水鏡の試練
第8話 冬の生死
武尊と澪珠が最初にたどり着いた鏡面は、田舎の小さな村だった。辺りの木々はすっかり葉を落とし草も枯れ、色のない風景が広がっている。
「なんだか寂しい村だなぁ。」
「うん。あまり裕福な村ではなさそうだね。武尊。」
そう二人が話している目の前に、幼い子が芋を手に持って飛び出してきた。
「こらぁ! 返せ! 盗っ人め!」
後ろから女が追いかけて来る。幼い子は、武尊を横目でチラッと見て走り去って行った。
「逃げ足は速いねぇ。まったく。」
と、女は追いかけるのを止めた。
「あの・・・ さっきの子が盗みを?」
武尊は目の前の女に聞いた。
「あぁ、そうさ。蒸したばかりの芋を一つ盗んで行ったんだよ。」
「あんなに小さな子が、一人で盗みを?」
「そう。あんなに小さな子が一人でね。前はさ、祖父さんが生きていたからよかった。二人で一緒に暮らしてたのさ。だけど、亡くなっちまってね。まだ四つだっていうのに一人ぼっちさ。」
「他に身よりは無いのですか?」
「無いね。祖父さんと二人きりだったから。この村は川からも遠くて水が無いんだ。やっと引いた庄屋さんとこの水路から、飲み水は分けてもらってるのさ。だから農作なんて出来やしない。雨頼みだからね。その雨も、この辺りじゃ少ないときてる。
仕方ないから、街から糸を買って来て織物を仕上げたり刺繍をして売りに行く。そうじゃなきゃ、籐や竹を買って来て編み上げて街へ売りに行き暮らしているのさ。
だから、あんなに小さな子が一人残されちゃどうにもならない。私らだって、助けてやりたいよ。だけど、みんな貧しいからね。もう一人養うなんて出来ないんだよ。だからあの子が芋を盗むのだって大目に見てる。
それでもね。大きな盗みになっちゃぁ、いずれあの子が可哀想だ。だからせめて、叱ってやるんだ。盗みは悪い事だってね。」
女は、悲し気な顔で教えてくれた。
「そういう事だったのか・・・」
武尊はそれ以上の言葉が出なかった。
「みんな必死なんだよ。あの子もね。生きているからね。今日も、生きているからさ。」
女はそう言うと、武尊に微笑み帰って行った。
武尊と二人きりになると
「これが、この村の姿なんだね。あんなに小さい子が一人で生きる。」
澪珠は涙をこぼした。その涙が武尊の首筋に落ちた。
「あぁ、そのようだ。水が無い。農作が出来ない。乾いた土の国、白鹿と同じだ。その領土で、あんなに小さな子が一人で今日を生きるなんて。そんな姿がある事を、俺は初めて知ったよ。」
「武尊、この村に限った事ではないと思うよ。貧しい村はきっと、どこも似たようなものさ。」
澪珠の言葉に武尊は、自分の無知と無力さに腹が立った。
そして、怒りの後には強烈な虚しさが心を覆い、力無くとぼとぼと歩いた。武尊と澪珠は、気づけば村の外れまで来ていた。
二人の目の前を、一匹の鼠が走ってゆく。
〈冬眠前の腹ごしらえの食べ物を探しているのだろうか?〉
武尊が、そんな事を考えながら鼠を見ていると、鼠の前に大きな蛇が現れた。蛇は、鼠をじっと見据え狙っている。鼠はぴたりと止まり、動かなくなった。大蛇は首を上げ狙いを定めた。
その時、鼠が素早く大蛇に突進し腹に咬みついた。大蛇は大きく体をくねらせ尾で鼠を振り払う。その勢いに鼠は、地面に叩きつけられ動かない。すかさず大蛇は飛びかかり、ごくんと鼠を飲み込んだ。
この一瞬の出来事に、武尊は恐怖と驚きで足がすくみ動けずにいる。やっとの思いで声を発すると、
「なぜこんな所に大蛇が…? しかもこの季節に。」
と澪珠に言った。
「おそらく大蛇は、毒蛇。さっきの村の誰かが、毒を得るために家で飼っていたのだと思う。それが逃げたのかと。」
「何だって、そんな危険な事を? 何の為に毒など得るのさ。」
「武尊、それはいろいろさ。世の中には、毒が必要な輩がいるって事さ。権力や地位に富。欲の向かう先は、いろいろある。自分を守りながら誰かを陥れ、暗殺し、自分が這い上がる。生きる為にそういう手段を使う輩も多いって事さ。だから都へ行けば、毒は高く売れる。それを商売にすればよい銭になる。あまり大ぴらには出来ない商売だけどね。」
「だろうな。だが、そこまでして生きるのか?」
「そうさ。今日生きていれば、今日を生きようとする。誰だって、死ぬのは怖いから。貧しければ死は近くにある。だから少しでも死から遠ざかろうとする。すると富や権力に向かう。生きる為には食べなきゃならない。血を肉を骨を保たなきゃならない。
だから、さっきの幼子だって盗んでも食うんだ。大蛇だって鼠を喰う。鼠だって、村の家から食べ物を探し、虫を食べ腹を満たすんだ。」
「そうか・・・ そうだな。食べ物も富も待っていても来ないのだな。澪珠。」
「そうさ。皆が裕福な訳じゃない。そんな事も知らずに、よく今日まで生きてこられたなぁ、武尊。」
「あぁ、そうだ。情けない・・・」
武尊は悲し気に笑った。
「俺は、何も知らないのだ。生まれてから今日までずっと、その裕福な暮らしが与えられていたから。」
武尊は、大きく心が震え胸が痛むのを感じた。そして、目の前の生と死の姿。毒蛇と鼠の姿に向き合うと、毒蛇が首を振り武尊を目見据えた。
「武尊、まずいぞ。毒蛇が向かって来そうだ。」
「えっ。今、鼠を飲み込んだばかりじゃないか。」
「あぁ、まだ足りぬという事だろう。どうする武尊。」
澪珠は、しっかりと武尊の肩につかまった。二人は息を殺し毒蛇と睨み合っている。
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