奇妙な病
第17話 夢鏡という病
新しい年が明け東風節を間近に控えたある日、蒼天王府で家族の宴が開かれた。この小さな宴は、伴修一家を招き穏やかに行われた。広間には料理や酒が並び、大人は語らいを楽しみ子供らは菓子を食べたり広間を走り回ったりしてはしゃいでいた。
「こんなに遅くまでお引き留めして、申し訳ない。」
宴の後の広間で泰極王が、伴修と雅里に向かって言った。
「泰極様、とんでもない。私は、お二人に大きな恩がございます。この恩は、とても返しきれません。今こうして家族三人が玄京の都で暮らせるのも、お二人のお陰にございます。感謝致します。
ですから、私共でお力になれる事があれば何なりとお申し付けください。」
「伴修将軍、感謝致す。雅里殿も申し訳ない。」
「いえ、私の医術でお力になれるのであれば、こんなに嬉しい事はありません。」
雅里が恐縮している。
「もし、よろしければ、今晩は三人で泊まっていってください。娘の様子次第では、どうなるか分からぬ故。」
「感謝致します。澪珠様の病も心配ですし、妻を一人残して行くのも娘が寂しがるので、今晩はお言葉に甘え泊まらせて頂きます。」
伴修は安堵し答えた。
「お気遣いに感謝致します。夫は、誠に善き主に恵まれました。泰極王、これからは何なりと夫にお申し付けください。」
「あぁ、いやいや。雅里殿。今でも十分に伴修は、私と蒼天の力になってくれています。」
泰極王のその言葉を聞き、伴修と雅里は胸が熱くなった。
「雅里様、娘が眠りました。もうぐっすり眠っております。」
娘を寝かしつけていた七杏妃が、雅里を呼びに来た。かねてから泰極王が気にかけていた娘の病を、医者である雅里に診てもらう事にしたのだ。
「はい。では、澪珠様の元へ参りましょう。」
と雅里は立ち上がり、
「では、伴修将軍は、お泊り頂く部屋へ案内しよう。」
と泰極王も立ち上がった。伴修も、すでに眠ってしまっている自分の娘を抱きかかえながら席を立った。
「では七杏、私も後から参る。よろしく頼む。」
「えぇ、泰様。先に行って、雅里様に診て頂きますね。伴修将軍、奥様をお借り致します。」
「はい、七杏様。雅里、よろしく頼む。」
そう言う伴修に雅里は大きく頷き、澪珠の部屋へ向かった。
広間を出て、伴修と歩きながら泰極王は、
「伴修将軍、今晩の事は誠に感謝致す。また改めて礼を。」
「お止め下さい。礼など要りません。龍峰山に参った時、泰極様は仰ってくれました。私を無二の友だと。ならば助け合うのは何の苦もない事。あのお言葉だけで十分です。」
「そうか・・・ 感謝致す。誠に善き友でいよう。これからも末永く。」
「そのお心に、いつまでも添いましょう。」
七杏妃と雅里が澪珠の部屋に着くと、澪珠は大人しく眠っていた。特に可笑しな様子もない。雅里はそっと、澪珠の細い腕に触れた。
「脈を診る限りお身体に変わった様子もなく、毒などの兆候もございません。ただ、呼吸がとても穏やかで深いので、夢鏡に入りやすい体質かもしれません。」
そう雅里が言うと、七杏妃は不思議そうに聞いた。
「夢鏡?」
「えぇ、意識が深くなり、もう一つの世のような場所に入り込んでしまうのです。ですが恐れる事ではなく、その症状の浅いものならば私たちも日頃、陥っています。」
「そうなのですか?」
「えぇ。例えば、お茶を淹れながらぼんやりしてしまって、気付いたらお茶が杯から溢れていたり、はっきりと覚えがなくても、日頃の習いで筆や扇子を決まった場所に置いていたり・・・」
「えぇ、あるわ。そのような事なら私にも。」
「はい、七杏様。それが夢鏡の浅い症状です。その症状が深くなると意識は確かに在り周りの音も聞こえるのですが、完全にもう一つの世に入り込み、そこで起きる事を心体が感じるのです。ですから、身体にあざや傷が残ったりするのです。」
「まぁ、そのような奇怪な事があるの? 朝起きて澪珠が怪我をしているのは、そのような理由なのかしら・・・?」
「おそらくそうかと。ですが・・・ 朝起きた時の汚れや花びらについては分かりません。通常・・・ 私が知る限りでは、夢鏡の症状でそのような症例は聞いた事がなく・・・」
「そう・・・ 雅里様でも分からぬのね。でも、なぜそのような珍しい症状にも詳しいの?」
「それは、白鹿国から陽沈砂漠を通って来る薬商人から聞いたのです。私は父と蒼天の西域に住んでおりました。商人たちが蒼天に入るには、砂漠を抜けたあと西域の門を通り浅石村や
商人は、陽沈砂漠で砂流に遇った者が、夢鏡のような症状を起こしたと話していました。そこで夢鏡について調べたのです。砂漠を通る商人たちは、陽沈砂漠の一部で採れる‘砂漠のバラ’と呼ばれる石をお守りにするそうです。」
「そうなの・・・ そのようなお守りがあるのですね。」
七杏妃と雅里が話していたその時、澪珠が手足を動かし涙を流し始めた。
「どうだ? 澪珠の様子は?」
そこへ泰極王が入って来た。
「しっ! 今、変化が・・・」
七杏妃が泰極王を制した。
泰極王は小声で
「どうなのだ? 泣いているではないか。」
と心配そうに澪珠の顔を覗き込んだ。
「今は息が乱れていますが、お身体は正常です。おそらく今は、夢を見ておられるのではないかと思います。」
雅里が言った。
すると澪珠は、更に手足を動かし何かを払うような仕草をした。見るとその手の甲には、血が滲んだ一筋の傷が出来ていた。
「あっ! なぜ手に傷が?」
七杏妃が驚いて雅里の顔を見る。
「七杏様。やはりこれは、夢鏡の症状かと思います。」
雅里は、そう告げた。
「何だ? その夢鏡とは。何か手立てはないのか? 雅里殿。」
雅里は、険しい顔つきで二人に向かって
「誠に効き目があるかどうか分かりませんが、陽沈砂漠で魔除けとしてお守りにされている‘砂漠のバラ’を使ってみましょう。」
「雅里様、そのような珍しい物が手に入るかしら?」
「七杏様。砂漠のバラは、それほど珍しい物でもございません。実は以前、薬商人から分けて頂いた物が私の手元にもございます。こちらです。ご覧ください。」
雅里は、自分の医箱から小さく丸い砂の塊のような物を一つ取り出した。
「おぉ、美しい。これが砂漠のバラか。誠に花びらのようだ。」
「えぇ、泰極王。これがそうでございます。」
「誠に。砂のようでもあり、バラのようでもある不思議な物だわ。」
と、七杏妃も驚きつつ触れてみると、ザラザラとした固い砂のようであった。雅里は、その砂漠のバラを澪珠の額の上に置いた。
「雅里よ。残念だが砂漠のバラは効かぬ。此度の澪珠には効かぬのだ。」
低く乾いた声がした。
「えっ? 誰です? 何を知っているのです?」
雅里は見えないその声に向かって問いかけた。
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