第8章:黄金の都にて問う(10)
「ゼノン様!」
モリガンの気遣わしげな声が耳に刺さって、エステルはそちらを振り向いた。
ブリュンヒルデと戦って消耗したのだろうか。回復魔法で少しは和らげる事ができるか。駆け寄りながらロッテを呼ぼうとしたが、ゼノン自身が片手を挙げてそれを拒否した。
「大事無い」
とても大丈夫そうには見えないのに、ゼノンは荒い息をつきながらも、言葉を継ぐ。
「寿命の近さ故だ。老化は竜の本質を
モリガンを守り人として傍に置いたのは、自分の命の浪費を防ぐ目的もあったのか。そこまで彼を待たせてしまった事に、申し訳なさが立ったが、ゼノンは「貴女が気に病まれる必要は無い」と
「我は充分な生を送った。最早いつ同胞の迎えが来ても、後悔は無い。心残りは」
黄色の瞳が、今にも泣き出しそうなモリガンの顔に向けられる。
「ゼノン様、最初に会った時に言ってくださったじゃないですか。竜の寿命は人間より長いから、わたしを看取るって。あの約束を、守ってくれないんですか!?」
「まさか、覚えていたとはな」
竜の青年が苦笑し、そっと、人間の少女の頬に手を添える。
「竜王剣はしかるべき方の手に渡り、竜都は役目を終えた。モリガン、お前ももう自由だ。人の世界へ帰るべき時だ」
たちまち紫の瞳が潤む。少女がぶんぶんと首を横に振れば、涙の粒が宙を舞った。
「嫌です。ゼノン様は、捨てられたわたしに、居場所と生き甲斐をくれました。
「気持ちはわかりますけど、ゼノンさんの想いも汲んであげた方が、良いんじゃあないですか?」
駄々っ子のようにしゃくりあげるモリガンに向けて言葉を放ったのは、クラリスだった。辛辣な言い様に、モリガンがきっと鋭く睨み返すが、軍師の少女はそれで動じる事無く先を告げる。
「竜族が亡くなる時には、死の寸前まで若い姿を保った反動で、一気に老いが訪れると言います。実際、ドリアナ妃逝去の際には、アルベルト王お一人が立ち会って、日記に仔細を残されたんです」
クラリスはあくまで淡々と言い募るが、翳った表情が、決して非情に事実を突きつけている訳ではないのだと物語っていた。
「ゼノンさんは、大事な貴女に、ご自分の老いた姿を見られたくないんですよ」
モリガンが、弾かれたように面食らった顔をして、ゆるゆると、ゼノンに視線を戻す。青年は何も答えない。それが全ての答えだ。
少女の震える手が、青年の銀髪を愛おしげに梳く。青年の手が、壊れ物を扱うかのように優しく少女の頬を撫ぜる。竜都で人と竜の間に絆が生まれたのは、エステルの祖父母だけではなかったのだ。
ここにも希望がある。たとえ天寿が二人を引き裂くとしても、紡がれたものは決して夢物語ではないのだ。
「モリガン、今は行け。我が叶わぬ分まで、エステル王女と共に」
ゼノンが切実な表情で少女に訴える。本当ならば、自分が竜獣と化して戦えば、魔王教団の尖兵を蹴散らせるだけの力を振るえるだろうに、もうかなわない己が身を、もどかしく思っているのだろう。それを察したに違いない。想いを受け取って、モリガンはしっかりと首肯した。
絆が芽生えたのは、竜と人だけではない。エステルは立ち上がり、アウトノエのもとへと歩み寄る。
「改めて名乗った方がいい?」
魔族の少女は観念したように溜息をつき、腕組みして胸を張った。
「アウトノエ・エルバドール。英断魔将リグ・エルバドールの子孫で、父親は間違い無く、ニードヘグ・エルバドール」
解いた両手を肩の高さに掲げて、アウトノエは半眼で見すえてくる。
「どうする? あのひとの血縁者なんて、殺したいほど憎いでしょ? ドラゴンロードで斬る?」
自嘲気味に唇を歪める少女に、しかしエステルは即座に、「そんな事はしません」と首を横に振ってみせた。
「たしかに私達は、ニードヘグに多くの仲間を奪われてきました。ですが、その娘だからというだけで、復讐の対象にしては、憎悪の連鎖を繰り返すだけです」
「そうだよ!」
リタが横から身を乗り出して、話に割り込んでくるが、エステルは親友を信じて、敢えて止めずに見守る。
「アウトノエの人生は、アウトノエのものだろ。親がどうとか関係無いよ」
魔鳥騎士の跡取りとして期待されながら別の道を選んだ、真っ直ぐな性根のリタらしい言い分だ。他の面子を見渡せば、クレテスも、アルフォンスも、ニードヘグに思うところのあるだろうテュアンやピュラまでも、うなずいて同意を示してくれる。
アウトノエは、オディナやわずかな同志達と共に暮らしてきて、大勢に受け入れられる事に慣れていなかったのだろう。目を真ん丸くし唇を尖らせ手を組んで、しばらくもじもじとしていたが、「……ありがと」と、消え入りそうな声で礼を述べた。
「あたしも、最後までつきあうよ」と小さく付け加えて。
少女達の身の振り方が決まったところで、「エステル様」とクラリスが顎に手を当て、思案顔で進言してきた。
「四英雄の武器は揃いました。後はニヴルヘルに乗り込んで、そこにいるだろうニードヘグとレディウスを討ち、魔王教団を瓦解させれば、この戦いは終わります」
そこまではエステルも想定の範囲だった。しかし、「ですが」と軍師は愁眉を曇らせる。
「遠征軍は、解放軍に比べれば遙かに寡兵。今から北方諸国を突っ切ってニヴルヘルに向かうには時間と戦力が足りず、かと言って、魔道士の転移魔法を期待するには、それはそれで人数が多すぎます」
つまるところ、移動手段で詰んでいる訳だ。わかっていたら、セルデ・ゲルマンに従っていた魔道兵の中から転移術に長けた者を選抜してきたのだが、後悔などしても詮無いものだ。
「ここに来て、八方塞がりかよ」
リカルドが毒づいてがりがり頭をかいたが。
「その心配は要らないよ」
やけに自信に満ちた声が、停滞していた場の空気を叩いて揺らした。皆がそちらを見やる。注目を浴びながら進み出てきたのは、エシャラ・レイだ。
「そういやあんた、今までどこ行ってたの?」
クリフが今更と言えば今更の質問を投げかけると、フォモールの王は、腰に手を当て、不敵な笑みを閃かせた。
「フィルレイアにフォモールの遺産があってね。竜族がそうと知らずに書き残した、ボクらだけが効果を発揮できる歌さ。その中に、大部隊の転移術もある」
「それを探しに行って、ずっといなかったのか。よく見つけたな」
クレテスが、呆れ半分感心半分といった態で返すと、エシャは笑みを消し、生真面目に唇を引き結ぶ。
「いつか再臨したヴァロールやその仲間に気づかれないよう、フォモールは三種族の遺産の中に、奴らに対抗する
ぱん、と。エシャは景気づけのように両手を打ち合わせた。竜王剣、聖王槍、白銀聖王剣、魔刃を受け継いだ四人が、お互い顔を見合わせる。
クレテスの蒼い瞳と視線が交わる。幼馴染はエステルが見つめているのに気づくと、微かに口の端を持ち上げて、軽くうなずいてみせた。
母が言ってくれた通り、自分は独りではない。仲間達が支えてくれる。その中に、クレテスがいてくれる事が、何よりも心強い。
「行きましょう、ニヴルヘルへ」
エステルは鞘に戻していたドラゴンロードを再度引き抜き、高々と掲げる。
「魔王教団と、レディウスを打ち破り、この大陸に、真の平穏を!」
持ち主の意志に応えるように、竜王剣は青白い光を力強く放つのであった。
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