだろう。


 すると、二人は視線を一瞬合わせて、顔をユリウスにぐいと近づける。彼の鼓動が高まるのも気にせず、その耳元に口を近づけて。


「「ごめんなさい」」


 二人の少女の声がハモる。


 理由は単純で、こういう場所では明かせない立場にあるし、身分を明かしてしまえば、例えお忍びであろうと、彼にもそれ相応の対応を求めざるを得ないのだという。要は、王族、あるいはそれに準ずる立場のお嬢様、いや、お姫様ということになる。田舎貴族の庶子とはいえ、一応は貴種に属するユリウス、正体を察して、条件反射的に臣下の礼を取ろうとして、すぐに思いとどまる。今はお忍び、ということだ。


 ごめんなさいとは言われたものの、彼女たちは事実上、素性を明かしてくれたも同然。どのように言葉を返せばいいのかわからず、ユリウスは、パクパクと口を開け閉めすることしかできない。えっと、話題話題、とばかりに、回りへと視線を向けるが、すでに日が傾きつつあった。


 カリーナとクララもそれに気付いたようで、カリーナは残念そうな表情になる。一方のクララは、何やら真剣な表情になって。


「ユリウス君」


 そして、彼の首の後ろに両腕を回して、自分の唇を、彼のそれにぶつけてきた。そして、放さない。それはもう、ぶちゅーっと音がしそうな感じで。


 ユリウスは身動きが取れない。カリーナも動けない。しかし、ここは王都の中でも人通りが多い場所だ。周囲からの注目は集まる。小さな子供だから、やっかみでなく、温かい視線の方が多い。


 どれだけの時間がたっただろうか。やっとユリウスから顔を離したクララは、うっすらと染めた頬に片手を添える。


「大好きです。……ふふっ、もう、お嫁にいけない体になっちゃいました」


 カリーナが、あたしもー、と言いながらジタバタしているが、クララはそんな彼女を羽交い締めにして、ユリウスに近付かせない。


「でも、この先、多分わたしには、勝ち目ないと思うから。今だけ、あなたのものに、してほしかったの。……忘れない、から」


 呆然として立ち尽くすユリウスを一人置いて、クララはカリーナをずりずりと引きずっていく。フィリーナが慌てて付いていく。


 彼は、気が付いたら宿に戻っていたが、どのように帰ったのかは、後になっても思い出すことができなかった。


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生まれて初めて同世代の子と会話をしたら、こんなことに。

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