第18話 砂漠の王と交わした約束
雅里の問いかけに声が答えた。
「私は砂漠の王だ。その砂漠のバラは旅人たちの守りとなるが、此度の澪珠には無駄だ。澪珠は今、私の手の中にある。」
その言葉に泰極王が
「どういう事ですか? 教えてください。砂漠の王よ。」
と部屋を見渡し、姿なき声に向かって言った。
「泰極王よ、心配させて申し訳ない。娘子をもう少しだけお貸し願いたい。澪珠は今、我が陽沈砂漠にある水鏡に入っているのだ。そこで、この世の十三の姿を写し取る試練を受けている者の手助けをしている。」
「どうして・・・ どうして澪珠が、そのような所へ・・・?」
「七杏妃よ、泣かないでおくれ。心配はご最も。だが必ず、元気な姿で澪珠をお返しする。
水鏡の中はもう一つの世、この世とは違う幻鏡じゃ。そこで起きた事は、深く記憶に残るが忘れるのも早い。本人が意図して記憶を保ち続けない限り、大方は流される。傷もすぐ消える。安心して欲しい。」
「砂漠の王。教えてください。これは、夢鏡の症状と同じなのでしょうか? もしそうであるなら、私はどのように処方すればよいのでしょう?」
「雅里。この世の理に添えば、夢鏡と言ってよいだろう。目覚めた本人がもし、夢鏡の話を始めたら、全てを受け止め聞いてやる事じゃ。
そして、温かい茶を十分に飲ませてやる事。心が落ち着く茶をな。滋養のある茶や食事を摂らせる事もよい。目覚めても眠気が強い時には、十分に昼寝もさせてやる事じゃよ。」
砂漠の王は、優しく丁寧に教えてくれた。
「分かりました。ありがとうございます。砂漠の王。」
雅里は、砂漠の王の処方をしっかりと書き留めた。
「雅里。後はよろしく頼む。」
砂漠の王は去る気配を漂わせた。
「待ってください。砂漠の王。澪珠の水鏡での試練は、後どのくらい続くのですか?」
「泰極王。もう少しだけ辛抱してくれ。既に十鏡を写し取り終えた。あと三鏡だ。東風節が過ぎ雨水の頃を迎える前には、終えているだろう。」
「分かりました。砂漠の王よ。我々は見守るしか術はないのですね。」
「あぁ、すまない。だが、これも澪珠の天命なのだ。
それから実は、泰極王に一つ頼みたい事がある。東風節を過ぎてしばらくすると、白鹿の若者が、そなたを訪ねて来る。その時は、必ず会って話を聞いてやって欲しい。そして、その者と共に龍峰山へ上ってはくれまいか。」
「分かりました。砂漠の王。白鹿国の者が訪ねて来たら、そのように致しましょう。して、その若者の名や特徴は?」
「うむ。名は武尊と申す。十二の色石を刃に持つ剣を携えた者だ。できれば、白鹿との境、蒼天の西門まで迎えを出してやって欲しい。」
「武尊という名の、十二の色石の刃の剣を持つ若者ですね。分かりました。そのように致しましょう。」
泰極王がそう約束すると、もう砂漠の王の声は聞こえなかった。
泰極王は、それからしばらく黙っていたが
「雅里殿、この事はどうか内密に。それから、澪珠に善い心安らぐ茶と滋養のある食の処方を頼む。」
と雅里に言った。
「はい。かしこまりました。泰極王。どうかご安心を。澪珠様は、お身体に異常はなく元気に戻って来られるのですから。」
「そうね。そうよ。泰様。砂漠の王は、元気なまま澪珠を返すとお約束してくださいましたわ。それにこれは、澪珠の天命だとも。思えば私にだって、幼い頃より不思議な事はたくさんありました。それは泰様もご存じのはず。ですが今こうして、元気に暮らしているわ。きっと澪珠も大丈夫。ね。泰様。」
「七杏、ありがとう。そうだね。我々にだって、不思議な事や試練は幾つもあった。君が黄陽国へ行かなければならなかった事もそうだ。これは我が家の血筋かな?」
「えぇ、そのようなものです。きっと。澪珠と砂漠の王を信じましょう。」
七杏妃は、泰極王の手を取って言った。
「そうです。七杏様の仰る通りです。泰極王、どうかお気を大きく。」
「はははっ。雅里殿。そなたたち母は強いな。さすがだ。」
「まぁ、泰様。そうですよ。母は強いのです。」
三人は静かに笑い合った。
そして澪珠を見ると、穏やかに眠っていた。雅里が澪珠の手の甲に薬を塗り終えると、三人は部屋を出た。澪珠の枕元には、砂漠の旅のお守りとして砂漠のバラが置かれていた。
翌朝、目が覚めた澪珠は砂漠のバラに興味を示し、そっと握り七杏妃に聞いた。
「母上、朝起きたら枕元にこれがあったの。これは何か知ってる?」
「あぁ、それはね。砂漠のバラと言って、砂漠を旅する人のお守りなんですって。昨日の夜、雅里様から頂いたのよ。澪珠にあげるわ。」
「本当に? 私にくれるの?」
「えぇ、美しいでしょう。あなたのお守りにしなさい。」
「ありがとう。母上。」
「えぇ。今度、雅里様に会ったら、ちゃんとお礼を言いなさい。」
「はい。母上。雅里様、ありがとうございます。」
「あはっ。違うわ。今度、雅里様に会った時にお顔を見て言うのよ。」
「分かっているわ。でも、今も言いたかったから言っただけ。」
「そう。感心、感心。善い心がけね。大切になさい。」
「はい。母上。」
澪珠は、嬉しそうに砂漠のバラを手に部屋へ戻って行った。
その後もしばらくは、澪珠の夢鏡の症状は続いたが、砂漠の王が言った通り東風節を過ぎた頃には消えてしまった。澪珠は、水鏡での話をする事もなく、体や心に深い跡もないように感じられた。その様子に泰極王と七杏妃は、安堵した。
しかしこの後、二人の安堵が実は、澪珠の成長の上に起こった慈愛の下にあったのだと知る事となる。
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