第30話 幼き誓い
泰極王と七杏妃の婚礼の後、龍峰山の神仙から賜った法力の品々は、小さな部屋に納められている。そこは、とても清々しく神聖な気の満ちた部屋で、法力の品々だけがある祈りの部屋となっていた。
祈りの部屋に泰極王と七杏妃、武尊と澪珠が揃った。澪珠もこの部屋に入るのは、初めてだ。
「父上、この様な部屋が王府にあったのですね。まるで寺廟のような気が満ちています。」
「あぁ、澪珠がもう少し大人になったら連れて来ようと思っていたのだが、少し早くなってしまったな。」
泰極王と七杏妃は、静かな笑みを浮かべた。
「そうよ、澪珠。まさかこんなに早く、あなたに縁談があるなんて思いもしなかったわ。だけど、とても善いお相手で善き情絲を得られて嬉しいわ。」
七杏妃は優しく澪珠の髪を撫でた。
「母上、申し訳ございません。ですが、澪珠は心に決めました。武尊様の元に嫁ぐと。今すぐではないですが・・・」
「澪珠。その事だが、先ほど泰極王と話をして、君が十五歳になったらとお約束を頂いたよ。だから私は、それまで待つ。そして五年後、立派な皇子になって君を迎えに来る。もちろん、五年の間にも君に会いに来るさ。」
「武尊様。そうだったのですね。十五になったら・・・」
澪珠は少しだけうつむいた。
「澪珠よ。五年の月日は、あっという間だ。瞬く間に過ぎてしまうぞ。もう少しだけ蒼天に居て、父の娘でいておくれ。」
泰極王は、幼い澪珠に合わせ腰をかがめ目を合わせた。
「はい。父上。もう少しだけ、あと五年だけ、父上の娘として蒼天に居てあげます。」
「まぁ、澪珠ったら。父上が何だか可哀想だわ。」
七杏妃が笑った。
苦笑いの泰極王は、立ち上がり部屋の奥へ進む。
「武尊殿。これが誓いの泉です。」
手をかざして見せた。
「こちらがその、誓いの泉ですか・・・」
武尊が見つめる先で誓いの泉は、あの婚礼の時と変わらずふつふつと水が湧きだしている。
「この泉に誓えば、必ず叶う。私と七杏妃も婚礼の時に、この泉に誓ったのだよ。」
「えっ? 泰極王と七杏妃も? この泉に誓ったのですか?」
「あぁ。実はここに有る三品は、私たちの婚礼の時の三神仙様からの祝いの品だったのだよ。それ以来ずっと、蒼天の秘宝だ。
さぁ、いかが致す? 二人でこの泉に将来を誓ってみるかい? さすればその誓いを聞いたこの世の全てのものが、その誓いを叶えるべく尽力する。だが、一度誓った言葉は決して取り消せぬぞ。」
泰極王が七杏妃に目配せした後、武尊と澪珠に向き直し二人の答えを待っている。
「私はぜひとも、泉に誓いたく思います。泰極王にお約束は頂きましたが、このまま離れ離れになるのは怖いのです。」
武尊は、素直な気持ちで答えた。
「私もこの泉に誓い、武尊様との情絲をこの世の全てのものに守ってもらいたい。白鹿に嫁ぐその日までの希望とお守りにしたいのです。」
澪珠が武尊を見ながら答えた。
「ならば、二人の心は一つだな。では、この泉に二人で誓うがよい。」
泰極王は一歩下がり、二人に泉の前に進み出るよう背中を押した。
「泰極王、ありがとうございます。澪珠。さぁ、共に前へ。」
武尊が澪珠を伴い前に進み出ると、先に声を発した。
「私、白鹿国第二皇子、武尊は、五年後に蒼天国の姫、澪珠を妃に迎え、白鹿国で末永く平穏に豊かに暮らす事を誓います。」
これにならい澪珠も
「私、蒼天王の娘、澪珠は十五になったら、白鹿国皇子、武尊様に嫁ぎ、皇子を支え白鹿国を思い末永く睦まじく暮らすことを誓います。」
と立派に言った。
すると泉の水は水球になり、その水球の中に平穏で治水の行き届いた白鹿国の豊かな国土と民の笑顔、武尊と澪珠の笑顔が浮かび上がった。
泰極王と七杏妃はこの様子を懐かしく眺め、武尊と澪珠は、驚きと感動で見つめた。やがて水は弾け、泉はまた何事もなかったように元の通りふつふつと湧いている。
「さぁ、これで誓いは終わり。もう大丈夫だ。二人の誓いは必ず叶う。安心しなさい。」
泰極王は、若い二人の肩を抱いた。
「二人とも、立派に誓えましたね。素晴らしかったわ。せっかく祈りの部屋に来たのだから、二人の憂いも祓っていきましょう。」
七杏妃は天運の扇を手に取り、一振りした。穏やかな風が起こり、祈りの部屋の気が更に清らかになり、武尊と澪珠の不安が消えた。
「すごいわ。母上。今のは何?」
「今のは天運の扇の風が、心の憂いと災いを祓ってくれたのよ。」
「素晴らしい。蒼天には、このような秘宝があったのですね。」
「えぇ、武尊殿。有り難き事です。龍峰山の神仙様のお陰様です。」
泰極王は、感慨深げに微笑んだ。
「実は・・・ 実は、水鏡で砂漠の王から賜り龍峰山の神仙様が法力を封じてくださったあの二品を、白鹿の宝としようと決めていました。今日、このような祈りの部屋を見せて頂いたので、帰国したら白鹿王府に祈りの部屋を設け大切に納めたいと思います。」
「あぁ、それは善い。そうして大切に守ってゆくが善い。」
泰極王は、武尊の手を力強く握ってやった。
「ところでお父上様・・・ 白鹿王のご様子はいかがですか? お元気になられまして?」
七杏妃の心には、ずっと白鹿王のことが気がかりであった。
「七杏妃のお気遣いに感謝致します。以前よりは臥せる事もなく元気にしているようですが、兄が生きていた頃のようには・・・ どうにも生きる希望が薄らいでいるようで・・・」
武尊の顔が沈んだ。
「そうですか・・・ それは心配ですね。泰様、どうでしょう? 武尊様に〈希望の灯火〉をお貸ししては?」
「杏、それは善い考えだ。うん、それが善い。」
泰極王は大きく頷くと、武尊に向かって話し始めた。
「武尊殿。この希望の灯火をお貸しします。帰国の際に、白鹿へお持ちください。これも神仙様の法力の品。この灯火を点し炎を見つめじっと座っていると、見失った希望を再び見つけられるのです。そしてまた、心に灯火を点す事が出来るのです。」
「えっ。泰極王、そのように大事な蒼天の秘宝を、私に預けてくださるのですか?」
武尊は、とても驚き恐縮した様子でいる。
「あぁ。そなたは大事な娘の許婚だ。そうでなくとも、私は武尊殿を信頼している。大切に扱い、必ず返してくれると信じておる。今は、白鹿王に希望を見つけてもらい、心に灯火を取り戻して頂くのが大事。それが、蒼天と白鹿の善き将来の為でもある。まだ、白鹿王には元気で王座に居て頂き、若様を鍛えて頂かなくては。」
泰極王は、軽やかに笑った。
「泰極王。ありがとうございます。それ程までに私を信じてくださり、我が父と白鹿の事も思ってくださるとは。誠に感謝致します。」
武尊は涙ぐみながら手をついて、深く深く頭を下げた。
「さぁ、さぁ。顔を上げて。武尊様。この灯火を、まずはあなたが試してごらんなさい。」
七杏妃は、武尊を起こし火種を渡した。
その火種を受け取り、武尊が希望の灯火に火を点すと、炎の中に兄と剣術の修練をする情景が浮かび上がった。そして、その修練の様子を見守る白鹿王の姿もある。
「あぁ。懐かしき情景です。よくこうして、兄上と剣の修練をしていました。父と三人の善き思い出です。この修練の後に、父はよく
「まぁ。そうでしたのね。梅糖は、蒼天にもあるわ。そうだ! 明日は東風節だから、一緒に行きましょう。」
それまでずっと、黙って様子を見守っていた澪珠が目を輝かせた。
「そうか、澪珠。蒼天にも梅糖があるのだね。私にとっては懐かしい思い出の味だ。うん。ぜひ行こう。泰極王、東風節に澪珠と一緒に行ってもよろしいでしょうか?」
「あぁ、構わぬ。だが、きっと獅火も行きたがるであろう。獅火を連れて、我々も一緒に行こう。」
「そうね。久しぶりに皆で行きましょう。静月と陽平も誘って。」
「あぁ、杏。そうしよう。武尊殿、それでよいかな?」
「はい。もちろんです。泰極王。澪珠、よかったね。明日が楽しみだ。」
「えぇ。武尊様。待ちきれません。」
華やいだ澪珠の笑顔を残し、四人は祈りの部屋を出た。
泰極王は、しっかりと扉に鍵を掛けると、両脇にある柊の葉を揺らした。すると柊の葉が呟いた。
「私、白鹿国皇子、武尊は、五年後に蒼天国の姫、澪珠を・・・」
驚いた武尊と澪珠は、顔を見合わせ手を繋ぎ走るように去って行った。微笑ましい二人の姿を見つめ、泰極王が呟く。
「まさかこのようにあの三宝が、助けになる日が来ようとは思ってもみなかったよ。」
「えぇ、泰様。あの時は、思いもしませんでしたわ。でも、善かった。誠に蒼天の宝です。」
「あぁ。縁というものは、誠に不思議なものだ。蒼き水の国の姫が、乾いた土の国へ嫁ぐことになるのだから。」
「そうですわね。不思議な情絲の巡り合わせですね。」
泰極王と七杏妃は、先を歩く若き皇子と姫を見つめている。
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