第8章:黄金の都にて問う(3)
竜の王国フィアクラは、ラヴィアナの北西、針葉樹の森に覆われた地にあった。あった、と過去形なのは、今はもう住むべき竜族達がいない為、とされている。
三百年前、四英雄が魔王イーガン・マグハルトを倒して、戦士達がそれぞれの道へ進んだ時、竜王ヌァザは眷属を率いて密かにフィアクラをうち立てた。始祖種フォモールが滅びた後、大陸各地に散り、聖戦によってヌァザの元に集うまで数百年。国、という概念を持たなかった竜族にとって、最初で最後の王国である。
それから二百数十年。ヌァザが天寿を全うし、一人娘であるドリアナ姫が、ヨシュアの子孫アルベルト王に見出されてグランディアへ嫁ぐと、奴隷密売や復讐を目的に乗り込んできた人間や魔族によって、竜族は狩られてゆく。生まれくる数より殺戮や寿命で旅立った同胞の数が多くなっていた竜族は衰退の一途を辿り、大陸に散り散りになった。中には、子を奪われた怒りによって理性を手放し、はぐれ竜として人間世界へ飛び出して、滅ぼし滅ぼされた老竜もいた。
今やフィアクラは、静寂に包まれた廃墟であり、息づく者はいないという。
だが、しかし。
残された黄金や宝があると期待に胸を弾ませて竜都フィルレイアに向かった盗掘者は、ことごとく逃げ帰り、震えながら同業者に語るのであった。
曰く、「得体の知れない何かが飛び回っていたかと思えば、その向こうから巨大な
突然の気候変化に、気が動転して幻を見たのだろうと、話を聞いた者は嘲笑う。真相を確かめるべく、フィルレイアへ乗り込む勇気も無いというのに。
相手に観察されている。エステルにもそれはわかった。
ラヴィアナ王都タイタロスを後にして、七日。城に残されていた地図に敢えて忠実に進み、ここまで幾つかの集落を訪ねたが、住民は突然の旅人達に驚く事も無く、笑顔で歓迎し、補給の要望に応えて物資の提供もしてくれた。
だがそれは、表向きの態度である。
ふと目を逸らした隙に、刺すような視線を感じる。住民の口は笑みを象っているが、その瞳は油断無くこちらの一挙手一投足を値踏みするように見つめていて、エステル達の言動を一つも取り零すまい、という気概を覚える。
疑うばかりでは歩み寄れない。それは解放戦争でエステルが得た教訓であるが、今回ばかりは、彼らが純粋な協力者であると簡単に信じてはいけない、と、脳裏で警鐘が鳴り響いていた。
「ありがとうございました」
フィルレイアまでの最短経路を教わり、糧食を分けてもらった礼を述べ、深く頭を下げる。上目遣いで様子を窺えば、人懐っこい笑みを浮かべて応対してくれた若者は、氷の表情になり、目を細めて蔑むようにこちらを見下ろしていた。
気づかれていないと思ったのだろうか。エステルが顔を上げると、若者はもう、再度笑みを顔に貼り付け、
「ここからは、魔王支配時代の残骸である、野良の魔物も多くいます。お気をつけて」
と、軽く会釈をした。
伴っていたクレテス、クラリス、ピュラを促して、踵を返す。集落中の注視を浴びているのを背中で知覚していると、クラリスが小声で囁きかけてきた。
「ここまであからさまだと、策を練るまでもありません」
「だよな」
クレテスがぼやき、集落から自分達の姿が見えなくなったと思しきところで、「見ろよ」と頭上を指し示す。
黒い大鴉が一羽、上空に舞い上がり、東へ飛んでゆく。何の為か。四人の間で答え合わせをするまでも無かった。
「フィルレイアまで妨害は無いと思いますが、野良の魔物がいるというのは嘘ではないでしょう。不意の襲撃に気をつけながら進むだけです」
「案外、こっちが魔物にやられてくれるのを期待してるかもしれねえしな」
ピュラが保存食の袋を抱え直しながら鼻で笑って、「笑い事じゃあないですよ」とクラリスに背中を強めに叩かれ、袋を取り落としかける。
「とにかく、油断だけはしないようにしましょう」
エステルはそう締めくくって、鴉の去った方角を見つめた。
これしきで歩みを止めてはいけない。魔王教団の目論見を破らなければ、ニードヘグはレディウスを利用して、この大陸に帝国支配時代以上の災厄をもたらすだろう。
それを阻止する為に、自分も四英雄としての力を得なくてはならない。クレテス、アルフォンス、アウトノエ。他の四英雄の子孫が揃っている以上、万全を期さなくてはいけない。
守られるだけの英雄では、いけないのだ。
少女は決意を新たにして、きゅっと唇を噛み締めた。
「敢えて食いついている、という事か」
肩に留まる大鴉の使い魔が運んできた伝書を読みながら、魔王教団の隠密筆頭カタラは、ひとりごちた。
この界隈の住民は、隠れ魔王信奉者で構成されている。彼らが順番に送ってきた鴉によれば、エステル王女の遠征軍は、タイタロスに仕掛けた地図に忠実に従っているようだ。
遠征軍には、幼いながらも大人顔負けの策を立てる軍師がついているという。実際、帝都決戦では、その少女の発案によって、民と義勇軍は虐殺を免れ、生き残った帝国兵も寝返り、エステルは『優女王』を継ぐ者の威光をアガートラムの民に知らしめた。
「だが、それが何だというのだ」
カタラは抑揚の無い声で、ぼそりと呟く。
所詮はたかだか十数年しか生きていない、人間の小娘達。どんな状況でもひっくり返せるというが、喉を締め上げてやれば、指示を送る声を出す事も叶わぬままあっさりと心臓を止める、脆弱な子供だ。
「丸呑みにしてやれ、お前が」
頭巾の下に隠れた目が、背後を見上げる。
しゅうしゅうと。蒸気のような音を立てながら、『それ』は熱い息を吐く。密偵頭は熱など感じていないかのように平然と、『それ』を見つめて、わずかに口元を歪めた。それが彼、あるいは彼女の笑い方である事を知るのは、主のニードヘグだけ。もしくは、彼あるいは彼女に命を奪われた者が、最期に見た表情であるのだ。
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