第9章:白竜の王女(3)

 昼を過ぎ、雪は猛烈な吹雪に変わった。

 視界は最悪だが、条件は相手も同じと判断したクラリスの指示のもと、三手に分かれた遠征軍はレインドル姉妹の軍を急襲した。


「何やってんだい! 早く奴らを皆殺しにするんだよ!」

 不意打ちに焦る暗黒騎馬団を見て苛ついた長姉アレクトは、部下の馬の尻を蹴り飛ばし、自らも大柄な体躯に見合った武骨な槍を担ぐと、前線へ飛び出した。

 魔獣騎士グリフォンナイト魔鳥騎士アルシオンナイトの混合部隊の一撃離脱で、暗黒騎馬団は見る見る内に数を減らす。妹達と挟み撃ちにするはずが、完全に分断された事はわかっている。だが、それで怖じ気づくような肝ではない。魔王教団頭領ニードヘグの掲げる魔王復活の理念に心酔して忠誠を誓い、最強の騎馬団を託された矜持プライドが、アレクトを突き動かした。

「あのお方の悲願が成就する為なら、あたしは死んでも構わない! それまでに、出来る限りお前達を道連れにするだけだ!」

 滞空魔法で滑るように移動し、決死の覚悟で槍を振るう彼女の視界の端に、雪の白に紛れる銀の翼が見えた。幻鳥ガルーダの羽根の輝きだ。ならばその背に跨がる者は、自ずと知れる。

「聖王の子孫! お前だけでも!」

 アレクトは幻鳥騎士に狙いを定めて舞い上がる。だが、槍の穂先が届こうという時、彼女の周囲で金属製のカードが舞い、腕に、首に、胸に、深々と突き刺さった。

「がっ……は!」

 急所へ照準を合わせた的確な狙撃に、喉の奥から溢れる血を吐き出す。誰だ。自分の邪魔をするのは誰だ。愛するひとの邪魔をするのは誰だ。ぶれた視界に、魔獣騎士の背後から紫の瞳でこちらを睨み据える少女の姿が映った。

(違う)

 寒気とも、痛みをもたらすものとも異なる理由で、アレクトの身体が冷えてゆく。同じ紫の瞳でも、レディウスの、全てを見下した冷えた視線とは違う。熱を持ち、諦めを知らない、決意の炎を宿した紫。それを見て感じたのは、恐怖の悪寒だ。脆弱な人間が、何故そこまで自信を持てるのか、という。

「助かった、ラヴェル、モリガン」

 急速に聴覚が遠ざかる中、憎き聖王の継承者がロンギヌスを構え、アレクト目がけて飛んでくる。青い輝きに心臓を貫かれ、世界の全てが閉じてゆく。

「あ、ああ……ニードヘグ様……あたしは……」

 槍が引き抜かれる。最早滞空魔法を保つ事もかなわず、虚空に手を伸ばしたまま、アレクトは地上に落下する。ごきり、と自分の首の骨が折れるのが、最期に聞いた音だった。


「何!? 何なのよ!? ェ達は何やってんのよ!?」

 悠々と爪を青く塗っていたところに敵襲を受けた末妹メガイラは、癇癪を起こし、魔道士達に突撃を命じる。そして、自らも転移魔法で遠征軍の只中へ出現すると、無闇矢鱈に雷魔法を放ち始めた。

「チマチマ撃ち合いなんてせせこましいじゃん! いるんでしょ!? 出てきなよ、エステル!」

 挑発を受け、エステルがドラゴンロードを手に、敵将の前へ姿を見せた。総大将が最前線に出てくるなんて、馬鹿の極みだ。この愚かな王女を討てば大金星だ。偉そうな姉達を凌いで、名実ともに自分が魔王教団最強の魔女になれる。

「キャハハッ! 丸焦げになりなよ!」

 自らの愚かさを棚に上げ、無邪気に笑いながら、メガイラは雷球を連続して投げつける。しかしそれは、エステルが竜王剣を眼前にかざすだけで、英雄の武器の加護によって、あっさりと四散するのであった。

 攻撃が通じない事に、魔女は明らかに苛立った。塗ったばかりの爪をぎりぎりと噛み、更に無茶苦茶な攻撃を放つ。しかしそのことごとくが、ドラゴンロードの青白い光の前に消えてゆくばかりだ。

「畜生! 何で!?」

 メガイラは完全に怒りに駆られ、幾度目かわからない雷魔法を放とうとした。が、雷球はぷすんと間抜けな音を立てて不発に終わり、その後何度魔法を発動させようとしても、うんともすんとも言わなくなる。

「ありがとう、ロッテ」

「で、できた……魔族相手に……!」

 エステルがむかつくほど落ち着いた様子で背後を振り返る。そこには、ちんまい人間が杖を構えたまま、信じられない、という表情で立ち尽くし、「ぶっつけ本番なのに上出来」と、やたらがたいの良い男がそのちんまい小娘の頭をわしゃわしゃと撫でている。魔法封じサイレンスを使われたのだ。こんな人間の子供ごときに。杖について揺れる木彫りのうさぎがやけに鬱陶しく視界にちらついて、メガイラの怒りは頂点に達した。

「あああああっ!」

 言葉にならない激情を解き放ち、メガイラは周囲を見渡す。

「何やってんのよ! 早くこいつら全殺しに……」

 彼女はそこで初めて、自分の周りに味方は一人も見当たらず、敵に囲まれている事を認識して、急速に血の気が引いた。

「お前が好き勝手やってる間に、お前の味方は片っ端からのさせてもらったよ」

「ひとりで突っ込んでくる、というクラリスの見立ては当たっていた訳だな」

 気の強そうな少女がこきぽきと拳を鳴らし、傍らで青年がひとりごちながら槍を構える。

「貴女の負けです」

 エステルがドラゴンロードを持つ手をだらりと下ろし、翠緑すいりょくの瞳で見すえてくる。

「これ以上無駄な血を流したくありません。降伏すれば、命までは取りません。私達は、魔族全てを滅ぼしたい訳ではないのですから」

 反吐が出る綺麗事だ。再びメガイラの頭に血が上った。『優女王』などとはやし立てられていた母親と同じだ。手の届く場所に刃を置きながら、わかり合おう、と血塗れの手を差し出してくるのだ、この女は。

「このっ、偽善者があああッ!!」

 魔法が使えないなら、素手でも首の骨をへし折ってやる。絶叫を撒き散らしながら、エステル目がけて飛びかかろうとしたメガイラは、しかし、背中から受けた衝撃に動きを止めた。のろのろと視線を下ろせば、青白く光る銀の刃が胸から突き出ている。それに触れれば、掌にべったりと赤が移った。

「あ……あ……?」

 ぎこちなく背後を振り返る。蒼く鋭い瞳が、自分を睨みつけている。この剣はクラウ・ソラス。ならば、こいつはノヴァの末裔だ。こいつを殺せば、エステルは討てずとも、姉達を出し抜ける。今からでも巻き返せる。

 メガイラは震える手を伸ばす。だが、それが届く前に、ノヴァの子孫が白銀聖王剣を一捻りし、魔女の心臓を止めた。

 剣が引き抜かれ、雪の上に倒れ伏した彼女の青い爪に血の赤が流れて、紫色に染まったが、本人は知る由も無い。

「偽善だとわかっています。それでも、私は」

 いわんや、エステルが切なげな表情を浮かべて、屍を見下ろしていた事も。


 幼い頃から余計な感覚だと思っていた姉妹の魔力の繋がりで、姉も妹も討たれた事を察知したティシオネは、「やれやれ」と降参の形に両手を挙げた。

 遠征軍によって、最早デーモン部隊は壊滅状態となり、彼女の眼前には、旧グランディア王国最強の傭兵と謳われた女剣士テュアン・フリードが、死神の遣いのように立ちはだかっている。

 それでも、ティシオネの精神はいまだ余裕の内にあった。相手にグランディア屈指の軍師がついているならば、自分は魔王教団きっての策士だ。戦略としては詰んだが、彼女の手中にはまだ戦術が残っている。

「わたくしはそもそも、戦闘向きではないのですわよ」

 太めの眉を垂れて小首を傾げ、弱気な言葉を放つ。

「魔王教団と心中する気は、さらさらありませんわ。これで見限らせていただきます」

 言うが早いか、手を下ろして転移魔法陣を描き、ティシオネはその場から姿を消す。テュアンが舌打ちしながら二振りの剣を鞘に仕舞う時間が恐らく数秒。その瞬断が、ティシオネの好機だった。

「……なんて言うと思いまして?」

 すかさず転移魔法を再度発動させ、女剣士の背後を取る。エステルと親しいこの女を討ち取れば、遠征軍に大きな精神的打撃を与えられる。勝ちを確信して掌に闇魔法の球体を集中させると。

「ああ、思ったね!」

 背後から、吹雪の中でもやたら馬鹿でかく響く声が届き、ティシオネの肩に槍斧ハルバードの刃が食い込んだ。衝撃で魔法の発動が中断したところに、女剣士が振り向きざま抜刀し、二振りの剣がティシオネの胸を深く斬り裂く。

「……あんた」

「はいっ、いつもどこでもどこまでも! 貴女の守護者、ノクリス・バートンです!」

「いや別に、頼んだ覚えは無いけど」

 女剣士が自分の背後を見やりながら呆れた様子で呟くと、槍斧の主がまた耳に反響する大声で応える。こんな与太を聞きながら自分は死ぬのか。腹が立つより可笑しさが込み上げて、ティシオネは血と共に笑いを吐き出した。

「……かないませんわね」

 恐らく、ニードヘグは遠征軍の前に敗れるだろう。魔王教団もおしまいだ。策士の見通しで全てがわかる。

 だが、悔しさは無かった。幼い頃から、仲良しごっこの裏で舌を出し馬鹿にし合っていた姉妹との軋轢あつれきも、やっと終わるのだから。

「地獄に落ちてからも顔を合わせるのは、御免被りたいものですけどね」

 この呟きは、自分を討った人間達には届いていないだろう。届いていない独り言で終わって欲しい。それがティシオネの願いであった。


「想定通りですね」

 予備戦力と共に後方で待機していたクラリスは、三方からほぼ同時に敵将を討ち取った報告を受けて、満足げにうなずいた。敵兵から聞き出した、レインドル姉妹それぞれの性格を加味しての策は成ったのだ。

 だが、これで終わりではない。むしろ本番はこれからだ。

 砦に潜り込むクリフには、六時間の刻限を言い渡した。それを過ぎても彼が戻らない場合、二つ用意してある案の内、より危険な方を採るしか無い。

 無事に帰ってきて欲しいのは、軍師としての冷静な判断でもある。だがそれ以上に、恋する一人の少女として、大切な人を失くしたくない者がいる事を重々承知している。彼に万一の事態が起きれば、それは自身の失策だ。恨まれるのはわかっているし、それを『仕方の無い犠牲だ』と流せるほど、自分は大人になっていない。

(聖王神ヨシュア様。どうか、皆をお守りください)

 戦略家が神頼みにするものではない、とは、亡き祖父ムスタディオ・シュタイナーの教えだ。それでもクラリスは、瞳を閉じて両手を組み、祈らずにはいられなかった。

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