第36話 約束の時を越えて

 春も盛りを過ぎようかという清明の頃を迎え、蒼き水の国である蒼天では、美しい彩りの橋が見られるようになった。この美しく瑞々しい蒼天へ、白鹿から武尊が到着した。


 立派な皇子となった武尊の姿を、澪珠は眩しく見つめ、泰極王は抱き寄せた。二人がひとしきり互いの存在の確かさを認め合うと、武尊はすっと身を離し居住まいを正した。


「泰極王。白鹿の乾いた国土に蒼天の知恵を頂き、幾何かの水の潤いをもたらすことが出来ました。感謝致します。そして、整った国土に姫をお迎え致したく、許婚の名の下にお迎えに上がりました。」

確かな言葉で、丁寧に申し出た。


「待っていましたよ。武尊殿。いや、今は皇太子ですね。立派な皇子になられました。」

泰極王は、武尊の姿を見つめた。


 武尊は一礼して、奥に控える澪珠に向かい真剣な面持ちで問う。


「澪珠。約束通り、君を迎えに来たよ。白鹿へ、私の元へ、嫁いでくれるか?」

「えぇ、もちろんです。武尊様。ずっとこの日を、お待ちしておりました。」


すっかり大人びた姫の風情を纏った澪珠は、まっすぐに武尊を見つめ答えた。その美しく成長した姿に、武尊は言葉が出ず、二人はしばらく黙ったまま見つめ合っていた。




 王府の広間では、既に歓迎の宴の準備が整えられている。

 先ずはこの一年の空白を語らい、武尊は蒼天で三日の休養を取った後、澪珠を連れて白鹿へ戻る事となった。

 改めて見る蒼天の豊富な水を湛えた国土は、武尊にとって美しく希望に溢れたものだった。そこにかかる美しい彩りの橋は、新しい明日へ繋ぐ希望の橋のように見えた。


「きっと我が白鹿も、これから豊かになる。国土にも、民の心にも、明日を生きたいと願う希望の橋が架かるであろう。」

武尊は、生まれ変わった白鹿で、これから始まる澪珠との暮らしに胸を膨らませた。




 三日の休養が明けた四日目の朝、武尊と澪珠の出発を前に再び皆が広間に集った。婚礼の衣装に身を包んだ澪珠と武尊が並び、泰極王と七杏妃を始め家族や重臣、王府の面々の前で紅き盃を交わし、蒼天での婚姻の固めの儀礼を執り行った。皆は感慨深く、二人の様子を見守った。


 婚礼の儀を大人しく見守っていた澪珠の弟、獅火は、腕の輪が光り力強く腕を締めるのを感じていた。どうにも強く腕に締まり、じんじんする様子に獅火は耐えられなくなった。


「父上、腕の護符が強くうずくのですが・・・」

小声で父に助けを求めた。


「ほう。そうか。唯幻合輪がうずくか。ならばそなたにも、告げねばならぬ時が来たようだな。」

泰極王はにやりと笑って、十三歳になった獅火の肩を抱いた。

「何をですか? 父上。」


泰極王は不思議そうな顔の獅火を連れ、婚礼の儀に立ち会ってくれている伴修の元へ向かう。


「伴修将軍。もう一つの情絲も、時を迎えたようだ。」

泰極王は、獅火の肩を抱きながら笑みを浮かべている。


「えぇ、泰極様。先程から娘も、腕が痛いと言い始めまして・・・」

伴修は、九歳になった娘の手を引いた。



 泰極王と伴修が、互いの子らを向かい合わせた。


「そなた達の衣の袖を上げ、互いの腕を見せてみよ。」


云われるままに獅火と紫雲は、衣の袖を上げ腕を見せ合うと、同じような金の輪が互いの腕にある事に驚いた。


 時を迎え、近付いた二つの金の輪は光りを放ち共鳴を始めぐるぐると回っている。その光に向かい永果が進み出て、法力で二人の唯幻合輪を外した。腕から外れた二つの護符は空に浮かび、金色を帯びた紅と青の光を放ってる。


「実はその唯幻合輪は、そなた達の身を護るだけでなく、二人の情絲を守る物でもあるのだ。だが、この唯幻合輪を龍峰山の神仙様から賜った時には、まだ二人ともあまりに幼かった。そして二人とも、新しい世を生きる質の生まれで、婚姻についてもこれまでとは違う道理を持ち合せていると云われた。だから時が来るまでは、その情絲を守る力は弱かったのだ。

 二人が成長し相手を慕う心を知り将来を考えられる時が来たら、情絲について改めて二人の心に問い、唯幻合輪に法力を封じてもらう約束になっていたのだ。」


泰極王が二人の顔を交互に見つめ、話して聞かせた。

続けて伴修も、幼い娘に話す。


「紫雲、お姫様になる時が近づいているのだよ。泰極王は、そなたを獅火様の妃にと考えてくださっているのだ。」

紫雲はまだ、きょとんとした顔でいる。


「父上、そのようなお約束をいつの間に伴修様となさったのですか?」


「獅火それはな、伴修将軍が、玄京の都に、戻って来て間もなくの頃だ。私と七杏の護符が光り、獅火と紫雲の情絲を教えてくれたのだよ。」

「そうよ、獅火。初めて紫雲に会った時、それは美しい紅白の光霧が小さな紫雲を包んでね。その事を泰様と伴修将軍が、龍峰山まで伺いにいったのよ。」

「母上、そうだったのですね。」


「えぇ。その時、神仙様から賜ったのが、今まで二人が身に付けていた唯幻合輪なのよ。」


「獅火よ。そなたも十三歳になった。姉上は今日、白鹿へ嫁いで行かれる。そなたは将来の婚姻について、紫雲をどう思う?」

泰極王は、率直に獅火に聞いた。


「獅火。正直に言いなさい。いつも話していたでしょう。この機を逃してはいけないわ。」

紅い衣に身を包んだ澪珠が、獅火の前に出て言った。



「姉上、ですが・・・」


うつむき加減で口ごもる獅火に、

「あなたの心を伝えればいいのよ。今しっかり伝えないと後悔になる。私も安心して白鹿へ行けないわ。」

優しくもはっきりとした口調で、澪珠は獅火を促す。



しばらく黙り込んだ獅火は、泰極王にまっすぐに向き直し、


「私と紫雲は、会えば喧嘩も多く気が合わぬと最初は思っていました。ですがある時、姉上と話していて気付いたのです。紫雲ほど、肚の中の事を気兼ねなく話せる相手は他に居らぬと。紫雲のように私の意見に真剣に返答してくれる相手も居らぬと。

 それに紫雲は・・・ その・・・ 人混みの中でも輝くほどに美しい。だから、父上と伴修様が我らを許婚としてくださるのなら、私は喜んで従い、自らもそう望みます。」


顔を紅らめつつも、はっきりと答えた。


「そうか。獅火。それなら善かった。父もひと安心だ。後は、姫のお心だな。」

泰極王が紫雲を見ると、恥ずかしそうに伴修の陰でうつむいている。


「紫雲。そなたの気持ちはどうかな?」

伴修が優しく娘に問う。


「私は・・・ 私は、父上のお考え通りに。獅火様は、私に意地悪で嫌いな時もあるけど優しい時もあるし、何でもまっすぐに私に話し嘘など言いません。とても好くしてくれます。だから、ずっと一番の仲良しでいたいです。」


紫雲は言い終えると、また父の陰に隠れた。



「よし、ならば決まった。今日はよき日である。ここに、獅火と紫雲を許婚とする。」


泰極王が皆の前で高らかに宣言し、永果が再び法力で唯幻合輪を一つに合わせると、紅と青の光が混ざり紫の光を放った。そしてまた、二つの輪に戻り紅と青の光を放つと、獅火と紫雲の腕に戻った。


「善かったわね。獅火。これで私も、安心して武尊様と白鹿へ行けるわ。」

「姉上、どうかご心配なく。お元気でお過ごしください。武尊兄さん、姉上をよろしくお願い致します。」

「獅火。案ずるな。姉上の事は、私が必ずお守りする。平穏に仲睦まじく白鹿で暮らしてゆく。」

武尊と獅火は、固く手を握り合った。



 もう一人、武尊には白鹿へ連れて帰りたい者がいる。以前に文を送っていた剣芯である。武尊は、剣芯の前に進み出た。


「剣芯殿、心はいかに? 共に白鹿へ行ってはくれぬか?」


「武尊様。誠に申し訳ございません。私はまだ、蒼天で二人の師に付き学びたいと思っております。ですから今は、武尊様と共に白鹿へ参る訳にはいきません。

ですが・・・ この後、幾年かして武尊様が白鹿の王に成られた時、仏の教えと心の助けが必要とあらば、その時には喜んで白鹿へ参りましょう。」

剣芯は、頭を低くして答えた。


「誠か? 剣芯。それは誠か? 有り難い。では、私が王位を継いだその時には、そなたを白鹿へ迎えたい。ぜひに戻って来てくれ。」


武尊は、剣芯の顔を上げさせ手を取った。

僧侶となった剣芯の手は、紅號村にいた時とはすっかり変わっていた。柔らかく優しい手の剣芯は、にっこりと微笑んで頷いた。













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