第8章:黄金の都にて問う(9)
もうすぐ至近距離で炎が放たれる。約束された死を目前に、しかしノクリスは満ち足りていた。
『遠征軍に志願すれば、貴方に死が訪れます。どうか、参加は控えてください』
帝国崩壊後、北方遠征の準備が水面下で迅速に進められていた最中だ。アルフォンス王子の
『多分それ、俺がテュアン様をかばって死ぬ、とかですよね』
精一杯の平静を保って訊ねれば、少女の顔色が翳ったので、図星だ、と確信した。それで腹が据わった。
『惚れた女を救う為に命懸けられるなら、願ったり叶ったりですよ』
そう笑って、拳を打ち合わせた。震えているのは武者震いだ、と自分に言い聞かせながら。
だが今、気持ちは不思議と凪いでいた。帝国との戦いの
死んでいった仲間達に比べれば、狩りの武器しか使った事が無かった猟師出身にしては、長生きした方だ。歳の近い村娘と結婚するだけのはずだった平凡な人生に、彩りも添えられた。後は骨も残さず焼かれるばかりと、覚悟を決めた時。
竜の周囲を幾つもの何かが舞い、爛れた鱗に突き刺さる。かと思えば、雷撃が雨嵐のように降り注いで、
その首に、ぶつかるように噛みつく巨体があった。金色の鱗を持つ、雷を纏った新手の
「折角の、気の合う呑み友を減らすなよ」
呆れた声が降ってきたのでぐるりと首を巡らせれば、
「アウトノエさんに相談したんだよ。『ウルザンブルンの力に介入すれば、ろくでもない事が起きるかもしれないけど』って釘を刺されたけど、諦めきれなくてな」
そう。やがて訪れる未来を『視る』力は、遠征軍ではファティマだけのものではなくなっていた。ラヴェルにだけ決意は話していたが、まさか彼が、ノクリスの死を回避する為に、自分も巻き込まれる事を承知の上で、もうひとりのウルザンブルンの巫女に打開方法を聞きに行っていたとは。
驚きつつ地上を見下ろせば、モリガンと呼ばれた少女が、金属化したタロットカードを宙に踊らせ、雷竜――先程の名乗りから察するに、ゼノンに違いない――が屍竜と戦っている。盗掘者が見たという飛び回る何かと雷は、このふたりのものだったのだろう。テュアンはピュラの肩を借りて、安全な場所へ逃れたようだ。ウルザンブルンによる運命を曲げた反動は、彼女には及ばなかったのだ。
自分達を見上げる魔族の少女が含み笑いを浮かべている。唇が動いて、声こそは聞こえなかったが、
『後はどうなっても知らないよ』
と言ったようだ。それでノクリスは、自分が生き長らえた事を、ようやく実感する。
竜の神殿の扉がまばゆく輝いて、辺り一帯を光で満たしたのは、その時だった。
今までに無い強い光に包み込まれる。ここを抜けたら戦いだと察したエステルは、今までの相棒の代わりに腰に帯びたドラゴンロードに手を伸ばした。
竜王剣がヌァザの継承者を認識して、ほのかに熱を帯びる。柄に触れれば、長年親しんだ得物のように、あるいは前世から約束された相手のように、手がぴたりと吸い付く。鞘から抜き放てば、透明な刃は青白い光を帯びた。
記憶の海に流されるままの勢いで、エステルは神殿の扉をくぐる。現世に帰ってきたと認識した瞬間、四英雄の武器は倒すべき相手を定めた。
導かれるように。屍竜に向かって剣を振り上げる。竜の中の竜である者が振るった剣は、他のあらゆる竜を圧倒するのだろう。振り下ろした刃はまるでバターを斬り裂くかのように容易く屍竜の背に深々と突き刺さり、心臓を貫く感覚を手に与え、更なる光を放った。
ブリュンヒルデだった屍竜が最期の咆哮を迸らせる。
『れでぃ、うす……さ……ま……』
竜獣の声帯が人の言葉を発するのかはわからない。少しでもブリュンヒルデの心が残っていたら、と願ったエステルの空耳かもしれない。だが、その名が確実に鼓膜を叩いたのを最後に、屍竜の身体がぐずぐずと溶け落ちてゆく。
光の中、ひとの姿を持った女性が、寂しそうな笑顔で両腕を天に差し伸ばす幻影が見えた。
本当は、懐刀ではなく、ひとりの恋する娘として、レディウスを抱き締めたかっただろう。だがそれは、エステルの想像止まりであり、彼女の本心かはわからない。
「貴女の分まで」
だからせめて、手向けの言葉を贈る。
「レディウスを、止めてみせます」
幻が、赤い粒子になって消えてゆく。後には、赤黒い染みしか、死した火竜が存在した証は残らなかった。これが、彼女に対する救済になったのだろうか。その染みを見つめて立ち尽くしていると。
「エステル!」
クレテスの声が耳に届き、顔を上げるより先に、がばりと抱え込まれた。突然の事に完全に硬直し、事態を把握するのにしばし時間がかかってしまう。少年の腕の中にいるのだとわかれば、羞恥が一気に訪れた。
「わ、悪い!」
「いえ……」
クレテスも、自分のした事が唐突に過ぎると気づいたのか、すぐに身を離す。心なしか顔が赤いのは、まだ辺りに漂う、ブリュンヒルデが運んできた熱のせいかもしれないと思う事にする。
「逃げ足だけは早い奴」
アウトノエの悪態につられて周囲を見渡せば、魔王教団の暗殺者カタラの姿は見えなくなっていた。劣勢を悟って撤退したらしい。
誰もが疲弊し、傷を負っている者もいるが、死者はいないようで、安堵の息をつく。これ以上、味方が減るのを見たくはないし、戦力を減らしたくないという打算もある。その中で、オディナに治療を受けるアルフォンスを見つけて、エステルは早足で近づいていった。
「それが、ドラゴンロードかい」
オディナが「毒を受けましたが、ほぼ中和しています」とエステルに告げる隣で、地面に直座りした弟は、彼にしては少々頼り無い笑みを浮かべる。
「君が大変だった時に、ろくに役立てなかったよ。情けない」
その言葉に、エステルは首を横に振り、身を屈めると、アルフォンスの肩に腕を回し、力を込めて抱き締めた。
「エ、エステル!?」
途端にアルフォンスが裏返った声をあげて狼狽える。
だが、今は。
「お裾分けです」
母がくれた抱擁の温かさが、弟にも少しでも伝わるように。アルフォンスが怪訝そうな表情をしても、エステルはしばらくの間、弟から手を離さず、何か意味があるのだと察した相手も、やがてされるがままになった。
「何で今更、仲良しこよし姉弟をこんなところで見せつけるんだ?」
呆れ声が降ってきたので見上げれば、テュアンが、わけがわからない、とばかりに眉をひそめて見下ろしている。丁度良いタイミングで、もう一人の相手が来てくれた。エステルはアルフォンスから腕を解いて立ち上がると、女剣士の耳元に唇を寄せ、大事な伝言をささめく。
松葉色の瞳が、驚愕と戸惑いに満たされる。本当は、この表情を見たかったのは、伝言を託した本人だったろう。まだ少しばかり胸を刺す針の痛みには、気づかない振りをした。
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