希望の産声

第32話 風砂の終息

 天民たちが薬を作り始めてからひと月が経とうかという頃、紅號村の風砂は終息した。天民はこれを機に蒼天へ向かう事を決め、村の者たちに別れの挨拶をして回った。

 村の者達は天民との別れを惜しみながらも、尊い身を送り出そうとしてくれている。その中で、剣は天民にしがみついた。



「天民様、俺も連れて行ってください。もっと、仏様の教えを知りたいんだ。天民様と一緒に蒼天へ行きたい。お願いします。」


剣は涙を滲ませ、幾度も天民に頭を下げる。

その様子に、村の民から兄貴と呼ばれる男が頭を下げた。天民に最初に声をかけ、薬材を調達し仲間を集めた男だ。


「天民様。もし、ご迷惑でなけりゃ、俺たちからも頼む。こいつが、こんなに教えを乞い頼み込む姿は、刀剣の事じゃ一度もなかった。仏様の教えってやつが、剣には合っているのだと思う。どうかお願いします。」

兄貴の姿を見た村の者たちも、次々に頭を下げる。


「分かりました。ならば剣、共に行くか? 蒼天へ。」


天民が心を打たれ、剣に問う。剣は満面の笑みで大きく頷いた。



 こうして天民と剣は、陽沈砂漠を越えた蒼天との国境まで兄貴たちに送られ、二人で蒼天王府のある玄京を目指した。





 天民と剣が蒼天の西門で、王府の交易船の乗船と入国の通り符を見せると、直ちに軍部の施設へ案内された。軍部の者は、天民が蒼天に入った事を玄京の王府へ先に知らせに向かった。ここからは、天民と剣は蒼天軍部の馬車に乗り護衛付きで王府へと向かう事となった。


「天民様。すごいね。俺、こんな立派な馬車に乗ったの初めてだよ。天民様は、すごい人だったんだね。」

「いやいや、私もこんなに立派な馬車に乗ったのは初めてだよ。それに私は、ちっともすごくなどない。私の師匠の空心様が、素晴らしい方なのだ。蒼天王の元で、今は暮らしておられる。私はただ、その恩恵に与っただけ。空心様と蒼天王に、感謝するのみだ。」


「そうか・・・ 天民様よりすごい。空心様か・・・」


「はははっ。王府に着いたら、剣も会えるぞ。会えばきっと、剣にも分かる。」

天民は馬車に揺られながら、静かに笑った。



 うららかな春の気が漂い、馬車の揺れが心地好く眠りを誘う。時折、馬車の御簾を上げて美しき蒼天の景色を眺めながら、天民と剣は蒼天の王府に近付いて行く。


「天民様。蒼天は美しい所ですね。村とは大違いだ。」

「誠に美しい所だ。だが、剣の村もまた善いのだぞ。」

「うん。分かっているさ。それぞれの善さがあるのでしょう?」


天民は、にこやかに頷いている。二人は、初めて見る蒼天の景色に胸を躍らせていた。



 やがて馬車は玄京の都に入り二人が王府につくと、そのまま広間に案内された。既に知らせを受けていた空心と七杏妃、泰極王は、広間で天民の到着を待っていた。

 扉から天民の姿が見えると、七杏妃は思わず立ち上がり呼びかけた。


「天民!」


驚いた天民は顔を上げ、声を追って広間の奥を見る。


「桜・・・?」


聞こえて来た懐かしい声に、天民は思わず声を上げてしまったが、すぐさまその先を飲み込んだ。


 七杏妃は、天民の元に駆け寄った。

「そう。桜よ。天民、よく来てくれたわね。道中お疲れ様。」

懐かしさのあまり七杏妃は、天民の手を握った。


 あまりの驚きに、言葉も出ない天民に空心が言う。

「天民。そなた達には、最後まで隠していて悪かった。実は桜は、蒼天国の重臣の娘子だったのだよ。それも生まれながらにして皇太子の許婚のな。」


「なるほど。やはり、そうでしたか。空心様が帰国を早めてまで連れ帰られた時、赤ん坊に御付きの者が二人もおりました。しかも一人は武術も優れた平でしたから、この赤ん坊は高貴な方なのではと思っておりました。

 ですがまさか、王妃になられる程の方だったとは・・・」


天民は、長い間の謎が解けたような心持ちに、穏やかな笑顔を見せた。



「まぁ。天民。あの桜が・・・ と思っているのでしょう? 残念ですが、立派にこうして王妃を務めております。ねぇ、泰様。」

泰極王も立ち上がり皆に寄ると、

「天民様。よく参られました。お待ちしておりましたよ。此度は、紅號村でも大変なご尽力をされたとか。お疲れ様でした。七杏は、立派に王妃として務めておりますのでご安心を。」

と天民の手を取った。


「あぁ、泰極王。此度は、交易船の事から天紅砂丸の事までお力を貸してくださり、誠に感謝致しております。」

「それでは、あの天紅砂丸は役に立ったのね。善かったわ。天民たちの力になれたのね。」

七杏妃は、溢れる笑顔で天民に聞いた。


「えぇ、えぇ。とても助けになりましたよ。けれども、あの天紅砂丸の事を、なぜ知っていたのです? しかも、あれほどの量をあのように早く紅號村へ届けてくださるなんて。」


「むふふっ。天民よ。それには秘密があるのじゃよ。これから時間はたっぷりある。ゆっくり話してやろう。」

空心は、にこにこと子供のように無邪気な顔をしている。


「ははっ。それは楽しみです。一体どのような秘密があるのでしょう?」

天民は、空心に劣らぬ笑顔を返した。



 そして、すっと真面目な顔に戻ると、穏やかに話し始めた。


「私は、天紅砂丸を夢の中で如来様に教わりました。蒼天へ向かう船が嵐に遭い、如来様の夢を見たのです。ですが、私には一瞬の迷いがありました。このような不可思議な事があるのだろうか? 誠に信じてよいのだろうか? そう思案したのです。

 その後、本当に船が浜辺に打ち上げられた時、私が思い直し紅號村へ行く決心が出来たのは、吉紫山での出来事を思い出したからなのです。


 桜が天女様の夢を見て、その夢を信じて動き、私たちにこの世の物とは思えぬ程の美しい光景を見せてくれました。その奇跡を機に生まれた霊薬は、今でも寺で大切に作り続けています。今や吉紫山一帯に広く知れ渡り、民の助けとなっています。私はこの時の事を思い出したのです。私も、桜と同じように如来様の夢を信じて動いてみよう。そう決められたのは、桜のお陰なのです。桜、ありがとう。」


天民は、七杏妃に向かい深々と頭を下げた。


「ちょっと、天民やめてよ。顔を上げて。」


慌てて天民を起こそうとする七杏の肩を、泰極王は優しく抱き寄せて微笑んだ。


「天民様。吉紫山では、桜の面倒を見てくださり感謝致します。蒼天から送った天紅砂丸も、紅號村の皆様の助けとなればそれで善しと思っております。どうぞこれからは、蒼天で空心様と共に存分に学んでください。」


泰極王の眼差しは、温かく天民に注がれている。天民は、泰極王に向き直し深々と頭を下げた。



 すると、天民の横にいた少年も一緒に頭を下げた。


「ところで天民。その少年は、いかがしたのじゃ?」

天民の真似をする少年を不思議に思って、空心が聞く。


「はい。それが・・・ 紅號村の少年なのですが、父母もなく頼みの姉も風砂で亡くなり、一人になってしまったようです。効薬作りを手伝ってくれた時に、少し仏様のお話をしていましたら、心に灯が点ったようで・・・ どうしても仏の心を学びたいとせがまれまして、連れて参ったのでございます。」

天民が事の次第を話して聞かせた。



「俺・・・ 私は、剣と申します。天民様はすごい人だと思ったんだ。俺たちの村の為に、一所懸命に薬を作ってくれた。村を助けてくれた。俺の姉ちゃんは亡くなっちゃったけど。その薬のお陰で、助かった人もたくさんいる。

 夜には、仏様の教えの話をたくさんしてくれたんだ。どの話も面白かったし、どの話も好きだ。中でも俺は、仏様の教えと刀剣は一緒だって話が好きだ。そう聞いた時、俺は目が覚めた心持ちだった。天民様は、仏様の教えも使う人の心によっては、刀剣と同じように人を傷つけるって教えてくれた。俺はもっと学びたい。刀剣を作るより、仏様の教えを学びたいと思ったんだ。」


剣は元気よく、目を輝かせて話した。


「天民よ。誠に善い説法をしたようだな。一人の少年の目を開かせた。道を見せたのだよ。このような出逢いは、一生の間にそう有るものではない。私は、そう思うがのう。」

空心は、まっすぐに天民を見据えている。


「あなたが空心様だね。天民様のお師匠さんだね。天民様が言ってた。空心様は、すごい人だって。」

「これ、剣。」

「よいよい。天民。そなたも善き弟子を得たようじゃな。私にとって天民、そなたは善き弟子じゃ。善いではないか? これから蒼天で、三人で共に学ぼう。」

「誠ですか? 空心様。俺も・・・ 私も共に学んでよいのですか? でも、空心様は、教えてくれる人でしょう?」


剣は喜んで、空心にしがみついて聞いた。


「もちろんじゃ。志ある者を拒む理由はない。剣よ。私とて、まだまだ、学びの途中じゃ。一生学び続けるのじゃよ。のう、天民。そうであろう?」












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