食わず女房

増田朋美

食わず女房

暖かくて、日差しが降り注ぐ秋晴れの日だった。こんな季節がいつまでも続いて欲しいなとおもうけど、そうはならないのが、現代社会というものだ。もう穏やかな時代というものは、終わってしまうのかもしれない。それよりも、真面目に生きていても、どうにもならず、仕方ない仕方ないと、勝手に言い続ける時代になったのかもしれなかった。

ある日、学校へ武史くんを迎えに行った田沼ジャックさんは、同級生の、清宮怜香さんの、お父さんからこえをかけられた。ちなみに、怜香さんは、武史くんの近くの席に座っている女子生徒で、武史くんとは馬があうのか、よく勉強を教えてもらっていた。これは、親同士も知っていた。これをきに、ジャックさんと、怜香さんのお父さんはとても仲良しになった。

「ちょっと相談が、あるんですけどね?」

怜香さんの、お父さんは、そんなことを、言い始めた。

「はい、なんでしょうか?」

ジャックさんが聞くと、

「はい。実はですね。これは、欧米出身の田沼さんにだからこそ相談できるんですが、欧米では、食事を取らなくなった妻のことを、どう解釈するんですか?」

と、怜香さんのお父さんは言い始めた。

「はあ、食事をしないといいますと、いわゆる摂食障害ですか?」

ジャックさんが聞き返すと、

「実はそうなんです。怜香が何気なくママはちょっと太ったのではないか、と発言したらその日からダイエットをはじめましてね。例えば、運動をするとかそういう健康的なダイエットなら良いのかも知れませんが、朝昼晩コーヒーしか飲まなくなりまして。それで、極度に痩せてしまったものですから、心配で仕方ないんです。」

まさしく、拒食症であった。ちょっとした一言が原因でダイエットをするが、それが度を越してしまい、極端に痩せてしまう。別に太っていなくても、そうなってしまうわけだから困ってしまう。

「そうですか。何か食べろと言っても、だめなんでしょうか?」

と、ジャックさんが聞くと、

「はい。動けなくなるから、食べろとさんざん言いましたが、太るのが嫌だからと言って、何も食べないのです。太るのは、そんなに嫌ですかね?僕は別に、痩せていなくてもいいとおもうんだけど、彼女はそうは思わないようです。痩せていなくては、絶対にだめだと言わんばかりです。日本のオカメは、さほどガリガリではありませんでしたが、田沼さんのふるさとであるイギリスではどんな解釈をするのですか。ちょっと教えてもらえませんか?」

怜香さんのおとうさんは、困った顔で言った。

「どこの国でも同じですよ。大事なことは、太っていると不幸になると思わせないことじゃないかな。ただ、洋服は、既製品を買うとなると、販売店によっては、欲しい洋服が買えないということはあると思いますね。日本では、標準体重の人が着る服しかうってないのが、問題ではあります。太った人でも痩せた人でも、みんながおしゃれができる服があれば、いいんですが、洋服は、それはできないなあ。それを考えると、日本には、すごいスグレモノがあるではありませんか。」

「すごいスグレモノ。それはなんなんでしょうか?」

怜香さんのお父さんは、すぐジャックさんに聞いた。

「和服ですよ、いわゆる長着です。あれなら、多少体型が変わっても着られますよ。」

「着物ですか。でも、着付けが面倒なのではありませんか?」

ジャックさんが発言すると、怜香さんのお父さんは一般的に思うことを言った。

「いえ、大丈夫です。コツを覚えてしまえば、外国人でも着られますから大丈夫です。」

「はあ、えーと、そうですか。でも、お高いのでは?」

「いえ、簡単につくってくださる方がいますから、今から彼のうちへいきましょう。着物であれば、太っていても、痩せていても、可愛く着こなすことができますよ。」

ジャックさんは、武史くんが、学校から出てくるのを待ちながら、怜香さんのお父さんに言った。数分後に武史くんと怜香さんが、テスト疲れたあ、なんて言いながら学校から出てくると、ジャックさんは、怜香さんのお父さんに、自分の車の後をついてくるように言った。2台の車はそうやって、杉ちゃんの家に向かった。

「はあ、着物を一枚、ポリエステルでね。じゃあ、奥さんの身長を教えて貰えないだろうかね?」

と、杉ちゃんは、二人にお茶を出しながら言った。

「はい、大体160センチほどです。」

怜香さんのお父さんはいった。

「わかりました。それならポリエステルでも

正絹でも、どっちでもいいから、反物を持ってきてくれよな。反物は、リサイクル着物屋で買えるから。」

杉ちゃんがそう言うと、

「わかったよ、杉ちゃん。近いうちに反物を買ってくるから、それを長着に仕立ててくださいね。」

ジャックさんは、改めてお願いした。

「いいよ。いつでもやるよ。布を持ってきてくれたらね。」

「わかりました。」

ジャックさんの隣で、怜香さんのお父さんは、ぼんやりとした顔をしていた。まあ確かに、いきなり着物のことを言われたので、何がなんだかわからないのかもしれないが、ジャックさんは、もう少し、日本人に着物を知ってほしいなと思うときがある。日本人が服装の一つに着物を入れてくれたら、助かるだろうなと思う事例はいくらでもあるから。

「じゃあ、よろしく頼むな。着物はいつでも縫ってさしあげるからね。」

「よかった。ありがとう、杉ちゃん。おくさんに、自分が、かわいいと知ってもらえば、それ以上、無茶なダイエットは、しなくなると思うんだ。今のままでは、完璧に動けなくなってしまう。拒食症は、ほんと、命に関わるからね。じゃあ、近いうちに、布をもってくる。」

と、ジャックさんは言って、二人で言葉遊び歌の本を音読しあっている、武史くんと怜香さんの方を見た。

「いまは、黙っていられるかもしれないが、そのうちきっと、怜香さんにも影響が出てしまうと思う。だから、そのために、つまり体重を、減らすのをやめてもらうことが必要なんだ。そのためには、服装をガラリとかえることも、必要なんだよ。」

確かにそれはそうだ。体重を減らし続けていたら、肉体ばかりではなく、精神もおかしくなる。それは、動物である人間が、食事を拒否するという、動物にはあってはいけないことをするのだから、そうなってしまうのである。そうなったら、たとえ小学校一年生であっても、影響が出てしまうに違いない。

「布をかったら、すぐもってくるから、よろしくおねがいします。」

ジャックさんは、武史くんと、怜香さんにもう帰ろうと促した。四人は杉ちゃんの家を出ていったのであるが、二人の子どもたちは、まだ幼いせかい、つまり仏の世界にいるから、学校のことなんかを楽しそうに喋っている。本当は、その世界にいてくれたほうがいいのである。

「清宮さん、明日、布屋さんに行きましょう。正絹でも、ポリエステルでもいいです。奥さんの好きながらを買いましょう。」

ジャックさんは車に乗り込みながら、そういった。

「明日のお昼前くらいに迎えに行きます。」

「あ、はい。」

清宮さんはそういうが、本当に信じてもいいのか、迷っている顔つきだった。取り敢えず、怜香さんを連れて自宅にかえる。帰ると、食わず女房と化してしまった妻が待っているはずだ。いくら清宮さんが食べろ食べろと言っても、全く食べなくなってしまった妻が。

車を駐車場にとめて、急いで家にはいった。

「おい、かえってきたよ。何も言わないのか?」

清宮さんはそういうが、返事は何も来なかった。

「おい、加恵。何かいったらどうなんだ?」

清宮さんは、そういって、夫婦の寝室に行って見た。洗濯物はだしっぱなしだし、机の上はものが散乱している。

「どうしたんだよ、洗濯はしないのか?」

清宮さんはそう言うが、加恵さんは、何もしないで布団にはいったままなのであった。拒食をしていると、やる気がでなくなり、引きこもりのようになるという。

「何で何もしないんだよ。せめて、洗濯あたりしておけばいいのに。」

と、清宮さんは、加恵さんに言った。

「あたしって今でもそんなに悪い女?これだけ痩せたのに、なんで洗濯とか、そういうことを押し付けるの?」

清宮さんは、はあ?と思ってしまった。悪い女性なんて言った覚えは一度もないし、加恵さんは、もともと、洗濯や料理が大好きで、主婦になったことを喜んでいたのに。

「だってきみは、洗濯や料理が好きな、はずでは?」

と思わずいうと、

「洗濯なんてあんまりよ!料理なんてあんまりよ!」

と、加恵さんは怒鳴った。もしかしたら、昔話の食わず女房見たいに、にんげんではない、怒りの部分が現れてきたのかもしれない。病院の先生は、変なことを言っても、病気が言わせていることなので、気にしないでください、と言っていたが、とても気にせずにはいられない、豹変の仕方だった。

「ご飯まだ?」

怜香さんに言われて、清宮さんは、ちょっと待ってといった。その日は何も作る気にならないので、取り敢えず出前でラーメンをとった。加恵さんのぶんもとろうか、迷ったが、先程の怒り方では、ラーメンの器を叩き壊す可能性があったので、やめておいた。加恵さんが、何も食べずに布団にずっといるのを見て、清宮さんは、どうしたらいいのかわからなくなった。と、同時に、ジャックさんたちに従うのも、勇気がいるのだとわかった。だからこそ、こうして援助者に頼るのだ。確かに悪質な援助者も居るけれど、そういうことを選べるような状況ではなかった。それよりも、本当に食わず女房になってしまわないようにしなければ。ちなみに、昔話に掲載されていた食わず女房は、正体は鬼婆とか、蜘蛛とか、そういう人間に害を与えるものが人間を襲うために化けていたという内容になっているが、加恵さんをそういう存在にしては行けない。それを止めるには、やっぱり、人間でなければならない。どんなに機械文明が発達したって、それをやっているのは、人間なんだから。

清宮さんは、そんな事を考えながら、ラーメンを食べている、怜香さんを眺めていた。彼女のためにも、食わず女房は、しっかり人間女房に戻ってもらわないと困るのである。

次の日、ジャックさんが、清宮さんのところへ迎えにやってきた。怜香さんは、武史くんと一緒に、製鉄所へ預けた。ジャックさんの車に乗って、清宮さんは、布屋さんへ向かったが、新しい世界に入るというのはとても緊張していた。

「はい、ここです。こちらの、建物が、着物と、反物を売っている店です。」

ジャックさんは、増田呉服店と看板を置いてある、小さな店の前で車を止めた。駐車場も一台しかない、文字通り、店の主人と客しか受け付けない、小さな店だった。ガチャンと音を立てて店のドアを開けると、ドアに垂れ下がっていたコシチャイムが、カランコロンと音を立ててなった。

「はい、いらっしゃいませ。着物がご入用ですか?」

と、店主のカールさんは、客としてはいってきた二人を見た。一人は、頻繁にこの店に来店しているジャックさんだとわかったが、その隣に居る清宮さんは、初めての客だった。

「ああ、あの、今日は、妻にあげる着物を仕立ててもらうので、それにする、布をいただきたいのですが?」

と、清宮さんが言うと、

「はい、反物ですね。じゃあここに五本ありますが、どれでも1000円で結構ですので、持っていってください。」

と、カールさんは言った。

「こ、これが、1000円ですか?」

清宮さんが思わずびっくりしてしまうほど、その反物は実に見事で、友禅の技法が用いられていたり、絞りの技法が用いられていたりと、実に、高価そうに見えるものであった。新品の反物だったら、とても1000円では買えないものだ。

「ええ。1000円です。本当にほしい方は安くても手に入れられます。それを信じて、この値段にしています。お金があったって、本当に着物を欲しい人には手に入らないということでは、きものがいくらあったとしても、欲しい人にわたらないと、困りますからね。着物は買ったけど、タンスにしまいっぱなしじゃ、困りますからねえ。」

カールさんはにこやかに笑ってそういう事を言った。

「着物だってね、日本の服だと思ってるんですよ。特別なときだけに着るものではなく、気軽な外出や、可愛くしたいデートとか、そういうときに使っていただきたいんですよね。今は、着物を着て出るなんて、少々はばかられる時代ですが、着物を着ると可愛くなれる女性はたくさんいらっしゃいますし、その美しさを僕達は捨てたくないのでね。それで、気軽に安く変えるように設定しているんです。」

「そうですか、、、。」

清宮さんは、ちょっとカールさんの話に納得できたような気がした。

「現に、この店に来るお客さんの中でも、着物を着ることに寄って、自分に自信が出てきたとか、人生が楽しくなったとか、そういう事を言ってくれるお客さんはたくさん居るんですよ。男性でも女性でも、同じ事ですね。皆さん、重い病気を抱えている人も居ますし、知的障害のようなものを持っている方も居ます。みなさんワケアリの方ばかりですが、そういう方であっても、美しいものを美しいと思える方は、皆さんワケアリである程度は当然のことですよ、今の時代じゃ。」

「じゃあ、この店には、もしかしたら、摂食障害とか、そういう方が来店したことはありますか?」

と、ジャックさんがそうきくと、

「ええ。おります。着物を着ることに寄って、ダイエットをしないでもいいという境地にいたった方も居ます。着物は、ある程度体型が変わっても着られますからね。それで、細くなくてもおしゃれが楽しめるということで、もう無理しなくてもいいやと言った方も居ます。」

と、カールさんは言った。カールさんの言い方は、本当に淡々としていて、事実を述べているだけのような言い方だったけれど、本当にそういう事があったんだということがわかる。

「そうなんですね。それでは、家の妻もそういう事ができるでしょうか。着物を着て、可愛くなってくれれば、食わず女房は卒業できますかね?」

と、清宮さんがいうと、

「着物はある程度、人を魅了する美しさがあります。ただ、それを美しいと思える美しい心が無いと、難しいという事はあります。」

と、カールさんは言った。

「わかりました。じゃあ、この反物を一ついただけないでしょうか。妻の好きな青色に、花模様が素敵です。」

清宮さんは一つの反物を取り出した。青い色に、オレンジ色で小花を散らした、小紋柄の反物だった。

「わかりました。1000円になります。」

と、カールさんが言うと、清宮さんは彼に1000円を渡した。カールさんは、領収書を書いて、清宮さんに渡し、品物である反物を、紙袋に入れて、彼に渡した。

「ありがとうございます。本当にありがとうございました。妻も喜ぶと思います。ありがとうございました。」

清宮さんは、頭を下げて、それを受け取った。そして、ありがとうございましたと言って、店を出て、怜香さんと、武史くんが居る製鉄所に戻った。製鉄所の中には杉ちゃんがもう裁縫箱を用意して待っている。杉ちゃんはそれを受け取って、早くも着物にするパーツを切断し始めた。和裁は型紙を使わないで、全て、ものさしを頼りに長さを測って、パーツを作る。それを縫い合わせて、縫い目をできるだけ見せないように縫っていくのである。数時間して、着物が縫い上がった。それをしている杉ちゃんの顔は、いつも以上に真剣な顔つきだった。

二三日して、杉ちゃんから、清宮さんの家に、縫ったばかりの着物が届いた。青に、オレンジで小さな花柄が施された着物である。着物の格としては、小紋に属し、気軽な外出などに、着ることができる着物であった。清宮さんは、その箱を開け、着物を取り出し、しっかりそれを握りしめて、彼女、清宮加恵さんの居る部屋へ行くのだった。

「一体何なのよ、余計なことはしないで。」

と加恵さんは、ぶっきらぼうに言っている。

「うん。あのな、もし、その気があればでいいんだが、これで外へ出てみないか?洋服は、きれいに入らないと言っていたが、着物では、意外に着られるかもしれないぞ。」

と、清宮さんは、そう言っている。

「あたしが、そんなもの似合うわけ無いでしょう。」

と、加恵さんはそう言ったが、

「でも、騙されたと思って着てみてくれ。きっと、外見を変えてみれば、また変わるかもしれないじゃないか。」

と、清宮さんは、急いで言った。加恵さんは、本当にそういうことだったんだろうかという顔をしている。でも、夫が自分にはじめて注目してくれたような、そんな事を、示している顔をしている。

「そうね。」

と言って、加恵さんは、よろよろと立ち上がる。もうかなり食べない状態が続いているので、ちょっと体重を支えるのに、難しい体になってしまっているのだ。彼女は、ちょっとふらつきながら、清宮さんに近づきそれを受け取った。ガリガリに痩せて、もう疲れ切ってしまったような顔だけど、でも夫が自分の方へ向いてくれた、という感じの顔をしている。もしかして、加恵さんが、食わず女房になってしまったのは、夫の清宮さんにこっちを向いて!と叫んでいたのかもしれない。

「ほら、着てみれくれ。せっかく作ってもらったんだし、着物で少し印象が変わるかもしれない。」

加恵さんは、その小紋を羽織ってみた。

「でも、私には、こんな鮮やかな青にオレンジなんて、ちょっと派手だわ。」

と、彼女はいうが、そこへ、小学校1年生の怜香さんが、駆け寄ってきた。お母さんが、部屋から出てきたので、嬉しくなってやってきたのだろう。

「ママきれい!」

怜香さんは、にこやかに笑って、お母さんの加恵さんを見た。

「本当?」

と、加恵さんが聞くと、

「うん!」

と、怜香さんは、加恵さんの足元に抱きついたのであった。清宮さんは、こういう幸せを自分で提供できたことに喜びを感じた。


 

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食わず女房 増田朋美 @masubuchi4996

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