第20話 澪珠の危機

武尊は、慌てて男の後を追いかける。


「澪珠! おい、待て!」


だが、男の足は速い。武尊も必死で追いかけるが、男を見失ってしまった。


「兄ちゃん。諦めな。無駄だ。」

軒先で饅頭を売る男が声をかけてきた。

「でも、大事な友をさらわれたんだ。あいつが居なきゃ俺は・・・」

「兄ちゃんが、あんな子猿を連れて歩いているからさ。近頃この都じゃぁ、金持ちが珍しい動物を飼うのが流行っているらしくてね。高く売れるらしいぜ。」

「本当か? その店はどこだ?」

「この通りをまっすぐ行って、大きな茶楼の角を左に曲がった先にある店だ。行けば分かるよ。リスやら猿やらがいるから。」

「ありがとう。あっ、お礼に饅頭を一つ買うよ。」

「いいよ、いいよ。早く行きな。でないともう、買い手がついちまってるかもしれないぜ。」

「ありがとう。じゃぁ。」

武尊は走って教えられた道を急ぐ。


 すると、左手に大きな茶楼が見えた。立派な扉のいかにも高そうな茶楼だ。その角を左に曲がると、今度は小さな店が並んでいる。その路地を進むと、幾つものカゴに入れられたリスや猿、猫や犬が並ぶ店があった。


「ここだな。」


武尊は店の中へ入り澪珠を探した。そして、店の奥の棚にあるカゴの中に澪珠を見つけた。


「澪珠! この猿を返してくれ。俺の猿だ。さっき、男が連れ去って行ったんだ!」

武尊は、カゴを指差して店の男に大声で言った。


「おいおい、兄ちゃん。言いがかりはよしてくれ。この猿が、兄ちゃんの猿だって証拠でもあるのかい?」

店の男は大声を出し、いやらしく笑っている。


「武尊! 助けて! 僕だよ。澪珠だよ。」


澪珠は、カゴの中から必死に助けを求めている。


「見ろ! 澪珠が助けを求めているじゃないか。早く返してくれ!」

「おいおい。兄ちゃんは、猿の言葉が分かるのかい? 猿はただ、キーキー騒いでいるだけじゃないか。兄ちゃんが大声を出すから、対抗して騒いでいるだけさ。」

「違う。助けて! そう言ってるじゃないか。分からないのか?」

「はははっ。兄ちゃんは、猿の言葉が分かるつもりか? そりゃすごい。さぁ、出て行ってくれ。商売の邪魔だ。さぁ、早く。」


店の男は、武尊を外に放り出すと、そこへ現れた金持ちそうな男の方へ寄って行った。



 金持ちの男は店内を見渡すと、武尊を呼ぶ澪珠を見て自分に向かって話しかけていると勘違いし、この猿をくれと言った。店の男はすぐさまカゴを棚から下ろし、澪珠を高値で売った。金持ちの男はカゴを受け取ると、澪珠を手に馬車に乗り込もうとしている。武尊は、慌てて金持ちの男にすがった。


「待ってくれ。その猿は俺の友なんだ。俺の大事な友なんだ。返してくれ。頼む。あいつが、店の男が俺から奪っていったんだ。」

と必死で頼んだ。


 だが金持ちの男は、

「何を言っているんだ。私はたった今、この店からこの猿を買ったのだ。この猿は店にいた猿で、今はもう私の猿だ。お前にどうこう言われる筋合いはない。」

と武尊を突き飛ばした。


 それを見た澪珠が半狂乱で激しく暴れたので、カゴが男の手から落ち地面に当たって壊れてしまった。自由になった澪珠は、壊れたカゴから飛び出し武尊に駆け寄った。

 慌てた金持ちの男の侍従が澪珠を捕まえると、澪珠は侍従の男の手を思いっきり噛んだ。あまりの痛みに驚いた侍従の男が、力強く手を振ったその拍子に、澪珠は強く地面に叩きつけられ動かなくなってしまった。武尊は飛び起きて、地面に横たわる澪珠に駆け寄る。


「おい、澪珠。澪珠! 大丈夫か? しっかりしろ!」


必死に呼びかける武尊の声に、薄っすらと目を開けた澪珠は微笑んだ。


 金持ちの男は、騒ぎを聞きつけて集まって来た人を避けるように

「もうよい。こんなケチの付いた縁起の悪い猿など要らん。」

と馬車で去って行った。



 武尊は、澪珠をそっと抱きかかえ、とぼとぼと歩き始めた。歩きながらずっと凛珠に謝り続けている。


ふと気づくと、この水鏡で最初に見た桜並木まで戻っていた。


「武尊・・・ 武尊。ごめんね。僕の不注意でこんな事になって。どうやら僕は、武尊を一人にしてしまいそうだ。」

「澪珠、何を言っているんだ。おい、やめてくれよ。澪珠、しっかりしろ。大丈夫だ。きっと大丈夫。すぐに元気になるさ。」

「武尊・・・ そうもいかないみたい。とても痛いんだ。とても苦しいんだよ。」

「だったら、話さなくていい。何も言わなくて。静かにしていよう。なっ、そうしよう。」

「いいや、武尊。きっとお別れだ。今、話しておかなくちゃ。まだ、あと二鏡残っているのに、ごめん。一人でも必ず、最後までやり遂げてね。きっとだよ。そして、生きて白鹿へ戻るんだ。いいね、武尊。二人で旅ができて楽しかったよ。ありがとう。大好きだよ。武尊。」


そう言うと澪珠の目が閉じかけた。


「嫌だ! 嫌だ! 澪珠、生きてくれ。俺と最後まで旅をしてくれ、頼む。傍に居てくれ。澪珠!」

武尊は泣きながら叫んだ。


 だが、澪珠の目は閉じてしまった。


「武尊。さぁ、早く鏡を出して。愛別離苦の鏡を。僕はもう、行かなきゃならない。もう、体を離れてしまった。早く、この別れの姿を。僕の最期の姿を鏡に・・・」

澪珠の声がした。


「嫌だよ。澪珠・・・ 君ともう会えないなんて、嫌だよ。」

武尊は泣きながら、目を閉じ動かなくなった澪珠に言った。


「さぁ、早く。武尊。僕はもう、痛くも苦しくもないよ。安心して。早く鏡を出して。これが、僕と武尊の旅の最後の思い出だよ。」


武尊は、腕の中の澪珠を膝に乗せ鏡を取り出した。そして、丸くなって動かなくなった澪珠に鏡を向けた。


 鏡からは光が放たれ、澪珠の姿が写し出された。地面に叩きつけられた姿も、店の棚に並んだカゴの中の姿も、走り去る男に掴まれている姿も。そして、婚礼衣装を着た娘と父親の姿も。桜の木の下で話す青年と娘の姿も写し出された。


「そうか・・・ 皆、別れたくないのに離れ離れにならないといけないのか。そうか・・・ こんな痛みは、もう嫌だ。二度と出逢いたくない痛みだ。」

光に写し出される一連の姿を見て、武尊が言った。



 全てを写し取ると光は鏡に吸い込まれ、鏡は小さな蓮紅色の石になり剣の刃に納まった。そして、澪珠の体は月光のように青白く金色を含んだ光に包まれ、小さな砂流が起こると消えてしまった。武尊の膝の上には、澪珠がいつも首から下げていた小さな紅い巾着だけが残った。


「澪珠・・・ 砂漠の王の元へ戻って行ったんだね。ごめんな。最後の思い出がこんな姿で。十三鏡すべてを写し取り、君と祝いたかったよ。

 それでね、出来ることなら君を白鹿へ連れて帰りたかったんだ。もっとたくさん、この先も君と一緒に居たかったから・・・ 澪珠、ごめんな。最後に君を、ひどい目に遇わせてしまった。俺を許してくれ。」


武尊は、残された澪珠の巾着を胸に抱きながら言った。そして、小さな紅い巾着を大事に懐にしまった。胸はまだ、ひどく痛かった。



 剣の刃には、十二の鏡石が納まった。残りはあと一つ。最後に残った鏡には ‘夢’ と彫られている。武尊がその鏡を見つめていると

「武尊よ、よく頑張った。十二鏡に十二の姿を納め終わったな。さぁ、水鏡を出る時が来た。水鏡での試練は、これで終わりじゃ。」

と声がした。


「はっ。その声は、砂漠の王ですね。澪珠は・・・ 澪珠は、どうなりましたか?」

「心配ない。今は私の元に戻り休んでおる。案ずるな。」

「善かった。澪珠はもう、痛くも苦しくもないのですよね。安らいでいるのですよね。」

「あぁ、心配ない。二人とも、よく頑張った。武尊よ、最後の一つは蒼天国にある。水鏡を出たら、蒼天へ向かえ。」


「俺はもともと、蒼天へ行く途中だった。蒼天の治水の知恵と技術を学ぶために。だけど、砂流に飲まれた俺は、もう来ないと思っているだろう。蒼天王は、砂流に飲まれた事すら知らぬかもしれない。それに、最後の一鏡の為に、蒼天のどこへ向かえばよいのか・・・」


「案ずるな。武尊。お前と共に砂流に飲まれた部下の一人を蒼天へ送り、王府には知らせが届いておる。お前が砂流に飲まれた事は、蒼天王府は既に知っている。これからお前は、蒼天の泰極王に会い、共に龍峰山へ行くのだ。さすれば、最後の一鏡も写し取ることが出来る。それでこの十三の姿の試練は、誠に終わりじゃ。さぁ、行くがよい。」


砂漠の王の声が止むと、武尊の目の前に水鏡の出口が浮かび上がった。ゆっくりと立ち上がった武尊は、その出口に飛び込んだ。



 すると、目の前に陽沈砂漠が広がっていた。


「出られた。水鏡を出られた。澪珠、始まりの砂漠に戻って来たよ。」


武尊は、胸の巾着を握りながら言った。

 そして、蒼天を目指し歩き出した。兄の魂が宿る十二境石を刃に納めた剣と水鏡の水車の水の水筒、澪珠が残した小さな紅い巾着を持って。


「俺はまだ、一人じゃない。」


武尊は力強く、一歩ずつ、蒼天へ向かって行く。

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