第28話 天民、決意の入村
ひと月の修繕を終えた交易船が、再び朱池の港を黄陽へ向け出発した。船は順調に進み新しい年が明けた頃、黄陽の港に無事着いた。
空心からの知らせを受けていた天民は、五光峰寺を出る時期を遅らせ、年明け間もなくに港へ着いた。天民は、蒼天の交易船を見つけると帰国船の出発日を尋ねた。船は正月の満月に出港だと船員は言う。天民は、港近くで満月の日まで留まる事にした。
迎えた正月の満月の朝。
天民は、少しばかり多めに豆やら干し芋やらを備え、泰極王からの通り符を手に乗船した。王府の通り符のお陰で上等な部屋に通された天民は、賓客として手厚いもてなしを受ける事となった。こうして蒼天への帰国船は、予定通り黄陽の港を出発した。
船は順調に航海を続け、早春の海を渡って行く。
小さな島々が点在する場所を過ぎ、蒼天と黄陽を結ぶ航路の難所に差し掛かった時、雨が降り出した。夜になると雨はより激しくなり、風が強く波も高くなった。海は嵐のように荒れ船は大きく揺れた。進んでは戻されを繰り返し、ついにどうにも進む事が出来なくなった船は、大海原に浮かぶ小さな葉のようにただ浮かんでいる事で精一杯の有様。この嵐のような風雨が過ぎ去ることを皆が祈った。
やがて夜空が白み始めた頃、少し雨風が和らぎ天民もようやく眠気に包まれ、うとうとと居眠りをした。すると夢の中に如来が現れた。
如来は、ゆっくりと天民に話しかけた。
「天民よ。これから話すことをよく聞いて欲しい。この嵐の中を行く船は、潮に流され朱池の港には着かぬ。船は白鹿国の紅號という小さな村の浜辺に着く。その浜辺に着いたら船を下り、紅號村へ行き民を助けて欲しいのだ。
その村では、風砂という流行り病が起き民が苦しんでいる。そなたが村へ行き、病に効く薬を民に教え共に作り助けてやって欲しい。
その効薬とは、放香草を干して粉にした物に、七日以上蘇沈の葉を浸け込んだ薬酒を混ぜ、そこに血海石の粉と龍蜜を加え、小豆大の丸薬にした物だ。その配合は、放香草が三、血海石が一。薬酒と龍蜜は一ずつ。丸薬にせずそのまま飲む時は、匙に一杯を湯で薄めて飲んでもよい。この処方を村の民に伝えて欲しい。天民、どうか頼む。」
如来の姿が消え、天民は目が覚めた。そのとき手には、何やら石のような物を握っていた。
「これは、えらい事だ。書き留めなければ。」
天民は、慌てて如来の処方を書き留めた。
全てを書き留め終えると、
「あぁ。桜が天女様の夢を見た時も、この様であったかもしれぬなぁ。にわかに信じ難い夢だが、桜は天女様を信じて意を汲み民の助けとなったのだ。よし、私もそう在ろう。」
と呟きながら天民は、誠に船が朱池に着かず白鹿の浜辺に着いたのなら、必ず船を下り紅號村へ行こうと心に決めた。
やがて日が昇り、海は穏やかな姿に戻った。
しかし、船は動かなくなった。潮に流され朱池への航路から大きく外れ、白鹿の浜辺に着いてしまった。海はちょうど潮が引き、船は動けずにいる。仕方なく船は、そのまま潮が満ちるまで待つ事となった。
「やはり、潮流は来たか・・・」
天民は荷物をまとめて文を書き、船を下りる準備を始めた。
天民が船を下りようと主に申し立てると、蒼天王府の通り符を持つ賓客をこのような所で下ろす訳にはいかぬと、湖蘭は止めた。困った天民は文を渡し、朱池に着いたら王府に届けてくれるよう頼み、決して商家に迷惑は掛からぬように記してあると説得した。
そして、湖蘭の制止を振り切るようにして一人船を下り、浜辺を歩き紅號村へ向かって行った。
やがて潮が満ち、船は沖へ出て航路に戻り朱池の港へ入った。天民の文は急いで玄京の都の王府へ届けられ、泰極王の手に渡った。
泰極王らは、いよいよ来るべき時が来てしまったと覚悟し、出来上がった天紅砂丸を西方へ送る準備を進めた。先ずは
紅號村に着いた天民は、そこに広がる光景に胸を痛めた。風砂に苦しむ人々が、あちらこちらに居た。あまりの衝撃に天民は、村の中を呆然と歩く事しか出来ず、ただただ進むと刀剣の作業場に着いた。
「あんた。何しに来た? なぜこんな時に、この村に来た?」
不意に声をかけられ、天民は正気を取り戻した。
「実は・・・ 私は、夢の中で如来様から、この風砂の効薬の処方を教えられたのです。その処方を村の民に教えて欲しいと云われ、蒼天へ向かう船を下りここへ来たのです、私に、薬を作らせてください。」
天民は、目の前の男に言った。
「あんた坊主か? 夢で見ただと? そんな薬が本当に効くのか?」
男は、天民を疑いの目で見ている。
「とにかく、この状況では一刻を争います。先ずは薬を作らせてください。私を信じてください。」
天民は必至で訴えた。男は仕方なく天民を受け入れ、刀剣場の小屋の一つに案内した。
天民はそこで、書き留めた処方の紙を見せ、
「私は黄陽国から参った僧で、天民と申します。蒼天国へ向かう船の中で嵐に遭い、その船の中で如来様の夢を見ました。その夢の中で如来様は、風砂に効く薬の作り方を教えてくださったのです。私は慌てて、その処方を書き留めました。必要な薬材はこれです。すぐに揃いますか?」
男に聞いた。
「干した
男は、薬材を書き留めるなり小屋を飛び出したかと思うと、すぐに薬材を揃え仲間と共に戻って来た。天民は薬材を受け取ると、配合の紙を皆に見せ手分けしてすぐに薬を作り始めた。
その頃、蒼天国の西門でも白鹿国から来た者の中に、風砂を発症する者が現れ始めた。警備に当たっていた軍部の者は、すぐに王府からの命に従い天紅砂丸を発症者に飲ませた。西門で発症した者たちは、天紅砂丸の服用が早かったので幸いにも大事に至らず完治して、蒼天国へ入国出来た。
この報告を受けた泰極王は、天紅砂丸の一部を軍部に残し、すぐに紅號村へ薬を届けるよう命じた。まだ王府に有った天紅砂の液湯も急いで西門の軍部を通して紅號村へ送らせた。
蒼天から送られて来た天紅砂には、蒼天王府と空心の証文が添えられて天民らの元に届き、紅號村の大きな助けとなった。
天民らの作った薬も、出来た物からすぐに村の民に分けられた。二つの薬が、同じ名前で全く同じ匂いがする事に天民は驚いた。
「なぜ、空心様がこの処方を知っているのだろうか? あちらにも如来様が現れたのだろうか? しかもこれ程早く、この様に多量の効薬をお持ちなのは・・・」
天民は戸惑いと謎に気を取られたが、今は目の前にもたらされた効薬を有り難く頂戴し、民を助ける事に全力を尽くすことにした。
村の少年が、天民たちの小屋に入って来た。
「あの・・・ 俺にも手伝わせてくれないか?」
戸口の少年は言った。
天民は、にっこり笑って手招きし少年に作業を教えてやると、少年は喜んで共に薬を作った。
夜になって今日の作業が終わると、少年は天民の側にやって来て、
「あの・・・ お坊さん。手伝わせてくれて、ありがとう。俺、この村で生まれて育ったから刀剣を作る事しか知らないんだ。だけど、刀剣を作るのは好きじゃなくて・・・ それに上手くないし。だから今日は、一緒に薬を作って楽しかった。明日も来ていいかな?」
少年は、本当に嬉しそうだ。
「そうか。そうか。それは善かった。今日は、手伝ってくれて、ありがとう。名は何と申すのか?」
「俺の名は、剣だよ。」
「そうか、剣か。剣よ、もうお帰り。また明日。ありがとうな。」
天民も笑顔で感謝した。
それから少年は、毎日小屋にやって来て天民らと薬を作った。そして夜になると、天民から仏様のいろんな話を聞いて帰った。ある晩、天民は少年に聞いた。
「剣の家族は、心配していないかい? 毎日遅くまでここで薬を作っていて大丈夫かい?」
「天民様。俺、もう一人なんだ。父ちゃんと母ちゃんはいないし、姉ちゃんも風砂で死んじゃった。だから、誰も心配しないんだ。」
「そうだったのか・・・ それは大変だったね。では、この村で刀職人になるのだね。」
「うん・・・ でも、刀剣は作りたくないんだ。あまり好きじゃない。だって刀は人を傷つけるだろう? 殺してしまうだろう? 父ちゃんも母ちゃんも戦で死んだんだ。剣で刺された。俺、それよりももっと仏様の話を聞きたい。もっと天民様の話を聞きたいよ。」
少年は、天民をまっすぐに見つめている。
「剣・・・ それは切なかったね。一人でよく耐えて生きて来た。えらいぞ。だがな、剣。刀剣も人に役立つ道具である事は間違いない。それに仏様の教えだって、間違って使えば人を傷つける道具になる。どちらも使う人の心持ち次第なのだよ。それだけは覚えておくとよい。」
天民は、諭すように言った。
「うん。分かったよ。天民様。俺、覚えておく。」
剣は、微笑んで家へ戻って行った。
来る日も来る日も効薬を作り続け、村の民と天民も親しくなった。天民たちが作った薬と蒼天王府からの効薬により、紅號村の風砂は日毎に終息の気配を見せていった。
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