第11話 不穏な男

 やがて空だった二つのカゴは、桃で一杯になった。持ち上げると、ずしりと重い。


「お婆さん、一杯になったよ。さぁ、帰ろう。」

「あぁ、あぁ。早いね。さすがに若い人は早いわね。ありがとう。武尊。澪珠。お陰でたくさん採れたし、市場の人が来るまでに間に合いそうだわ。あそこに有る荷車に乗せとくれ。」

お婆さんが指差す先に古い荷車があった。


「分かった。さぁ、帰ろう。」


武尊は、桃で一杯になった三つのカゴを荷車に乗せると引きながら歩いた。澪珠はちゃっかり荷車に乗っている。歩きながら武尊は、お婆さんに聞いた。


「あんなに広い畑を、お婆さんが一人で世話しているの?」

「あぁ、今はね。前は娘がいてね、一緒に桃畑の世話をしてくれていたのよ。だけど、三年前に亡くなってしまってね。だから今は一人で世話をしているのよ。」

「そうなのか・・・ それは大変だね。でも、気を付けてね。この暑さだし、また畑で倒れたりしたら大変だから。」


「そうだね。気を付けるよ。今日は本当に、ありがとうね。家に着いたら、桃を食べておくれ。昨日のうちに採った桃もあるんだよ。家は桃しかないけど、美味しい桃が売る程あるのだから。たくさん食べて行ってね。」


笑いながらお婆さんが言うと、荷車の上で澪珠が小躍りしている。


「こら、澪珠。暴れるな。桃に傷が付いたらどうする。乗っているなら大人しく座って居ろ。」

武尊に叱られて澪珠は大人しく座った。



 「さぁ、着いたよ。ここが私の家だよ。ありがとうね。本当に助かったわ。」

すると、向こうから荷車を引いた男が、こちらにやって来るのが見えた。

「あれは市場の人?」

武尊が聞くと、お婆さんは頷いた。


「あぁ、よかった。間に合ったね。昨日の分も持って行ってもらうの?」

「あぁ。奥にあるんだ。三つのうち二つだけね。」


お婆さんは家の奥へ行き、カゴを二つ持って出てきた。すかさず武尊が手を貸すと、お婆さんはとても嬉しそうだった。



「今、畑から戻ったのかい?」

荷車の男が家の前で止まった。


「あぁ、そうなんだよ。たった今、採って来たばかりさ。今日はまた暑いね。ありがとうよ、取りに来てくれて。今日は五つ、お願いするよ。」

「なに、歳を取ってしまえば誰だって助けが必要さ。どうせいつか自分も行く道だ。それに、お婆さんの桃は美味しいからね。うちの店でも評判だよ。都の干した芋や果実を売る店の人も、仕入れに来るほどだからね。どうだい? 桃は干してみたかい?」


男は桃を荷車に積み、五カゴ分の代金を袋から取り出しながら聞いた。お婆さんは代金を受け取ると、


「あぁ、やってみたよ。今、裏に干してあるよ。見るかい?」


と、家の裏手を指差した。

 男は頷いて家の裏手へ行ったので、武尊たちも付いて行くと、そこには薄く切られた桃がたくさん干してあった。男はそれを確認すると


「上手くできるといいね。ああして干しておけば、熟し過ぎちまった実も無駄にしなくて済むさ。」

と笑った。


「そうだね。この暑さだ。あの場所ならよく日が当たり風が通る。上手に乾くだろうよ。」

「あぁ、違いない。それじゃぁ、俺は行くよ。」


男が荷車に手を掛けると


「ちょっと待っとくれ。今朝、桃を切った時の汁にお茶を入れておいたんだ。甘くて美味しいよ。さぁ、飲んでから行っておくれ。」

「それは助かる。市場までは、しばらくかかるからな。これからが一番暑い時間だ。飲ませてもらうよ。」

男は大きな茶碗を受け取ると、一気に飲み干した。


「あぁ、これは美味い。美味いよ、婆さん。ありがとう。これで元気に市場まで戻れるよ。」


男の嬉しそうな顔を見て、お婆さんも嬉しそうに笑って、


「気を付けて帰ってよ。ありがとうね。」

と手を振って見送った。


 そして男が見えなくなると、

「さぁ、さぁ。中へ入って。暑かったろう。本当にありがとうね。」

お婆さんは、武尊と澪珠を家の中へ招いた。家の中は日差しが遮られ少し涼しかった。


「さぁ、食べておくれ。私の自慢の桃だよ。」

と桃をカゴごと持って来て二人の前に置き、お茶も淹れてくれた。


「うわぁ。美味い。こんなに美味しい桃は初めてだ。」


武尊は夢中になって食べた。澪珠も両手でしっかり桃を抱えて食べている。

 澪珠は大きな桃を一つ、武尊は二つ食べた。澪珠は食べ終わってもまだ種を口の中に残し、嬉しそうに舐めている。


「おや、もういいのかい? まだ有るからね。持って行くといいよ。途中でお食べ。」

お婆さんは、二つずつ桃をくれた。


「ありがとう。お婆さん。とても美味しい桃だったよ。」


武尊がお礼を言っていると、大きな男がやって来た。


「よう、婆さん。達者かね? 桃は売れたのかい?」


その態度に随分と横柄な男だと思った武尊は、

「お婆さん、知り合い?」

と心配そうに聞いた。


 すると男が

「なぁに、ちょっとした知り合いでね。婆さんに、医者と按摩代をもらいに来たのさ。どうにもまだ、肩と腰が痛くてねぇ。」

と、ニヤリとしながら言った。


 その笑った顔に、武尊は胸騒ぎを覚えた。


「あぁ、大丈夫。ちょっとした知り合いでね。さっ、あんた達は早く行きなさい。」

お婆さんは、武尊たちを家の外へ連れ出した。

 

 外へ出ると澪珠が、

「なぁ、武尊。なんだか心配だよ。随分とガラの悪そうな男じゃないか。お婆さん、大丈夫かな? どんな知り合いなのかな?」

と武尊の腕を揺すって言った。


「あぁ、俺もそう思った。俺だって心配だよ。だけど、二人の様子が分からない事には・・・」

「なぁ、もうしばらくここに居よう。あの男は声が大きいから外にも話が聞こえるかも。」

「あぁ、澪珠。婆さんには申し訳ないが、こっそり話を聞かせてもらおう。」


武尊と澪珠は、家の入口付近でじっと聞き耳を立てた。


 案の定、男の声は外まで聞こえてきた。


「さっきの若造は何だい? 新しい知り合いかい?」

男は淡々と話し始める。


「あぁ。今朝、畑へ桃を採りに行ったら倒れてしまってね。そこを助けてくれた人だよ。」

「おやおや、それはいけないねぇ。身体を大事にしなきゃ。婆さんももういい歳なんだから。桃畑なんか手放したらどうだい。それなら相談に乗るよ。」


「そうだねぇ、この三年でだいぶ老けちまったよ。出来る事も減ってきたしね。でも、一人になっちまったから他にする事もなくてね。長年、面倒を見て来た畑だから、もうしばらくはぼちぼちやって行くさ。」

お婆さんは、呟くように静かに言った。


「そうかい。それはそうと、まだ肩や腰が痛くてねぇ。婆さんの知り合いだろう? 俺を棒で殴ったあの男は。あいつは身よりもなかったから、婆さんの他に医者代をもらう所も無くてさ。」

そう言うと男は、広げた手を出した。


「もう三年も前の事だよ。そう言われてもねぇ。まだ痛むのかい?」

「あぁ、どうにも痛くてね。薬をもらって按摩にも行かなきゃ、仕事にならんのさ。婆さんとこは桃が売れたんだろう? さぁ、早く金を出してくれよ。」


「まぁ、まぁ。そんなに痛い体で、この暑さの中ここまで歩いて来たんだ。先ずは、うちの桃でも食べて。今、お茶を淹れてやろう。」


お婆さんは、桃を二つ男の前に出すと奥へお茶を淹れに行った。



そして、茶碗に一杯のお茶を持って戻って来た。


「婆さんとこの桃は美味いなぁ。これなら高く売れただろう?」

男は美味しそうに桃を食べている。


「さぁ、さぁ。暑かったろう。お茶を飲んどくれ。」


男はあっという間に桃を食べ終わると、お婆さんが淹れてくれたお茶をがぶがぶと一気に飲んだ。

 そして、もう一つの桃を食べ始めると、

「さぁ、早く金を用意してくれ。俺が桃を食べ終わる前にな。」

と言った。


 お婆さんは、男が飲み干した茶碗を手に取ると奥へ行き、そっと男の様子を見ている。

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