第1話 きっかけの話

 二十九の時、私は実家を出て横浜へ引っ越し、恋人と一緒に暮らし始めました。家が厳しいクリスチャン家庭だったため、その直前まで処女でした。結婚するまで性交渉をしてはいけないという教えがあったからです。クリスチャンをやめると同時に家を出ていろんなものから解放されましたし、恋人との暮らしは本当に楽しく感じられました。

 学生時代の幼い恋を除けば、その恋人が私にとっては生まれて初めての彼氏。彼が歳上だったこともあり、私は性的な疑問をあれこれぶつけ、彼が少しも馬鹿にせず教えてくれるのがとてもありがたかったのを覚えています。幼い頃から性的なことは悪いことのように教わってきたので知識は乏しかったのですが、押さえつけられてきた反動と言うのは恐ろしいもので、性への興味・関心は人一倍持っていたのです。例えば「ディープ・スロートとは何か」とか、「駅弁は気持ち良いのか」などと思い付く度に根掘り葉掘り訊きました。


 そんな中で、知り合いの男性が「風俗で働いてる女は汚いから嫌なんだ」と言うのを聞いたことがあります。その人がなぜそういう考えに至ったのか、何を持ってして『汚い』と表現したのかは分かりませんが、私にはそれが全くピンと来ませんでした。「体を使って仕事をしているだけでべつに汚くは無いのでは? 偏見じゃないの?」と思いましたし、実際そんなような口を挟んだのですが、その場には彼の考えに賛同する人々もいて、「分かってないな」という雰囲気になったのでそれ以上の反論はやめました。実際私は世間知らずで、本当に私が分かっていないだけかな、とも思えました。ただこの男性の発言が妙に心に残って、その後の私の人生に大きな影響を与えたと思います。


 横浜で暮らし始めて一年ほど経った頃に事務の仕事を始め、職場への行き帰りのバスで、曙町あけぼのちょうの大通りを通るようになりました。

 横浜に詳しい方ならご存じかと思います。曙町は横浜市中区にある風俗街です。私は横浜に来て、初めて曙町のような大きな風俗街を見ました。曙町の凄いところは、『裏道に入ったらいかがわしい』ではなく、大通りに面していかがわしいお店がいくつも並んでいるところです。看板のひとつひとつが大きく派手で、全然隠していない感じ。店名も「バナ◯クリニック」やら「素◯学園」やら、ナンセンスでユニーク。そんな町中にスーパーや大きな郵便局なども普通にあって、お年寄りから子どもまで平然と歩いています。

 はじめのうち、ただ面白い町だなぁと思ってバス車内から眺めていたのですが、毎日のように見ているうちにだんだん興味が募ってきて、「こういう仕事は実際どんな感じなのだろう?」という疑問が頭から離れなくなりました。それには前述の「風俗で働いている女は汚い」発言も関係していて、実際のところはどうなのか? 私もここで働き出したら『汚く』なるのだろうか? と思いました。あと単純にエロを突き詰めてみたい気持ちもあったと思います。彼氏と出会って、「愛あるセックスは素晴らしい!」と気付きましたし、一人でやるのも何も悪いことではないなぁと考えていました。

 思い詰めた結果、彼氏に相談することにしました。今考えると我ながら変わっていると言いますか、恋人にする相談では無いと思うのですが……。こちらとしては大真面目でしたし、裏表の無い単純な興味でしたので、思い切って「風俗に興味があるんだけどどう思う?」と訊いてみたんです。

 これがまあ彼氏も変わっていたので、「浮気じゃないし仕事だから、やりたいならやってみればいいと思う」という返事が返ってきてびっくりしました。

 恐らく付き合っている彼女からこんな相談をされたら大抵の男性は呆れるか怒るかすると思いますし、自分との性生活に満足していないのかと疑ったり、裏切られたような気持ちになったりするのではと思います。

 彼の場合、以前デリヘルの女性と付き合った経験があって偏見が無かった、というのもありますし、私が風俗嬢に向いているのではないかと思ったらしいです。セックスが好きだし性的なことへの関心が強いし、実益を兼ねた趣味になるのでは、と思ったとか。それにしても凄い器のでかさです。

 実際彼は私が仕事を始めてからも全く嫌な顔をせず、お客様に嫉妬をすることも全く無く、私が他の一般の仕事をしていた頃と同じように応援してくれているので、本当に奇特な人だと思います。ちなみに彼とは今現在も一緒に暮らしています。


 ともあれ、こうして私は全く知らない風俗の世界へ飛び込むこととなりました。

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