第8章:黄金の都にて問う(7)
振り下ろされた青い輝きを、エステルは咄嗟に剣を掲げる事で弾き返した。相手は戦い慣れた自分より遙かに細腕なのに、予想以上の力がかかって、一歩、二歩、後ずさる。
後退は許さない、とばかりに青が流線形を描く。自分を狙う刃を、光の軌跡だけを頼りに避けなくてはならないのは、レディウスの見えない攻撃をかわさねば死ぬところだった時に似ていて、ぶわりと全身から汗が噴き出した。
「逃げるだけですか」
ミスティが再度瞳を細め、冷たく言い放つと、またも翼を羽ばたかせる。それだけで烈風が吹き荒れて、面を伏せて踏み留まるのが精一杯だ。だが、迫る殺気に、見えないまま左に身を捻れば、ひゅん、と耳元をかすめて通った気配に、今度は背筋が冷えた。
更に後退しそうになっていた足を叱咤して、大きく踏み込む。雄叫びをあげながら振りかぶった一撃は、しかし空を裂くばかり。己の失態に気づいた時には、透明な刃が右肩を貫いていた。
途端に襲い来る激痛に剣を取り落とし、意味を成さない大声をあげながらうずくまる。刃が引き抜かれた傷口に手を当てれば、ぬるりとした生温かい感触が次から次へと溢れてきて、たちどころに服を、床を、赤く染めてゆくのが、見ずともわかる。深傷を負うのは初めてではない。だが、容赦の無い一撃の前に、呼吸の仕方さえ忘れ、無駄に口を開けてひゅうひゅう言うばかり。貧血と酸欠で意識を手放しそうになった時。
白く温かい光が降り注ぐのを、エステルは知覚して、必要以上にきつく瞑っていた目を見開いた。血が止まって、傷が塞がってゆくのがわかる。痛みという名の魔物が尻尾を巻いて逃げてゆく。これは回復魔法だ。しかも、ロッテやファティマが行使する術より数段回復力が高く、速い。
これだけ強力な術を使える人物を、エステルは知らない。唯一人、かつて叔父アルフレッドから聞いた限りを除いては。
『あのお方は、聖王と竜王の血脈から受け継いだ力の全てを、他者を癒す術に
果たして顔を上げれば、同じ色の瞳と視線が絡み合った。その目には確かに、娘を想う感情の光が揺れている。
「……これが、私がレディウスに受けた痛み。そして、貴女がレディウスに与える痛みです」
エステルの肩に手を当て、回復魔法を施しながら、ミスティは静かに告げた。そして、傷が完全に癒えるのを確認すると、再び距離を取ってドラゴンロードを構え直す。
「あの子を救う為に、この痛みを与える意志が、貴女にはありますか?」
その言葉に、エステルは今更ながら思い至った。
母はやはり『優女王』だ。最早エステルがレディウスに引導を渡す事だけが彼を救済する道だと、わかりきっている。だからこそ、全ての情に蓋をして、自分の前に立ちはだかっている。同じ
母もこれだけ腹を括っているのだ。娘が応えない訳にはいかない。エステルは、傍らに落ちていた剣を再びつかむ。掌に溜まっていた血で柄がぬるんだが、しっかりと力を込める事で手放さないようにして、思いを巡らせる。
自分の存在によって再起を賭けてくれたデヴィッド。死の寸前まで行きかけたルディ。呪われろ、と遺したホルト。語り合えたかもしれないフォーヴナ。もう一人の母のようなティファ。生涯の親友になりたかったジャンヌ。信じる道の為に自らを犠牲にしたセルデ。王国の再興を夢見て待っていてくれたシャンクス。
倒すしか無かった、言葉を交わせなかった、信念が相容れなかった、バルトレットや帝国の将軍達。
そして、エステルの未来を繋ぐ為に命を擲った、アルフレッド。
自分は、大勢の生命と、願いと、祈りと、呪いを、この双肩に負っている。こんな所で人知れず朽ち果てる訳にはいかないのだ。
剣を構え直せば、母も体勢を整える。次の一合で決着がつく。エステルは確信していた。その時、自分が勝者として立っていなくてはならない。
力を込めて、床を蹴る。ミスティが一層力強く羽ばたいて向かってくる。
白い世界に、決意がぶつかり合う音が、甲高く響き渡った。
遠征軍と、魔王教団の密偵頭カタラ、そしてこの世に留まりし
最初の炎で何人かが火傷を負い、ロッテとファティマが必死に回復に当たっている。セティエとティム、そしてオディナが魔法障壁を生み出し、続く波を防いでいるが、三人がかりの防御を持ってしても、執念の炎はじりじりと肌を焼き、滴り落ちる体液が、障壁に触れてじゅうじゅうと嫌な音を立てる。生身で触れたら、たちどころに皮膚が溶けてしまいそうだ。
「防御一辺倒ではいられません。反撃の策を講じました!」
クラリスの指示を受け、四英雄の武器に守られるクレテス、アルフォンス、アウトノエ、そして聖剣の加護があるテュアンとピュラが、炎の合間を縫って、屍竜に肉薄する。頭上を飛び回る
しかし、攻撃は届かなかった。ガルーダが小さく鳴き、相棒の意図とは異なる落下をして、竜獣を素通りし、地面に衝突したのだ。
「兄様!?」
後方で回復に努めながら戦いを見守っていたファティマが、悲鳴混じりの声をあげた。アルフォンスは幻鳥の背から放り出されこそしなかったが、苦悶の表情で右腕をおさえている。その腕と、ガルーダの翼に、黒々とした針が突き立てられていた。
「オディナ!」
アウトノエの一声で、彼女の腹心は無言で魔法障壁を中断し、「あ、ちょっと!」と焦り声をあげるティムを無視して姉弟に役目を任せると、幻鳥騎士のもとへ駆け寄った。二本の針を無理矢理引き抜き、回復魔法を施せば、ロッテやファティマほどではないが、確実に傷が塞がってゆく。
「あいつの針には気をつけて」
アウトノエは真剣な表情をしながら、屍竜の陰に隠れている密偵頭を睨みつける。
「熊も殺せるような、魔族が使う毒を知り尽くしてるから。人には治せないものもあると思う」
竜の攻撃をしのぎながら、暗殺術にも気を配らなければいけないのか。最早人間業ではないと思われたが、できなければ即死も免れない。クレテスもテュアンもピュラも聖剣を握り直し、示し合わせもせず三方向に散開した。
標的が分かれた事で、屍竜は判断が鈍ったようだ。苛立たしげに地面を踏み叩き、
その間にも、テュアンとピュラが屍竜に斬りかかる。少しずつ、だが確実に身を削ぎ落とされて、哀れな竜は最早炎を吐く事も忘れ、我武者羅に暴れる。振り回した尻尾に足を取られ、テュアンがよろめいて倒れ込んだ。
地面は柔らかい土と言えど、すぐには起き上がれない。そこへ大きく顎(あぎと)を開いた竜が迫る。
「テュアン様!」「テュアン!」
トルヴェールの子供達が叫びながら飛び出すが、呑み込まれ噛み砕かれる方が早いだろう。誰もが諦めの境地に至った時。
「俺の一番を、死なせるかよおおお!!」
誰よりも早く、竜と女剣士の間に我鳴りながら割って入った人物がいた。
ノクリス・バートンは、覚悟で血走った目を限界まで見開き、手にした
「馬鹿、逃げろ!」
テュアンの必死の叫びに、青年は振り返り。
「貴女の為に死ねるなら、本望です、テュアン様」
やけに穏やかに、嬉しそうに笑み崩れるのであった。
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