1-5.王都での出会い

 ユリウスは王都行きを心待ちにしてわくわくしていたが、彼が王都に行くのは、これが初めてではなく、二回目になる。そして、最初に王都を訪れたのは、それほど昔の話でもなく、この日から遡ること、わずか十日ほど前のことだった。


 その日の朝、彼が父親からかけられた久々の言葉は、ごく短く、そして一方的なもので。


「これから、お前たちも含めて全員で王都に行くから、着替えて、すぐに玄関へゆけ」


 この世界、家長にして親が子供に対して一方的に命令を下せるのは当然としても、当日の朝、急にこんなことを言い出すなど、無茶苦茶である。もちろん、自分が正妻に産ませた子供たちには事前に言ってあるのだが、ユリウスに対してだけは、このようなものなのだ。


 王都に行く、と言っても、近場へ買い物へ出掛けるというものではなく、相応の馬車と従者を用意して、子爵としての体面を保持する必要がある。もっとも、従者といっても、適当な村人に声を掛けて、屋敷に保管してある衣類を着せて、王都まで供をさせるだけ。中途の食事代は出るが、それ以外は全部“従者”の自前だ。ひどい。父たちの目が届かない場所で、ユリウスは彼等にぺこぺこ頭を下げつつ、こんな状態を疑問に思わないということ自体が、どこかおかしいと思う。


 ちなみにユリウスは、先頭の馬車の御者役になった。本来、九歳の子供を御者にするなど、あり得ない。盗賊から見れば格好のターゲットだし、非常時の対応などできるはずもないし、地理感覚も定かではない。しかし彼が自分で手を上げてみたところ、あっさりと許可が下りた。


(暗くて空気の悪い馬車の中で声を出せずに気まずい思いをするより、きれいな空気を吸いながら見たことのない景色を自分だけのものにする方が、ずっといいよね)


 考えていたのは、その程度のお気楽なことだったけれど、付き添っている“従者”からは、驚き半分、敬意半分で見られていた。すなわち、この坊ちゃんは、随分と度胸がおありで、お館様もそれをお認めになっておられる、と。見当違いもいいところだが、本人も気付かないところで、領民の間でのユリウスの株は上がっていた。


 街道筋で特にトラブルに遭うこともなく、王都に着いて宿に泊まると、荷ほどきも早々に、父が懇意にしている有力貴族家に挨拶に訪れる。ここでは、ユリウスを含む、全ての爵位継承権者が一斉に挨拶をする必要があるという。ユリウスも一応名前は知っていたが、それなりに歴史はあるものの、現在では王国内での役割はほとんど失われており、ルツェルン子爵家との付き合いも、いわば惰性のようなものらしい。しかし、だからこそ、ルツェルン子爵家にとっては、そのつながりを維持しておく必要があり、定期的に顔を出す、いや、頭を下げに行くということのようだ。ちなみに、ユリウスが今回初めて訪れることになったのは、九歳の誕生日を過ぎると、貴族家子息として行動できるから、というだけにことである。


 その貴族家への挨拶が終われば、それ以降は、当主と“大事な跡取り”さえいればいいらしく、ユリウスは宿へ戻れと指示される。単身で。しかも、その貴族家を出てすぐに。長兄のゲラルトだけが、何だかうらやましそうな顔をしていたが、窮屈な挨拶回りから解放されるのをうらやんでいたのだろうか。


「いくら何でも、どこともわからない場所に置いていくのは、あんまりだよ。簡単な地図があるから、まあ大丈夫だろうけど」


 そういいながらも、その眼はウキウキ感にあふれていて、視線をあちこちへさまよわせる。初めて訪れる王都、見るもの全てが興味深く、楽しくて仕方ない。地方から初めての上京、それも九歳という年齢を考えれば、当然の反応といえる。


 地元ではまず味わうことのできない、石畳からコツコツと伝わってくる感触を楽しんでいると、子供の泣き声、いや、ぐずる声が聞こえてきた。


「おねえさまあ……くららおねえちゃあん……どごお……」


 六歳ぐらいだろうか、迷子の女の子がうろうろしている。素人目にもそれとわかる、品のいい服を着ている。いいところのお嬢ちゃんのようだ。どうやら、姉、そして姉のような年齢の者と一緒にいたところ、はぐれてしまったのだろう。


 ユリウスはあたりを見渡すが、それらしい人影は見当たらない。そして、道行く人は多いものの、誰も関わろうとしない。


(みんな、見て見ぬふり、か。お金持ちのお嬢さん相手じゃ、好意で手助けしても、得るものがないのに痛い目にあうかもしれない。目を離したお付きの者が、自分の怠慢を正当化しようとして、発見者に濡れ衣を着せたりしかねないし。だから、間違ってはいないよね)


 理解はできるから、それに対して否定的な目で見ることはしない。


 でも、自分がその行動に甘んじられるかどうかは、また別の話。そしてユリウスは、そういう“合理的な判断”に対して、それなりに反発する心理も持ち合わせていた。


 女の子の前にしゃがみ込んで、彼女の前にハンカチを見せながら、ゆっくり話しかける。


「どうしたの?」


「ぐすっ……お、おねえさまと……おねえちゃんと……いっしょに、いたのに……いなく、なっちゃったの……」


(もう少し具体的な情報がほしいけど、まずは落ち着かせることが先かな)


「そっか。人がいっぱいだもんね。ほら、涙を拭いて。かわいい顔が台無しだよ。それで、おねえちゃんたちのお名前とか、格好とか、わかるかな?」


「カリーナおねえさまは、あたまよくて、かっこいいの。クララおねえちゃんは、かしこくて、かわいいの」


(カリーナお姉様はこの子の実の姉、クララお姉ちゃんは姉のような存在だろうか。名前を大声で連呼するのもぞっとしないし、外見を具体的に聞くべきだね)


「そっか。カリーナお姉様とクララお姉ちゃん、どんな髪で、どんなお洋服を着てたの?」


「カリーナおねえさまは、かみがまっかで、かたのさきまでのびてるの。くろくてヒラヒラしたおようふくなの。クララおねえちゃんは、かみがみどりで、かたのてまえまでなの。ちゃいろでカッチリしたおようふくなの」


(赤髪ロングで女の子らしい格好と、緑髪ボブでボーイッシュな格好かな。それと)


「お姉ちゃんたちの年齢って、いくつ」


「カリーナおねえさまは、じゅっさいなの。クララおねえちゃんは、きゅうさいなの」


(その年齢なら、手分けして探すということはなさそうだね。大人が捜索に加わっているなら、あちこちで動きがありそうだし、二人一組でうろうろしているんだろう)


「ふうん、僕は九歳だから、だいたい同じくらいだね。わかった、お姉ちゃんたちを、一緒に探そうよ。あ、僕の名前は、ユリウス。よろしくね」


「う、うん。わたし、フィリーネ……ろくさい、です」


 落ち着いたのか、フィリーネと名乗る幼女が、やっと泣き止んだ。しかしユリウスの方は、厄介なことになったなと、内心でため息をつく。


(この年齢で、この反応か。王都の子供って、どれだけ会話能力が低いんだろうか)


 子供に対する距離感を測れないのは、同年代どころか、年上年下含めて、友達もその候補も存在さえしていなかった、この少年の悲劇ではある。


 フィリーネは、年齢の割に幼く、発達がやや遅めのようだが、知的障害があるわけではない。冷静になった彼女とゆっくり話せば理解できることではあるが、この場では対話の相手とみなすに足らずと考えたユリウスの姿勢は、必ずしも間違ったものではない。


「じゃ、しっかりつかまっててね」


「きゃっ!?」


 ユリウスは、地面に片膝をつくと、女の子を自分の左肩にちょいと載せて、立ち上がる。最初は、肩車をしようかと思ったのだけれど、スカートをはいた女の子に肩車というのは、よろしくない。人捜しだから目立つ方がいいとはいっても、悪い方向で目立つかもしれない。もっとも、九歳児が六歳児を肩車したところで、子供がほほえましいことをしていると見られるだけなのだが、意識が妙に大人びているユリウスゆえの判断ではあった。


「お、おもくない……?」


「平気だよ、男の子の力をなめないで」


 多少のやせ我慢は入るが、きついというほどではない。毎日、森の中を駆け回っているのはだてではないのだ。


 もっとも、あまりいろいろ考える意味はなかったようで、フィリーネが伝えた外観の少女二人組は、すぐに見つかった。というより、彼女たちが、ユリウスに抱え上げられているフィリーネを、すぐに見つけた。


「こっ、この、離しな……」


「や、やめな……」


 カーマイン色のロングヘアをした女の子が、ユリウスに向かって一直線に向かってくる。ホーリーグリーンのボブヘアをした女の子が、こちらは慌てた顔で彼女に後ろからしがみつく。何が起こっているのかわからないまま突っ立っているユリウス。カオスな光景だ。


 そして、ユリウスの上に座っていたフィリーネが、おねえちゃーん、と叫びながら前のめりになって。


 みんなが一つところで、足やら手やらを絡ませることになって。


 王都中心部の噴水広場に、四人の子供たちが、ビターンと盛大な音を立てて、地面へ突っ伏すことになった。

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