第15話 風砂の丸薬

 家の奥の大きな木箱の中に、乾いた放香草ファンシャンツァオ蘇沈スツェンの薬酒、龍蜜ロンミィ血海石シュエハイシが入っていた。


「材料はこれだけだ。」

兄貴が箱を見せて言った。


「えっ? これだけ? この四つだけ?」


武尊が驚いて聞くと、兄貴は大きく頷いた。どれも白鹿では特に珍しい物ではない。手に入れようと思えば、金樹の都でも買える物だった。


「驚いたか? 俺たちも最初に聞いた時は疑ったさ。放香草はその辺に生えているし、蘇沈は家でも育てられる薬草だ。血海石だけは、この村ならすぐに用意できる物だが都でも買えない事はない。龍蜜は料理にも使う蜜だ。」

「あぁ、その通りだ。これなら都でも用意できる。有り難い。」

武尊の顔に明るさが戻った。


「だろう。いいか? まず、この乾いた放香草を粉にする。そして、血海石の粉を一、放香草の粉を三、蘇沈の薬酒を一、これをよく混ぜる。最後に龍蜜を加えて小豆粒の大きさに丸めて出来上がりだ。すぐに飲むのであれば丸薬にせず、龍蜜を一加えてから湯で薄めて飲むか、薄めずに小さじ一杯の量を飲む。丸薬は、大人は三粒。小人は一粒だ。」

「なんだ簡単じゃないか。俺でも分かったよ。有り難いなぁ。」


「そう。作るのは簡単なんだ。だがな、大事なのは備えておく事だ。この村で流行った時は、ちょうど放香草も蘇沈も生えている時季だった。だからすぐに薬が作れた。

 だがもし、今の金樹の都のようにもう生えていない時季だったらどうする? あっという間に売り物の薬草はなくなっちまうぞ。薬酒だって、蘇沈の葉を少なくとも七日はつけておかなきゃならない。だから、備えておくことが大事なんだ。」


「うん。兄貴の言う通りだ。ありがとう。金樹の都に帰れたら、すぐに準備するよ。この丸薬を作っておく。」

「あぁ、そうするといい。でも、いつ都に戻れるか分からないんだろう?」

「うん。もうどのくらい都を離れているのかも分からないよ・・・ 水鏡の中は、季節もめちゃくちゃなんだ。最初は冬で、その次は真夏だった。美味しい桃を食べたんだよ。あんなに美味しい桃は、初めてだった。でも、あの桃畑のお婆さんは捕まってしまったから、もうあの桃は食べられないかもしれない。」


武尊がそう言うと、


「もしかしてその桃は、明芯園ミンシンユエンの桃の事か? この辺りじゃ、美味い桃と云えばあの桃だ。そういえば去年の夏に、お婆さんから市場の旦那が畑を買い取って、明芯園にしたんだったな。」

兄貴は思い出しながら言った。


「本当? それは本当の話?」


「あぁ、間違いねぇよ。そのはずだ。だって今年も俺たちは、あの桃を食べたんだ。その時に、市場で聞いたんだから間違いねぇ。」

「じゃぁ、お婆さんはどうなったのだ?」

「いや・・・ そこまでは分からねぇ。すまない。」

「いいんだ。ずっと気になっていたから、もしかしたら知ってるかもと思って聞いてみただけさ。でも、あの桃畑が続いているなら善かったよ。」


武尊は、澪珠と顔を見合わせて微笑んだ。


「そうだ。武尊、ついて来い。見せたい物がある。」


兄貴は、武尊を村の奥へ誘った。

 兄貴に付いて行くと、今まで聞こえていたものとは違う音が聞こえてきた。カチン。カチン。と何かがぶつかる音が鳴り続けている。どうやら向かい合う二軒の家の中から聞こえてくるようだ。


 その音が近づくと突然音が止み、家の中から男が出て来て言い争いを始めた。向かい合う家から出てきた男たちは、二人とも手に剣とはさみを持っている。だが、兄貴は何食わぬ顔で素通りして奥へ進んだ。


 その様子が気になった武尊は、

「なぁ、兄貴。止めなくてよかったのか? さっきの二人、剣とはさみを持って言い争っていたぞ。」

と、兄貴の顔を覗き込んだ。


「あぁ、いつもの事だ。毎度毎度、新しい剣やはさみが打ちあがると、ああしてどちらの品が上等かを言い争っているんだ。」

「そうなのか? でも、何だか物騒だよ。」

「はははっ。そうだな。だけどここは刀剣を打つ村だ。剣や刃物は山ほどある。もう皆、見慣れてしまったのさ。そんな事より、これを見てくれ。」


 兄貴が指差す先に、小高く盛られた土の山があった。その横には、まだ若い木が植えられている。


「これは?」

武尊が聞くと

「風砂で亡くなっちまった村の人達の塚だ。と言っても埋まっているのは骨だけ。流行り病だから皆、一度焼かれちまったからな。」

「そうか・・・ この木は、その時に植えたのか?」


「あぁ、そうだ。元は別の場所にあったんだが、桃は魔除けにもなるだろう。春には花が咲くし夏には実がなる。秋になりゃ葉が色付き、冬には枝が白く飾られる。ここにじっと居たって村の四季が分かるだろう・・・」

兄貴はそう言って涙ぐんだ。


「そうだね。早く大きくなるといいね。」


「あぁ。都では、風砂でこうなっちまう人が少しでも減ることを祈るよ。だから、あの薬を役立ててくれ。あっ、そういえば不思議な事が一つあったんだ。あの薬と同じ物が、蒼天からも届いたんだ。蒼天の王府からたくさんの薬が。それで随分と助かった。」

「そんな事もあったのか。蒼天には、その薬を知っている人がいたんだね。俺、兄貴の教えを無駄にはしないさ。必ず俺が、薬を役立てる。」


膝を付いて涙を堪える兄貴の肩に、武尊はそっと手を置いた。澪珠も懐から出て来て兄貴の胸にしがみついた。


「あはは。猿にまで慰められちまったよ。」

兄貴は笑いながら泣いていた。


「武尊。この塚が病の一つの姿だ。これも大事な姿だ。薬を作る姿も、手を尽くしても尽くしきれぬ姿も。みんな病の一つの姿だ。さぁ、写し取れ。」


剣から兄上の声がした。


 武尊は病の鏡を取り出し塚に向けた。放たれた光の中に、兄の言葉通り症状に苦しむ患者だけでなく様々な病の姿が浮かび上がった。その全てを写し取ると、光は鏡に戻り小さくなって若草色の石になり剣の刃に納まった。

 兄貴は驚きながらも、その一部始終を黙って見ていた。


「なるほど。お前はこうして、この世のいろんな姿を写し取って来たんだな。その剣の刃にある石の分だけ、この世の姿を見て来たんだな。」


「うん。今まで知らなかった姿ばかりだよ。この世にこんなにたくさん苦しい事や辛い事があったなんて思いもしなかった。胸が痛む事が多いなんてさ。」

「そうか。そう想ったのか。ならばお前は、今まで幸せに恵まれて生きて来たんだな。だが、そうではない民はたくさんいる。その民は、束の間の幸せや天の恵みの嬉しさや喜びを、お前よりよく知っているかもしれないぞ。」


兄貴の言葉に、武尊はハッとした。


「うん。そうかもしれない。兄貴の言う通りかも。俺は、この水鏡の試練を受けるまで、自分が幸せで裕福だった事にも気づかなかったんだ。だけど、この旅で胸がいたくなる事を知って、笑い合える事や美味しいって感じる事が、どれほど安心できて嬉しい事かを知ったよ。」

「そうか。それは善かったな。さぁ、戻ろうか。」


兄貴は立ち上がると、武尊の肩を抱き歩き始めた。

澪珠はまた、武尊の懐に潜り込んだ。

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