第9章:白竜の王女(4)

「レインドルは、しくじったか」

「……は」

 エルモーズの砦の最奥。自分の数歩背後に控えるカタラに向け、ニードヘグは腕組みし、振り返りもしないまま、淡々と言葉を交わす。

 わかっていた。わかりきっていたのだ。どう足掻いても、こうなる事は。口の中に広がる苦味を噛み締めた。


 魔王教団の残党を諫め続ける父の背中を見て育った。英断魔将リグの血に誇りを持ち、決して魔王が再びこの世に顕現してはならぬのだと、人間と竜族を憎んではならぬのだと、祖先の遺言をひたすらに同胞に説き続けた父は、心労から弱り、まだ壮健であるはずの年齢の頃に、真っ白い髪とこけた頬をさらして、とこの上で亡くなった。グレイツの血脈に連なる母に毒を盛られたのではないかと疑う声は、「今こそ魔王教団の立つ時」と叫ぶ気勢の前にかき消された。それでも、父の跡を継ぎ、リグの子孫として毅然と魔族を引っ張ってゆこうと思った。

 だが、自分を裏切ったのは、世界の方だった。

 父の形見として、リグの魔刃カデュケウスを受け継いだ時。自分の手の中では、四英雄の証である青白い光を放たなかったのだ。

 理想も、矜持も、使命感も、全てが砕け散った。悄然とする息子の肩を母はいやに優しく包み込み、耳元で妖艶に囁いた。

「英雄などとうそぶく裏切り者の旧き戯言ざれごとを、律儀に守る必要などありませぬ。貴方が魔族の長である事は変わりありません。魔族を再び大陸の覇者にすべく、皆を勝利の栄光へと導きなさい」

 言の葉の毒は、鼓膜から滑り込んで、全身を侵していった。

 元の名を捨て、『怒りに燃えてうずくまる者ニードヘグ』を名乗り、魔王教団の首魁となる事を宣言し、魔族達を湧かせた。リグの誇りを忘れるなと訴える者は、片端から粛正した。混乱に紛れて、母親も始末した。いずれ大陸の女王として君臨したかったのだろう強欲な女は、厚化粧で整えていた顔に似合わぬ罵詈雑言を撒き散らしながら首を落とされた。

 リグの子孫だけが読める彼の手記をめくり、三種族の血が交われば『ヴァロール』が生まれる事、ガルディア半島の奥地に、聖王妃セリア・テムティナの故郷ウルザンブルンがある事を知って、野心は更に膨らんだ。

 ウルザンブルンの未来見の能力を手元に置きつつ、人と竜の血を引くグランディアの姫に魔族をめあわせて、『ヴァロール』をこの世に解き放つ。

 人も、魔も、竜も。この世の全てが滅びてしまえば良い。

 それが、自分を四英雄として選ばなかった、世界アルファズルへの復讐だった。


「貴方が、わたしの旦那様ね」

 巫女を攫いにウルザンブルンへ赴いた時、森の中で一人、自分を出迎えた少女は、不敵に笑みながら小首を傾げた。

「本当は、おじさんは趣味じゃあないんだけど。貴方、それなりに格好良いから、妥協してあげる」

 彼女が出会いを『視た』上で自分の訪れを待っていたのだと気づくのに、そう時間は要らなかった。

「貴方、絶対失敗するわよ」

 確定した未来であるかのように語り、「でも」と少女は手を差し伸べた。

「どんな形でも、運命に抗う人は、好き。何も無いこの地で退屈していたわたしを楽しませてくれるなら、この手を取りなさい」

 否やは無かった。上からかぶりつくように掴んだ手はあまりにも小さくて、これ以上力を込めたら折れてしまうのではないかと思ったが、意外と強く握り返された。小刻みに震えているのはどちらの手なのか、それともお互いなのか。それは判然としなかった。


「ミアナ……」

 薬指に銀の指輪がはまった左手で顔を覆い、亡き妻の名を呟く。娘は、あまりにも彼女によく似ている。顔かたちだけの話ではない。定められた運命に逆らおうとする気の強さも、そっくりだ。

 破滅に向かってゆく自分に巻き込まない為、カデュケウスと共にラヴィアナの森に閉ざしたが、父親の真意は伝わる事無く、心底から恨まれてしまった。

 それで良い。家族を顧みず、妻を看取りにも来なかった、野心しか無い薄情な男。そう思われていた方が、後腐れ無く、娘は自由に生きられる。

 覆っていた手を引き剥がし、「カタラ」と懐刀の名を呼ぶ。「はっ」と短い返事をしたきり、部下は自分の言葉を待っている。『呪いカタラ』という名前を持ちながら、本当に忠実な刃であると、感心すらしてしまう。この者なら、次の主君の為にも、真摯に働くだろう。そう納得して、最後の命令を口にした。

 一瞬、戸惑いの気配が訪れる。こいつにしては珍しい事もあるものだ、という考えが浮かんだが、それとほぼ同時に、

「……御心のままに」

 迷いを消した声音で、密偵頭の答えが返る。

 これで良い。後は、大陸を乱した張本人として、大一番を打てば終わりだ。

「さて」

 一際あくどい笑みを浮かべ、柱の陰に振り向いて声をかける。

「鼠一匹でここまで潜り込んだ事は褒めてやろう」

 動揺が感じ取れる。これくらいで心を乱すとは、人の子は実に脆い。だが、その脆さ故に結束する姿は、魔族には真似できない、一種の勇気だ。それが、エステルという一人の小娘を、英雄に押し上げた原動力なのだろう。

 観念したか、敵の密偵が姿を見せる。百年以上を生きた自分から見れば、赤ん坊と変わりない若さの少年だ。顔に緊張を満たし、油断無く暗器を構えている。魔法を一発投げつければ消し飛ぶだろうに、精一杯の気丈さを見せている。それが、悪戯心をくすぐる。

「その度胸を讃えて、見せてやろう」

 ゆっくりと。緞帳に歩み寄り、ぶら下がっている紐を引く。緞帳がするすると上がってゆき、その向こうで呻いていた声が大きくなる。

「十数年かけて儂が育てた最高傑作、絶望の姿よ」

 驚愕で目を見開く少年に、復讐者は、にい、と深い笑みを向けた。

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