第9章:白竜の王女(2)

 エルモーズの砦を臨む場所まで来た遠征軍は、最早敵に存在を感知されているだろうと理解しつつも、クラリスの指示によって、一旦雪に紛れた。そしてピュラが捕らえてきた魔王教団の巡回兵をエシャが歌で催眠状態にして、敵の戦力情報を引き出したのである。

 それによると、神殿の中には、ニードヘグとレディウスを守るごく少数の兵しか残っておらず、大半の戦力は、レインドル姉妹という女将軍達が率いているという。このレインドル姉妹というのが曲者で、ニードヘグを敬愛する長姉アレクトは暗黒騎馬団、策謀に長けた次女ティシオネはデーモン部隊、無邪気な残酷さを持つ末妹メガイラは魔道士達を率いて、遠征軍が乗り込んできた時に、三方向から包囲する手筈を整えているとの事だった。

 だが、こちらも精鋭揃いで、更にはクラリスというグランディア最強の頭脳がついている。

「包囲網を敷いているならば、包囲される前に各個撃破するまでです」

 そこでエステルは、アレクトにアルフォンス、ティシオネにテュアン、メガイラに自分が指揮官としてぶつかる算段を取り付けた。


 それぞれの戦士達が準備に奔走する中、着込んだ防寒具の上から肩当て胸当てを身に着けていたクレテスは、誰かに名を呼ばれて手を止めた。視線を転じれば、既に出撃準備を終えて鎧姿になったアルフォンスが、軽く右手を掲げて近づいてくる。

「いよいよだな」

「負けの許されない戦いだね」

 アルフォンスが傍らの岩の雪を払って腰を下ろしたので、話に応じさえすれば良いと判断して、防具装備を再開する。

「この戦いが終われば、エステルはグランディア女王になる」

「やっぱり、お前はカレドニアに帰るんだな」

 横目で見やると、幻鳥騎士は軽くうなずいた。生まれた順番で言えば、グランディアの王座は、エステルより先にこの少年に行くはずだが、彼はアガートラムを発つ際、重臣達の前で、王位継承権を放棄する旨を宣言していた。カレドニアに戻れば、民の熱烈な支持を受け、指導者として立つだろう。

「僕は王にはならない」

 だが、アルフォンスはごく生真面目な表情で、はっきりと言い切るのだ。

「カレドニア王族は、ジャンヌ王女の代で終わった。カレドニアは王制ではない方法で発展の道を探るべきだ」

 それよりも、と水を向けられて、クレテスは肩当ての金具を留めると、アルフォンスを見下ろした。ロイヤルブルーの瞳が、真剣さを宿してこちらを向いている。

「君には、エステルをお願いする事になる。彼女の傍で、支え続けてくれ」

「元よりそのつもりだけど、何だよ、改まって。騎士なら当然だろ」

 何故今更そんな事を言い出すのか。軽く息を吐き出しながら笑うと、アルフォンスは不思議そうに一度、二度、目をしばたたかせた。

「いや、そうじゃあなくて。その」

 少年は口ごもり、今思い至った、とばかりに、怪訝そうな表情を見せる。

「クレテス。君、エステルには言ってあるんだよね?」

「何を?」

「何をって」

 そこまで言われたところで、クレテスも唐突に気づいた。つまるところ、彼は友人ではなく将来の義兄弟として、クレテスに双子の姉を託そうとしているのだと。わかってしまえば、寒さも忘れる程に顔が火照る。

「……言ってない」「え?」

 蚊が鳴く程度の声で爪弾けば、相手が目を真ん丸くする。茹で蛸のようになっているのを自覚しながら、「だから!」とクレテスは声を荒げた。

「はっきりと言った事は、無い!」

 周囲の戦士達が何事かと振り向くが、知った事ではない。アルフォンスの面持ちが、驚愕から、やがて呆れに変わった。

「……君達、何年一緒に育ってきた……?」

「だって」クレテスはこめかみに手を当て、呻くように絞り出す。「トルヴェールでは、おれ達二人きりじゃあなかったんだぞ。誰かしらとつるんでたし、エステルにはアルフさんがついてたし」

 言外に「お前とは違う」を含んで返せば、アルフォンスも得心がいったとばかりに腕組みして唸ったが、おもむろに腕を解いて立ち上がると、両手をクレテスの肩に乗せて、真正面から向き合った。

「なら、尚更この戦いで君を死なせる訳にはいかない。生き残って、エステルを幸せにしてあげて欲しい」

 自他の感情に聡い奴、とは思っていたが、この相手には何もかも筒抜けらしい。

「努力する」

「そこは『必ず』だよ」

 力強く首肯すれば、苦笑が返ってきた。


あねさーん」

 最早耳に慣れた声に振り向けば、予想通り、目にも慣れた笑顔がそこにあった。意志とは関係無く速まる鼓動に、静まれ、と命じながら、セティエは平静を装って相手――クリフを見つめる。

 彼は防寒着に身を包んではいたが、それは白い雪原に不似合いなほどの漆黒である。まるで、暗闇に潜みにいくかのようだ。

「軍師殿から特命」何を言わんとしているのか、視線でわかったのだろう。少年はひらひらと片手を振る。「砦内、可能ならニードヘグのところまで潜って、レディウスが今どうしてるか見てきてくれ、って」

「それは」

 この一年で軍の隠密筆頭になったといえど、一人で敵地の最奥に潜入するとは、あまりにも危険な任務だ。相手は最強最悪のフォモール『ヴァロール』と、魔将リグの子孫。そして恐らく、フィルレイアで戦ったカタラという暗殺者もいる。

「だーいじょうぶ」

 だが、クリフはまるで遠足にでも行くかのような軽い調子で胸に拳を当てるのだ。

「オレが失敗した事あった? 姐さんが待っててくれるって思えば、たとえ火の中水の中、どこに行っても余裕で帰ってこられるって」

 それでも心配は尽きない。早くに両親を亡くし、祖父の死に目にも会えず、残されたのは弟だけ。どんなに気丈に振る舞っても、心に空いた穴に風が吹くのを痛感せずにはいられなかった。それを埋めてくれたのは、目の前の少年の明るさだ。彼という光を失えば、自分は底無しの闇に墜ちてゆくだろう。

 あまりにも不安が過ぎて、完全に顔に出てしまったらしい。クリフはしばらくの間、手の焼ける子供を相手にするような目でこちらを見ていたが、唐突に思い立ったか、首にかけている首飾りを外し、差し出した。

「約束」白い歯を見せて少年は笑う。「必ず姐さんのところに帰ってきて、これを返してもらうって」

 おずおずと差し出した手に、ちゃらりとチェインが落ちる。

「じゃ!」

 朗らかに手を振って、黒い姿が雪の向こうに去ってゆく。セティエはのろのろと、渡された首飾りに視線を下ろし、そして、息を呑んだ。

 チェインに付いている、銀製の牙の飾り《ヘッド》。それをセティエは見た事がある。亡き母クラインが常に身に着けていた物と、寸分違わない。首飾りは母と共に埋葬されてしまったが、その輝きを幼い瞳で見つめていた記憶は、たしかにある。

 はっと顔を上げる。少年の姿は最早見えなくなっており、出所を問いただす事はかなわなくなっていた。

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