第9話 冬の毒蛇
毒蛇と睨み合う二人は、身動きも出来ず立ち尽くしている。
「武尊、あの毒蛇を刺せ! この剣であの毒蛇を刺せ!」
突然声がした。
どこからともなく聞こえたその声に、武尊は
「兄上? 兄上なのですか? どこにいるのです? 兄上、生きていたのですね。」
「武尊、早く! あの毒蛇を刺すのだ! さもなくばお前が飲まれる!」
「でも、兄上・・・」
武尊は剣を握ったが、恐怖で体が動かなかった。
「兄上、俺はこれまで誠に誰かを・・・ 生きている何かを切ったことがないのです。」
武尊が狼狽えていると、剣は武尊の手を振り払い毒蛇めがけて飛んで行った。
独りでに飛んだ剣は、毒蛇の腹から首元を割き、そのまま木に串刺しにした。毒蛇は目を見開き顔を向けたまま息絶えた。割かれた腹からは、さっき飲み込まれたばかりの鼠がころんと地面に落ちた。
「あっ・・・」
武尊は、力が抜け地面に座り込む。
「武尊、お前は優しすぎる。白鹿の為、お前自身の為に強くなれ。私はもう、この世にはいないのだ。白鹿もお前も守ることが出来ない。先ずは、お前自身の身を守れ。そして生きよ。」
剣から響く声が言った。
「兄上・・・ でも、今こうして話しているではないですか。今も俺を守ってくれたではないですか。どこにいるのです? 姿を見せてください。」
武尊は、涙声で辺りを見回す。
「武尊、私は死んだのだ。白鹿の西境へ賊の討伐に出て、不覚にも命を落としてしまった。この魂を砂漠の王に拾われ、今はこの剣と共に在る。武尊よ、真に強くなれ。水鏡の試練を越えて戻れ。白鹿へ戻れ、必ず。」
「兄上・・・ 兄上。俺は強くなります。強く生きます。俺自身の為に。白鹿の為に。だから、この水鏡の試練に力を貸してください。」
武尊は、涙をこぼしながら兄の声に答えた。
すると、再び聞こえた兄の声が促す。
「さぁ、早く。今起きた死の姿、生の姿を鏡に写し取れ。」
武尊は死と生の鏡を取り出し、木に串刺しとなった蛇の姿とその下に転がる鼠の姿に向けた。
鏡から光が放たれその光の中に、巻き戻されるように遡ってたった今起きた死の場面、生の場面が写し出された。そこには鼠と大蛇だけでなく、盗っ人の幼子の姿も泣きながら強く生きると言った武尊の姿もあった。
そして、事の始まりの場面まで行きつくと、光は鏡に吸い込まれ鏡は小さくなった。碁石ほどに小さくなった鏡は、白と青の石になりすぅーと剣の刃の溝に納まり一体となった。光の石を取り込んだ剣は、木から地面に落ちた。武尊は剣ににじり寄ると、拾い上げ胸に抱いた。
「兄上・・・ 兄上・・・」
泣きながらつぶやく武尊の肩を、澪珠は優しく幾度も撫でながら
「武尊、すべては、死は無に還ったのだね。白く清らかな生の始まりへ。生はいつまでも己に真っ直ぐに在り続ける。青々とした日々の連続だよ。きっと。」
と慰めた。
「そうか・・・ あの鏡は、死の鏡が白い石に、生の鏡が青い石になった。そしてこの剣の刃に納まった。そうだ。死は闇ではなく新しい始まり、生はどこをとっても己に真っ直ぐな青々とした日々なのか。」
「うん。きっと。そういう事だよ。だから武尊の兄上も、この剣と共に生きる魂の新しい生が始まっているのさ。」
「澪珠、誠にそうかもしれないな。ありがとう。君がいてくれて善かった。」
「澪珠よ。武尊よ。その通りだ。私の魂は今、この剣と共に在り新しい生を得ている。そして、君たちと共にいる。
澪珠、武尊の事を頼む。助けてやってくれ。武尊、生きよ。」
と、兄の声がした。
「武尊、生きなければ。生きて白鹿へ。その剣と共に戻らなければ。さぁ、立ち上がって。」
と澪珠が励ました。武尊は、剣を抱きしめたままゆっくりと立ち上がると、
「あぁ、そうだ。旅はまだ始まったばかり。まだ十一鏡も残っている。早く全てを写し取り、この水鏡を出て白鹿へ戻らなければ。なぁ、澪珠。」
と澪珠に手を差しのべた。澪珠は、嬉しそうに大きく頷き手を繋いだ。
「武尊、雪だよ。雪が降って来た。そうだ。冬の鏡を出してよ。早く。」
「あぁ、分かった。」
武尊は、冬の鏡を取り出した。
雪は、大蛇と鼠を弔うようにしんしんと降り積もり覆った。本格的な冬の到来だ。冬の鏡は光を放ちその姿を写し取ると、小さな瑠璃紺の石になり剣の刃に納まった。
「よし、これで三つだ。」
生気を取り戻した武尊が言うと、
「さぁ、武尊。先へ行こう。次の鏡面へ。」
と澪珠が指差すその先に、新しい水鏡の入口が浮かんでいた。
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