第8章:黄金の都にて問う(5)

 数十年、まともな目的を持って訪れる者の無かった竜都フィルレイアは、静寂の泉の中にあった。

 木々が遠慮がちにこすれ合う音。時折小さく鳴く鳥の声。そこに、割れた石畳を踏む遠征軍の足音が混じる。たまに誰かが石ころを踏んで、じゃり、と地面が不満の声をあげた。

「あの」

 エステルは沈黙に耐えかねて、迷い無く先導するゼノンの背中に呼びかける。

「ゼノン殿は、私の祖母を知ってらっしゃるのですか」

「ゼノン、で良い。貴女が我ごときに『殿』をつける必要は無い」

 淡々とした口ぶりから、余計な事は話さないかと思ったが、竜の青年は肩越しにちらと振り返り、切れ長の目を細めた。

 機嫌を損ねたか、と首をすくめると、「しかし」と、意外にも、ゼノンは前に向き直りながらも先を続けた。

「ドリアナ姫も王族としては独特の価値観の方だった。『我々は平等に竜族だ。功を成したのは父で、本来私は敬われる立場ではない』と、姫扱いをされる度に、嫌そうな顔をしたものだ」

 エステルの振った話に応えてくれたのだ。軽い驚きに目をみはる間にも、ゼノンの話は続く。

「我が母ティルダは姫の世話役として、姫が生まれた時からグランディアに渡るまで、仕え続けた。丁度」

 彼が指差す先を見やれば、それまで穏やかに続いていた森の木々が、町ひとつ分ほどなぎ倒されていた。炭化した物もあるのを見るに、燃えたのだろう。そこから新たな芽が生えて育っていった様がうかがえる。

「その辺りだ。フィアクラに狩りに来ていて、刺客に襲われた、グランディアのアルベルト王を、姫が助けた。それを追ってきた刺客が、フィルレイアの森をアルベルト王ごと燃やそうとしたのを、白竜となった姫が阻止したのだ」

 刺客はアルベルト王に仕えていた、王位転覆を狙う宰相で、直接ドリアナやアルベルトがとどめを刺した訳ではなく、燃え倒れてきた木に巻き込まれて死んだのだという。祖父母がひとを殺めたのではない事実に、エステルはほっと胸を撫で下ろし、そして、添える自分の手は赤く染まっている事を、改めて思い出す。

「お二人がフィルレイアで共に過ごしたのは、ほんの一日二日だ。だが、お互いに離れ難い想いを抱くのに、時間は必要ではなかったのだ」

『君がいい』

 刺客を退けたアルベルトは、ドリアナの竜獣ドラゴンの本性を見ても臆する事無く、ひとの姿に戻った彼女の手を取った。

『君以外を妻に迎えるなど、考えられない。君を妻にできぬならば、私は、自分の代でグランディアが終わってもかまわない』

 グランディア王国の重鎮が聞いていたら卒倒しそうな台詞を放って、アルベルトはドリアナに、フィアクラを離れる決意をさせたのだという。

「積極的な方だったのですね、お祖父じい様は」

「それを受け入れたお祖母ばあ様もだね」

 エステルがくすりと笑み崩れると、傍らを歩くアルフォンスも眉を垂れて口元を緩め、「だけど」と呟く。

「お二人の情熱があったから、僕達は今、ここにいられるんだ」

 そう。様々な人々の熱意と、数多の奇跡があったからこそ、自分はこうして生きている。背後に置いてきた無数の思い出と屍の全てを覚えておく事はできないが、その存在の上に今の自分がある、という事は決して忘れてはならないのだ。

 再び沈黙が落ちる。

 竜族のかつての居住区を抜け、舗装されていない一本道を進むと、木々に埋もれるようにたたずむ、神殿風の建物の前に辿り着いた。やはり住居と同じ大理石で作られ、入口は把手とっての無い扉で固く閉ざされている。

「ここだ」ゼノンが歩を止め、エステルを振り返る。「竜王剣ドラゴンロードは、この神殿の中に。ノヴァの紋章による盟友の力で扉の封印が解ける」

 神殿風、ではなく、本物の神殿だったのだ。目指す物の名を耳にして、エステルの心臓は大きく跳ねる。その間にも、意を汲んだクレテスが前に進み出た。

 少年は、扉の前に立ち、懐から取り出した、実父の形見でありノヴァの継承者の証である紋章を、扉にあった窪みに填め込む。途端、紋章を中心に直角的な蒼い光の筋が幾つも扉に流れ、割れ目も見つからなかった扉が、重たい音を立てて両側に滑り開いた。

「ここから先に入れるのは、竜王直系だけ。資格無き者が入ろうとすれば、竜の守護者がその身を焼き尽くすと言われている」

 ゼノンが厳かに告げ、エステルを振り返る。ごくりと喉を鳴らし、緊張に汗をかく手を握り締めて、一歩を踏み出そうとした時。

「――来たよ!」

 それまでだんまりで、オディナと共に後ろをついてくるだけだったアウトノエが、彼女にしては珍しく大きめの声をあげた。誰よりも早く反応したのはモリガンで、どういう原理か、紙から金属に硬化したタロットカードを、振り向きざまに投げつける。木陰に向かったカードは、金属同士がぶつかる音を立てて地に落ちた。

「……カタラ」

 アウトノエが、心底面倒くさそうに顔をしかめる。姿を現したのは、全身黒ずくめの、あまり背の高くない魔族であった。

「アウトノエ様」

 カタラと呼ばれた魔族は、腰を低めた体勢で両手それぞれに短剣を構えた。頭巾の下に隠れている目が油断無くこちらを見すえているのが、ぴりぴりと刺すような敵意で感じる。

「ニードヘグ様を、魔族の頭領であるお父上を裏切る行為。リグの血脈に仕える『呪いカタラ』を継ぐ者として、見逃す訳にはまいりません」

「ニードヘグが、父親ぁ!?」

 テュアンが突飛な声をあげたが、その場にいる遠征軍の誰もが、彼女と同じ驚きにとらわれた。あの魔族は、四英雄の子孫でありながら、ヴァロールを生み出し、大陸に戦の渦を生み出したというのか。

 皆の注視を浴びたアウトノエは、深々と溜息をついて「最悪」と毒づいたが、すぐに眉をつり上げ、カデュケウスの刃先をカタラに向ける。

「あのひとの事なんて、どうでもいいでしょ。あたしはあたしの思うままに生きる。それを邪魔するなら、父親でも許さない」

「残念です。貴女様の死を、あのお方に報告せねばならないのは」

 膨れ上がった殺気に、オディナがアウトノエをかばうように前に出て、戦士達は各々の武器を構える。

「エステル、行け!」

 いつの間にか隣に並んでクラウ・ソラスを抜いていたクレテスが、蒼の瞳で見下ろしてきた。

「神殿の中に入れるのは、お前だけだ。お前が戻るまで、必ずこの場は守るから」

 正直なところ、不安は大きい。ニードヘグとアウトノエの関係を知った衝撃は治まっていないし、このカタラという刺客は、まだ隠し球を持っていそうだ。

 だが、これまでの道程で、幼馴染が約束を違えた事は一つも無かった。ここで彼を信じなければ、先に待っているのは、遠征軍の全滅と、大陸のあらゆる生命の死だ。

「……気をつけて」

「お前も」

 長い付き合い故、必要以上の気遣いの言葉は要らなかった。目を合わせ、すぐにすれ違って、エステルは神殿の中へと向けて走り出した。

 扉をくぐった途端に待っていたのは、大理石の廊下ではなく、虚無の空間で、闇がエステルの全身を包み込む。

 前後左右の感覚を完全に失い、我武者羅に足掻いてもつかめる物は何も無い。浮いているのか、落ちているのか。それすらわからないまま漂う真っ暗な視界に、ぽうっとひとつ、北果ての星のごとき光が灯る。エステルはそれを目指して、闇の中を泳ぐように手足を動かし始めた。

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