第8章:黄金の都にて問う(4)
シャングリア大陸は、地域によって寒暖の差が激しい。中央に位置取るグランディアは比較的温暖で四季に恵まれているが、南東のアルフヘイムは暑く乾いた岩石砂漠が領土の大半を占め、南西のカレドニアは山岳地帯故の厳しい気候変化に見舞われる。そして、聖王教会領やラヴィアナ王国より北の北方諸国は冬が長く、最北端の魔族居住区ニヴルヘルは、常に雪に閉ざされているという。
地図上の緯度としてはニヴルヘルとほぼ同じにあるフィアクラだが、彼の国は針葉樹林に覆われながらも、一年を通して、不思議と穏やかな空気に包まれている。ヌァザ王が神の加護を受けた為、と言われているが、『ならば魔将リグが向かったニヴルヘルは何故極寒なのだ』『それこそ魔族が魔王を擁して覇権を目論んだ罰だ』と、揶揄が飛び火する原因を作りもした。
集落で聞いた通り、時折野生に堕ちた魔物に出会い、しかし戦い慣れた戦士達にとってさしたる脅威にはならず、退けながら北上する事、数日。それまで冷え込んでいた大気が温もりを帯び、立ち込めていた灰色の雲が割れて、針葉樹の合間から青空が覗く。
今まで訪れたどの国とも異なる、大理石が積み上げられた家の廃墟。噴水と思しき建造物が中心にある広場には、どんな金属を使っているのか傍目にはわからない、翼と鱗持つ獣――竜の像。
遠征軍の誰もが、遂に竜の国フィアクラ王都、フィルレイアに辿り着いた事を、確信した。
「この都市のどこかに、竜王剣ドラゴンロードが眠っているのですね」
エステルは周囲を見渡し、それから頭上を仰ぐ。クレテスがヴェルハルト王から受け継いだノヴァの紋章は、ドラゴンロードの封印を解くのに必要という事だった。だが、それをどこで使えば良いか、皆目見当もつかない。
十七年苦しんだ死者に、しかも想い人の実の父親に文句を言うのは、悪いとは思いつつも、取っ掛かりくらいは教えて欲しかった。溜息をひとつ零した時。
「――エステル、気をつけろ!」
クレテスが警告を発し、クラウ・ソラスを振り抜いた。高い金属音を立てて、エステルの背後に迫っていた何かが地に落ちる。真っ二つに割れたそれは、落雷で崩れ去る塔の絵が描かれた、カードのように見受けられた。
たちまち遠征軍の戦士達の間に緊張が走る。一体誰が、どこから。いよいよ魔王教団の妨害が訪れたのか。敵の規模はどれだけか。各々が武器を構えると。
「出ていけ!」
険を含んだ女声が聞こえて、噴水の像の上に、人影が現れた。
「ここは竜族の眠る聖地。それを侵す者は、
まだ二十歳に届かないだろう、女性と呼ぶには幼い人間の少女だった。薄紅色の髪をふたつに結わき、普通にしていたら愛らしいだろう顔に敵意を満たして、こちらを見下ろしている。その手には、エステルを狙った物と同じカード――タロットのようだ――を数枚、いつでも投げつけられるように構えて。
「ちょ、ちょっと!」
ピュラの背後からクラリスが飛び出して、拳を振りながら訴えた。
「わたし達は、
彼女の主張にも、相手の少女は鼻先で一笑に伏し、びっとカードをクラリスに向けて突きつける。
「聞き飽きた盗掘者の言い訳だ。まだ、フィアクラに黄金が眠っているとか夢見ている馬鹿共が、外の世界にはいるのか? 逃げ帰るか、フィアクラの土になるか、少しだけ時間をやるから良く考えろ!」
「聞く耳持たない人ですね! 他人の話を聞かない人は嫌われますよ!?」
流石に魔族でも竜族でもない妨害が入るのは、軍師にも想定外だったらしい。策をどうこう以前に、罵倒が飛び出す。
「嫌いで結構、お前に好かれる筋合いは無い! お互い嫌い同士で丁度良いじゃないか!」
「ああー、むかつくむかつく! そっちがその気なら、こちらも全力で立ち向かうまでです!」
売り言葉に買い言葉。突然始まった舌戦に、エステルは剣を握る手を思わず下げ、クレテスが呆れ気味に肩をすくめ、他の戦士達も苦笑いを浮かべていると。
「よせ、モリガン。待ちびとだ」
険悪な空気に清浄なひとしずくを注ぐがごとき、静かな声が降った。竜の像の前に転移魔法陣が生じ、新たな役者が現れる。
金を帯びた銀髪。蛇のような瞳孔を持つ黄色の瞳。一目で、純血の竜とわかる、人形めいた美しい青年であった。
モリガンと呼ばれた少女が、苦い物でも含んだような表情をしながらカードを引っ込めると、竜の青年は、踝まで隠す長いローブを翻しつつエステルの前に歩み寄ってきて、厳かに膝をつき、頭を垂れた。
「お待ちしておりました、ドリアナ姫の孫君。我らがヌァザ王の正統なる
青年は淀み無く口上を述べ、名乗る。
「我は眷属がひとり、雷竜のゼノン・アージェ。フィアクラへようこそおいでくださった。四英雄の末裔方」
「ええーっ!?」
モリガンが素っ頓狂な声をあげ、エステルを指差しながら、こちらとゼノンと名乗った青年を交互に見やる。
「本当に、ほんっとーうに、こいつらが、ゼノン様がずっと待っていらした、ヌァザ王の子孫達なんですか?」
遠慮会釈も無い言い様に、エステルはぽかんと口を開け、隣でクラリスが「むうう」と呻いているのを聞く。恐らく、何か辛辣な一言を叩き返したいのだろうが、幽霊の件といい、彼女は理屈の通らない戦いは苦手らしい。
「慎め、モリガン。我らフィルレイアの
途端に、少女は唇を尖らせ、納得がいかない、という表情をありありと
「我が手の者が、大変失礼をした。モリガンには、この竜都フィルレイアの地図と同時に、盗人を撃退する
しかしながら、と一呼吸置いて、ゼノンは睫毛の長い目蓋を半分閉じた。
「この娘も、帝国支配下の厳しい辺境情勢により、口減らしの為に生まれ育った村を追われた者。人に対して疑心暗鬼になるのも必定。どうかお見逃しいただきたい」
「……それは言わなくてもいいじゃあないですか」
頭を垂れたまま、モリガンがどこか気恥ずかしさを込めた声色で呟く。だが、語られた内容に、エステルは咄嗟に返すべき台詞を見失って、唇を噛みうなだれた。
帝国の長き支配は、人々から富と命と、穏やかに生きる心を奪っていった。犠牲になるのは弱き者からであった。たとえそれを解き放ったのだとしても、奪われた物が戻る事は無い。生活と同時に貧しくなっていった、人の心というものも、取り戻すのに長い長い時間が必要だろう。
「ごめんなさい、私の力が及ばなかったばかりに」
エステルの口から、自然と謝罪は零れ落ちた。これが解放軍時代だったら、またクレテスに「盟主が人前で簡単に謝るなよ」と苦い顔をされただろう。それでも、自分の手をすり抜けて地面に染みを作った水を見て、平然としてはいられない。
のだが。
「私なんかに頭下げてどうするんですか?」
心底呆れたような声がかけられて、エステルははっとモリガンを見やった。少女はいつの間にか顔を上げ、深い紫の瞳で値踏みするようにじっとこちらを見ている。
「そうやって、自分が直接迷惑をかけた訳でもない相手に、逐一謝って回ってたら、一生かかっても終わりませんよ」
真実を突かれて、ぐうの音も出ない。王位を継げば、汲み上げなくてはいけない水は更に増える。その一滴一滴にいちいち頭を下げる暇は無くなる。だから今、せめてこの少女には謝らなくてはいけないと、そう思ったのだが、それすらはね除けられるとは。肩を落とし眉を垂れると。
「まあ、それが貴女が『優女王』の娘だって証なんでしょうね」
褒め言葉なのか、揶揄なのか。平坦な口調なので判断がつかない言葉を吐いて、モリガンは軽く口の端を持ち上げた。そしてスカートの裾を払いながら立ち上がると、「ゼノン様!」と傍らの青年に呼びかける。
「本物の王女様なら、早く案内してあげましょうよ。魔族もこのまま黙ってるとは思えませんし。静かな竜都に戻す為にも、ちゃちゃっとやる事やって、出ていってもらいましょう」
認めてもらっているのか、本当に邪魔だと思われているのか、やはり見当がつかない。エステルは情けない表情になって、誰とはなしに、助けを求めるように振り返る。たまたま目が合ったのはアルフォンスで、片翼は何も言わずともこちらの戸惑いを察してくれたのか、苦笑いを浮かべると、肩をすくめた。
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