第余拾五話 悪逆の言い分

 ――辰峰峠。正午。


 白装束の薬売りが、道中杖を突きながら東の山道を登ってきた。

 右目に刀傷のような傷跡がはしり目をふさいでいる。

 顔色が悪い。薬をだれよりも必要としているのは当の薬売り自身であるかのように足取りもいささか重く鈍重だ。


 薬売りはいったん立ち止まると四方を見渡した。

 渓流のせせらぎが聞こえる。

 薬売りは懐から手ぬぐいを取りだすと額の汗を拭い、丸みを帯びた岩の上に腰掛けた。

 すると――


「待ち人はこないぜ」


 向かいの杉の木立の間から左足を引きずる男があらわれた。小袖に裾を絞った道中袴。腰帯に鎧通しを一本差した剣客ふうの男だ。


「やはり……おまえか」


 予想していたかのように薬売り――日下が片頬を歪めた。


「悪逆の限りを尽くしたおまえでも人肌は恋しいか?」


 一馬が左足を引きずりながら歩みよる。


「……いまさら敵討ちか。無駄なことはやめておけ」


 日下が手にした道中杖の柄に手をかける。おそらく仕込み杖だろうと一馬は見破っている。


「おまえは悪逆とほざいたが、そもそもこの世自体が悪逆なのだ。他人を食らわねば身を立てることなどできぬ。

 おれは公儀のいうとおり藩を取り潰し、その功績によって出世した。天領となったこの土地の代官となった。いわば天領の領主だ。

 有名無実と化した表柳生の影に隠れた我ら裏柳生にはこうするしか生き延びる術がなかった。

 おまえごとき剣客崩れに我らの苦しみなどわかるまい!」


「ばかに饒舌じょうぜつじゃないか。あんたらしくもないぜ」


 一馬が鎧通しの鞘を払った。陽光をはじいて白刃が光る。


「短刀一本にその足。その技量でおれに勝てると思っているのか」


 日下も仕込み杖を抜く。二尺三寸の定寸刀だ。


「空心流秘奥義『隠神おんしん』。この秘剣でおまえを討つ!」


 一馬が鎧通しを高々と掲げ宣言した。




   第余拾六話につづく

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