第33話 蒼天に集う僧侶
空心に問いかけられ、天民は静かに答える。
「はい。空心様。我らは生涯、学び続ける修行の身でございます。それも、仏縁のお導きかと思います。」
「ならば空心様。あの離れもお役に立ちますね。お二人には、そちらを使って頂いてはいかがでしょう?」
泰極王の軽やかな声が響いた。
「えぇ、そう致しましょう。誠に助かりました。まさか、このような事が起きるとは・・・ 実はな、天民。そなたから最初の文を受け取った時に、ならば。と泰極王が、私の庵の横に離れを建ててくださったのだよ。私は、天民と二人なら今の庵でも十分と言ったのだが。」
「そうでございましたか。泰極王、お心遣いに感謝致します。こちらへ参る交易船でも、王府の通り符のお陰で十分すぎる手厚いおもてなしでございました。そうそう、
「そうでしたか。天民様は、湖蘭にも会われましたか。蒼天ではぜひ、離れをお使いください。剣も一緒に。」
泰極王は、剣の頭をしっかりと掴んだ。
「ありがとうございます。泰極王。御心遣いに感謝致します。」
天民を真似て、剣も礼を述べた。その様子に、笑みを浮かべて空心は剣を見つめる。
「おぅ、おぅ。学びの早い子じゃ。歳は幾つかな?」
「はい。十三にございます。」
「そうか、そうか。ならば十分に学べる歳じゃな。天民よ。仏門の名をあげては如何かな?」
空心は、天民に持ちかけた。
「はい。ならば空心様が付けてあげてください。」
「どうか、お願い致します。」
天民の横で剣も恐縮している。
「ならば、‘
空心は、剣を仏門へと導いた。
「はい。ありがとうございます。空心様。これより剣芯として天民様に付き、しっかりと仏の心を学びます。」
剣心は、決意を新たにしっかりと挨拶した。空心は大きく頷き、剣芯を抱きしめた。そして、泰極王に礼をすると、晴れやかな笑顔で、三人一緒に庵へと帰って行った。
広間に残った七杏妃が、微笑んで泰極王を見ている。
「湖蘭様も、元気そうでよかったですね。商いも上手くいっているご様子。」
「あぁ、そのようだ。湖蘭の気性ならば、きっと豪商の夫人として楽しく優雅に暮らしているであろう。」
泰極王も微笑み返した。
「ねぇ、泰様。先程の剣のことだけど・・・」
七杏妃が少し口ごもる。
「んっ? 剣がどうかしたか?」
「えぇ、泰様。空心様が付けた仏門の名。まるで‘
「さぁ、どうであろう。七杏がそう感じたのであれば、空心様にはそのお心があっての事かもしれないな。」
「えぇ、きっとそうだわ。空心様から天民へ。天民から剣芯へ。仏様の教えは伝わってゆくのね。」
「あぁ。そうやってこの蒼天に、仏様の教えが寄り添ってくれる。何とも有り難いことだ。きっと天民様は、獅火の善き師となり助けになってくれる。私にとっての空心様のように。」
「そうですわね。私たちも、獅火の代も幸せな事ですね。そこに剣芯が加わるなんて、獅火はもっと心強い。」
「あぁ、そうだな。だが、剣芯はいずれ、白鹿へ帰るやもしれぬ。心ある尊い僧を蒼天王府で独占するわけにも・・・ 武尊殿にもいずれ助けが必要だ。澪珠も嫁いでゆく訳だし。
もし、剣芯が望んだなら。天民様のお考えがあれば。その時は・・・ 剣芯を武尊殿の白鹿へお返しする時が来るかもしれぬ。その事だけは、心に控えておいた方がよいだろう。」
「えぇ、泰様。そうかもしれません。今は、武尊様もこの蒼天に居られますし、皆で限りある時を十分に過ごしましょう。」
泰極王と七杏妃は、手を取り合って広間を出て行った。
武尊の治水の学びも、ちょうど一年の月日が流れ、四季を巡る水の動きを学ぶ事が出来た。今、蒼天は、武尊が戻って来た頃のような春爛漫の陽気になった。
いよいよ明日、武尊が白鹿へ帰国するという晩、ささやかな家族の宴が開かれた。この宴には、特別に伴修一家も招かれ、澪珠と武尊の婚約の固めの立会人となった。澪珠と武尊は、家族に見守られて固めの盃を交わし、誓文証に名を入れ誓いのかんざしを贈り合った。こうして二人は、晴れて公認の許婚となった。幼き二人のはにかんだ笑顔が、宴の人々の心を温めた。
温かな気の広間に突然、甘い葡萄の香りが漂い蛇鼠が現れた。
「いやいや、皆様。おそろいで。なんとも賑やかじゃのう。今日はめでたい婚約の宴なのじゃろう? おぉ、伴修もおるのか。久しぶりじゃのう。」
「これは蛇鼠様。突然の来訪・・・」
泰極王が、立ち上がって挨拶し始めると
「あぁ、よいよい。泰極王。今日はめでたい席。ちょっと贈りたい物があってな、持って来たのじゃよ。白鹿の皇子よ。そなたは明日、泰極王から‘希望の灯火’を借り受け、白鹿へ持ち帰るのじゃろう?」
蛇鼠は、まっすぐに武尊を見ている。
「はい。蒼天国の秘宝を泰極王のご厚意で借り受け、我が白鹿王に、再び希望を見つけ心に灯火を点して頂きたく・・・」
武尊の言葉を、蛇鼠は途中で制するように手をかざし、
「そうか。そうか。だがな、白鹿は乾いた土の国。蒼天は蒼き水の国。そもそもの風土に違いがあるのだ。風土が違えば、人の気質も違う。白鹿の民が心に希望を取り戻すには、まず心を潤わさなければならぬ。
白鹿の民には、希望の灯火よりもっと善い品がある。この〈希望の滝〉じゃ。これを持って帰るがよい。」
蛇鼠は、武尊に希望の滝を手渡した。
初めて会う蛇鼠に法力の品を託され、武尊は緊張の面持ちで礼をする。
「神仙様。ありがとうございます。このような法力の品を、私が頂いてよろしいのでしょうか?」
「よいのじゃ。よいのじゃ。白鹿の皇子よ。そなたは澪珠を、いずれ娶ってくれるのじゃろう? 結婚の祝いの品の先渡しじゃ。
この希望の滝は、使い方は灯火と一緒じゃ。この滝の前に座り息を吹きかけ、じっと水の流れを見つめていれば、おのずと希望が見つかり乾いた心が潤い前に進める。試しにやってみるがよい。」
蛇鼠に言われるままに、武尊は滝の前に座り、ふっーと息を吹きかけ見つめていると、滝壺からみるみる霧が生まれた。
その霧の中には、東風節で
「神仙様。五年の後、立派な皇子となって、必ず澪珠を迎えに参ります。先ずは、この希望の滝を賜り、父上に再び希望を抱いて頂けるよう帰国致します。」
「おう、おう。若いながらも見事な宣言じゃ。懐かしいのう。泰極王の婚礼の日を思い出す。よし、今の宣言をしかと受け取った。この希望の滝と交換じゃ。大事に持ち帰るのじゃぞ。」
蛇鼠は、満足した様子を最後に霧のように消えてしまった。
「神仙様。感謝致します。」
武尊は、今まで蛇鼠の姿があった場所に向かい深々と頭を下げた。
「武尊様。善かったですね。これで白鹿王も、きっとお元気になられます。」
「うん。澪珠。俺は、もっと立派な皇子になるよ。そして必ず、君を迎えに来るから。」
「はい。武尊様。その日をお待ちしております。」
幼いながらもしっかりと情絲を掴み、まっすぐに向き合う澪珠。その姿を眩しく見つめながら、泰極王は七杏妃の手を握った。この若き二人を、宴にいる皆が見守っている。
「さぁ、皆で乾杯しよう。」
泰極王が高らかに杯を掲げ、皆で祝杯を空けた。
翌朝、武尊は蒼天を発ち白鹿へと戻って行った。
玄京の都の門まで澪珠は見送りに行き、門を出て行く武尊を見えなくなるまで見つめていた。武尊は、幾度も幾度も振り返り、ゆっくりと都の門を離れて行った。
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