第拾五話 回天の刻

 阿片は芥子けしの実から採取した麻薬の一種で、脳内のドーパミンを過剰分泌させ疲労を感じさせない作用がある。

 佐渡の労役者の間にも密かに持ち込まれ乱用されたが、一馬はかろうじて手を出さなかった。

 中毒に陥って廃人になるものを数多く見てきたからだ。


「あの女は……阿片を精製して代官所に卸しているんだ」


 作太郎が憎々しげに吐き捨てる。


「なんのために?」


 阿片はご禁制の麻薬と聞いている。そんなものに手を出す理由が一馬にはわからない。


「柵や砦、防御壁を国境沿いに築くんだ。代官は町人や百姓たちを人足として徴用し、昼夜を分かたず使役している。どんなに疲れても人足は休むことは許されない。それには阿片が必要なのさ」


 つまりは佐渡のような過酷な労役がここ辰峰郷にも繰り返されているということか……。一馬はさらに訊く。


「なぜ、柵や砦を築く必要がある? 戦国の昔でもあるまいに」


 そのとき、作太郎がはじめて怒り以外の表情をみせた。きょとん、とした顔でまじまじと一馬の顔を見つめる。


「……そうか。あんた、なにも知らないのか」


「知らないから訊いているんだ。早くいえ!」


 いらいらが高じてつい怒鳴ってしまった。いまの一馬は浦島太郎と同じである。

 それも竜宮城のような楽園にいたのではない。くらあなのなかでひたすら働いてきたモグラのようなものだ。

 モグラが眩しい陽の光を浴びて、やっと世間という場所に顔をだすことができたのだ。


「……なにから話せば」


 作太郎がしばし考え込む。

 長い黙考ののち、口を開いた。


公方様くぼうさまが朝廷に政権を返還した」


「ッ!!」


 それは思いもよらぬできごとであった。

 寒河江一馬は歴史の転回点といわれる時期にもどってきたのだ。




   第拾六話につづく

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