第35話 武尊からの文

 武尊からの文を受け取った泰極王は、七杏妃と二人で話していた。


「杏、いよいよ澪珠を送り出す時が来ましたよ。武尊殿は、無事に治水工事をやり遂げ、白鹿は美しく豊かに水を生かせる国に生まれ変わったそうです。民の暮らしぶりも変わり、今この時だけでなく、将来を生み出す事業も起こしたようです。我が娘の夫は、立派に事業をやり遂げ、国の未来の礎を築いたようですよ。」


「まぁ、そうですか。さすがは武尊殿。この一年は蒼天へ来ることも堪え、事業を進めていましたものね。さぞ、頼もしく立派になられた事でしょうね。」


遠く白鹿にいる武尊の姿に想いを馳せ、七杏妃は微笑んだ。泰極王は、七杏妃に寄り添うと


「あぁ。武尊殿は、どうしても約束の時までに国を整え、澪珠を迎えたかったそうだ。よく頑張った。澪珠はもう、文を読んだであろうか?」

「どうでしょう? ここへ呼んで聞いてみましょうか?」


泰極王は文をたたみながら腰かけ、二人がぼんやり考えていると、澪珠が部屋へ駈け込んで来た。



「父上、母上。武尊様が! まもなく蒼天へ参られます。私を、迎えに来てくれます。」

溢れんばかりの笑顔で、目を輝かせている。


「まぁ、まぁ。澪珠、落ち着いて。今、私たちも文を読みましたよ。いよいよ澪珠も、蒼天を離れ白鹿へ嫁ぐのですね。」

七杏妃は、愛しい姫の肩を優しく撫でた。


「蒼天を離れる・・・ そうですね。武尊様の元へ行けるという事は、蒼天を離れるという事なのですね。父上や母上と、離れるという事なのですね。」

急に寂し気な顔になった澪珠は、父母や故郷との別れをその身に初めて感じた。


「どうした? 澪珠。さっきまであんなに喜んでいたではないか。」

泰極王は、あまりにしょんぼりした澪珠を見て、七杏妃と微笑み合った。


「澪珠、大丈夫よ。何も心配する事はないわ。武尊様は、きっとあなたを大切にしてくれる。白鹿で楽しく暮らしていけるわ。」

「母上、私はしっかりやって行けるでしょうか? 母上のような王妃になれるでしょうか?」

「大丈夫。私に出来たのだから、澪珠にも立派に務まるわ。水鏡でも、二人助け合って試練を越えて来たのでしょう?」

七杏妃は、まっすぐに澪珠を見つめて言った。



「天民様に聞いた話では、母上は子供の頃、澪珠に負けないくらいお転婆だったそうだぞ。その母上でも、立派な王妃になったのだ。澪珠も大丈夫。澪珠は、この父と母の娘ではないか。大丈夫。心配ない。武尊殿が付いている。」

泰極王は、澪珠と七杏妃を抱きしめた。


 喜びと寂しさの入り混じった温もりを感じていた七杏妃だったが、ふと、思い出したように


「泰様。誠に天民がそのような事を? 困ったわね。そんな子供の頃の話を。」

涙ぐんだ顔を上げ笑った母につられ、澪珠にも笑みが浮かんだ。



「さぁ、いよいよだ。こちらも白鹿の皇子をお迎えする準備と、澪珠の輿入れの仕度をしなければならないぞ。武尊殿が到着したら、三日は休んでもらわねば。道中の護衛の手配もせねばいかんな。さぁ、忙しくなるぞ。」

「えぇ、父上。私もとうとう武尊様の元へ、白鹿へお嫁に行くのですね。」


改めて決意を固めた澪珠は、しっかりと父母を見つめると部屋を出て行った。その澪珠の後ろ姿には、すっかり大人びた一国の姫の風情が宿っていた。




 それからひと月程、蒼天王府は澪珠の輿入れの仕度で大忙しだった。姫の輿入れを知った都の民も大いに喜び、玄京の都は活気が増し国中が慶びに満ちた。



 武尊から届いた文は、泰極王、澪珠に宛てた物の他にもう一通あった。それは、紅號村から来て僧侶となった剣芯に宛てた物だった。その文は、空心、天民の教えを継ぐ剣芯に、白鹿王府の相談役として来てはもらえないか? という武尊の願い入れだった。


 武尊の信頼を嬉しく思いながらも、まだ蒼天の二人の師の側で学びたい気持ちが強い剣芯は、一人で決めかねていた。


「剣芯よ。そなたの心のままに動くがよい。元々そなたは白鹿で育った者。故郷へ帰るのもまた善しだ。」

天民は言い、


「学びたい時には、心ゆくまで学ぶがよい。命には限りがある。誰かの心に添いたい時は、その側を離れぬがよい。だが、求められるも花だ。そこに天命がある事もある。

 私が長い歳月、蒼天王府に添い辰斗王や泰様に接して来て思うのは、王というのは時に随分と孤独だという事じゃ。幸いにも蒼天が二代続けて明君に恵まれたのは、その傍らに何があっても信頼できる者がおったからじゃ。辰斗王には文世様。泰極王には、七杏妃と伴修殿。その役の一つに、私も少しは入れてもらっているかもしれぬ。そう思うとな、武尊様も王となった時には、澪珠の他にも信頼できる者が必要だと思うのじゃよ。剣芯よ、よくよく考え、心に浮かぶものを感じ決めるがよい。」

と空心は諭した。


 剣芯は、この国の王である泰極王の元へ空心に連れて行ってもらった。そこで、王の孤独について問う為だった。


「えぇ。空心様の仰る通り。王というのは、時にどうしようもなく独りだと感じる事があります。私の言葉一つで、国が動き変わってしまうのですからね。常に公の場では、慎重な言動を心がけなければなりません。その元となる決断の時に、恐怖と孤独に襲われる事があるのです。どれだけ貴重な意見を聞いたとしても、最後に決断し命を下すのは自分ですからね。

 私にとって、空心様や天民様、それに剣芯。尊き仏の教えを説く僧侶の皆様の助けは、かけがえのない心の支えとなっていますよ。」


泰極王は、剣芯の問いに丁寧に真心で答えてくれた。



 二人の師と泰極王の言葉を胸に剣芯は、武尊と対面する時までの猶予を静かに思案しながら過ごす事にした。













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